2021
06.27

オリンピックまで1ヶ月を切りましたねえ。

らかす日誌

数日前の朝日新聞を見て、

「あれ、まあ」

と思わず声が出た。我らがガースー内閣は、東京オリンピックの開催に関しては一枚岩のように見えるが、内実はそうでもないらしい。閣僚から

「殿、中止のご決断を」

という声があるのだそうだ。だが、誰が何を言おうと、我らがガースー首相は動じない。

「やる。やると言ったら、断固やる!」

の姿勢を変えないのだという。
なるほどね。閣内がオリンピック開催の是非について一致していないと国民に知られてしまっては何かと都合が悪い。だから、本音では開催反対の閣僚も、聞かれれば

「安全、安心を第一に、粛々と」

と、オリンピック開催を支えるような発言をしなければならない。面従腹背。そう、首相に任命される各大臣は、首相の意向に反することは出来ないのよ。心にもないことをいわなくちゃならない大臣という仕事はなかなか辛いのよ。

いや、待てよ。しかし、開催しちゃまずいという大臣がいるのなら、もっと本音を引き出す必要がありはしないか? それが賛否両論を闘わせて進む道を決める民主主義の鉄則ではないか?
記憶によると、霞ヶ関では定例の大臣会見があったはず。閣議が終わったすぐ後に、各省庁担当の記者が集められ、大臣と一問一答を交わす。その席を、記者さんたちは活かしているのかな?
オリンピック、新型コロナに関係する省庁の大臣会見では、当然、東京オリンピックについて毎回質問が出ているとは思う。まあ、この人たちは立場上、建前論を貫き通すしかなかろう。しかし、関係しない省庁、そう、農水省とか、防衛省とか、環境庁とか、そんな役所担当の記者さんたちは

「ねえ、大臣。こんな状況で東京オリンピックを開いていいんですかね」

という質問を投げかけているか?
まあ、質問しても

「安全、安心を第一に、粛々と」

という通り一遍の、屁の突っ張りにもならない回答が戻ってくるだろうが、そこをさらに突っ込んで本音の一部でも引きずり出すのが記者という仕事の醍醐味ではないか?

もし1人でも、オリンピック開催への懸念を臭わせる閣僚がいたらめっけものである。他省庁担当の記者ともその情報を共有し、

「〇〇大臣は、オリンピック開催に懸念を示しておられますが、△△大臣は懸念はお持ちではないのでしょうか?」

と広げていく。最初に懸念を示した大臣には、次の会見でさらに突っ込んだ質問を浴びせ、最後は誰の目にも閣内の意見は統一されていないことを示し、ガースー首相の孤立化を狙う。

「このままでは国民の生命、健康、財産に責任が持てない!」

と、オリンピック開催の是非で辞任する大臣が出ようものならめっけものではないか。そんなスター記者になろうという勇の者はいないのか?

そういえば、大臣の閣議後会見には想い出がある。といっても、決めの一発となる鋭い質問を浴びせて大臣を立ち往生させたという、武勇伝ではない。

その週の大臣会見は、確か新聞休刊日っで朝刊がない月曜日だった。朝日新聞経済部は日曜から月曜にかけて、旅行に出かけていた。部全体で慰安旅行に出かける(そのために積み立てもする)となると休刊日を利用するしかなく、日曜日に現地入りし、一泊して月曜日朝に東京に戻るという日程を組まざるを得ない。

さて、前日の日曜日、山奥の温泉地に行った我ら経済部一行は、ゴルフ組、散歩組、何とか組などに別れて昼の時間を楽しんだ。私は「釣り組」である。同僚と2人、渓流釣りを楽しみ、夕刻旅館に戻って温泉に浸かった後はどんちゃん騒ぎの宴会という流れであった。

私を含めて省庁担当者は、翌月曜日は閣議後の大臣定例会見が控えていた。確か、午前8時半か9時の開始で、場所は国会議事堂である。間に合うためには確か午前4時頃出発する始発の電車に乗るしかなかった。閣議後会見は若手記者の仕事である。ベテランは旅館で熟睡している中、数人の仲間と車中の車中の人となった。

山深い温泉地で1日を楽しんだのである。いや、日付変更線を越えても楽しみ続けたのである。早朝の出勤はつらい。ガラガラの始発電車のシートに座り込むと、全員が程なく居眠りを始めたのはいうまでもない。
ふと目が醒めたのは7時過ぎだったろうか。寝ぼけ眼で周りを見回すと、我々しか乗客がいなかったガラガラの電車が、いつの間にかすし詰めの満員である。

「何だ、これは? 俺、まだ夢の続きを見てるのか?」

一瞬、何が起きたのか理解出来なかった。だって、どう考えてもおかしいじゃないか。ガラガラの電車が一眠りしている間にすし詰めになるとは……、あ、そうか。これ、朝の通勤電車なんだ。この、押し合いへし合いしている人達は東京の職場に向かっているんだ。ガラガラのローカル電車が、途中から通勤電車に変わったっていうわけか。
あわてて周囲の同僚をたたき起こした。なにしろ、前夜、いや電車に乗り込むまでのご乱行で、全員が2人分、3人分の汗黄を占領して眠り込んでいたのである。それはやっぱりやばいでしょう。

こうして私達は国会議事堂に駆けつけ、それぞれ目的の部屋に急いだ。が、タッチの差で大臣に後れをとった。

「お、朝日さん、重役出勤だね」

と大臣にからかわれたのかどうか、はっきりした記憶はない。だが、一つだけ記憶にある。

「君、国会に何を釣りに来たのかね?」

そうなのである。服装だけは、魚釣りが出来るラフな格好から、スーツ姿に変身していた。しかし、魚釣りに欠かせない釣り竿は何ともならない。ケースに入れて国会まで持って行かざるを得なかった。国会には荷物を預かってくれるところもなく、仕方なく記者会見場まで持ち込まざるを得なかったのである。

「いや、その、はあ、これは、実は……、その話は後で」

米つきバッタのように頭を何度も下げ、ひたすら恐縮するしかない私であった。あの時の大臣は、山中貞則通産大臣だったか、亀井静香建設大臣だったか、今となっては記憶がボンヤリしているのだが……。

まとめてしまえば、鋭い質問で大臣を追い詰めるべき仕事をしていた私が、大臣のサビの効いた一言で立ち往生したわけである。こんな迂闊な記者が、オリンピック問題で大臣を追い詰めることは多分出来ないだろう。現役記者の力不足を嘆きつつ、

「でも、俺もたいしたことはなかったな」

と昔の恥ずかしい話を思い出した私であった。

にしても、だ。来日選手からは感染者、閣内からは反対論が出ながら、オリンピックの旗を降ろさない我らがガースー首相。こうなると、ガースーの妄執としか表現のしようがない。今我々は、首相の妄執に引きずり回されているのである。