2021
08.30

8月もあっというまに過ぎ去りますねえ……。

らかす日誌

カレンダーに目をやると、8月ももう30日である。
カレンダーなど、仕事の予定が入った時を除けば、iPhoneの天気予報でを見て、

「おっ、明後日から気温がグッと下がるぞ!」

と喜び、

「ああ、明後日とは9月1日であったか。珍しく、カレンダー通りに秋が来るということか?」

程度にしか意識しないのがいつもの私なのだが、何故か今日は、

「そうか、私の72回目の夏も終わるのか。あと何回夏に出会えるのだろう?」

などと、私らしくもない感慨にとらわれた。夏らしくなかった夏が、最後になって夏らしい夏になり、それも8月一杯で撤退するという律儀さを見せたためか?
80まで生きて、7回か8回、90で身罷るとしても17、8回である。暑い、と文句を言うのもそれだけでしかない。そう思えば、暑い暑いと恨み節を投げかけていた夏も、なんだか愛おしくなるから不思議だ。

とはいえ、そんなしんみりした思いとはほぼ無縁の暮らしを続けるのが私である。ほんの一瞬(おそらく、1秒もない)、しんみりした後は、いつも通りの私に戻って机に向かい、

「えーっ、積分でこんな計算の仕方があるのか。こんなん、高校でやったか?」

などといつも通りのマインドに立ち戻る。私は典型的な根明なのか、それとも思考能力、物事の探求能力、将来を見通す判断力、いずれにも欠けた薄らトンカチなのか。
うーん、どちらでもいいが……。

先日紹介した「高校生が感動した微分・積分の授業」を読了した。

これ、のっけから東大の入試問題が登場する。

円周率が3.05より大きいことを証明せよ。

なにしろ、これが本文の3行目に出てくるのだ。それにしてもこの問題、さすが東大というか、無理難題の東大というか。

「うむ、そういえばアルキメデスは円に内接する多角形と外接する多角形を考え、段々角を多くして円に近づけることで円周率の概算値を出したのであったな。受験生にアルキメデスになってみよという問題だろう」

と思いつくほどには齢を重ねているだが、さて、アルキメデスが具体的にどんな手法で円周率の近似値を算出したのか、という肝心な知識に欠けるところも、やっぱり私である。よって、この問題を目にしたときの反応は、

「うむ」

と腕を組んで固まってしまったのが情けない。後に解答を見て、

「なるほど!」

と膝を打ったのではあるが、それは誰にでも出来ることでしかない。

しかし、微分・積分になにゆえに円周率が関係するのか?

著者によると、微分とは接線の傾きを求める計算である。デカルトが座標幾何学、つまりx軸とy軸で構成する座標平面を考えれば、図形を方程式で表すことが出来るという画期的な提案をした後、多くの科学者を悩ませたのは、この座標平面に正確な曲線を描にはどうすればいいか、ということだった。この問題に、

「曲線上の各点における接線を見つければいいじゃないか」

と思いついて微分法を考え出したのがニュートンだった。

というのは、この本の導入部に書かれていることである(正確な要約にはなっていない恐れはあるが)。

高校時代、アルキメデス、デカルト、ニュートンなどは私の敵であった。

「あんたたちのおかげでこんな問題に取り組まねばならないじゃないか。あんたたちがいなかったら、高校生活はもっと楽しかったはずだ!」

数学に行き詰まったときの反応である。あるいは、戻ってきたテストの点数が、我ながら唖然とする低空飛行だったときの反応である。
同じような思いを抱いた方も、きっといらっしゃると思うが……。

ま、それはそれとして、この本に感動するほどではなかったが、結構面白く読んだ私である。感動しなかったのは、きっと私がもう高校生ではないからだろう。

思いもしなかったことが沢山書いてある本でもあった。
前に、座標平面で正確な曲線を書くために求められたのが接線である、と書いた。関数を微分すると「導関数」が現れ、その導関数に曲線上にある点のx座標を代入すると、その点における接線の勾配が出てくることまでは今回の再学習で理解していたが、私の頭の中にあった微分は3次関数、4次関数などに限られていた。ところが、三角関数、指数関数、対数関数など、関数と名がつくものはすべて微分出来るとあった。

sinθを微分するとcosθになり、cosθを微分すると−sinθになる。

いやあ、目からうろこである。確かに、最初の目的からすれば、あらゆる関数が微分出来なければ、正確に曲線を描けないものが残るのだから、専門家としては許せなかったのだろう。人間の知恵と能力というのは、いやはや、ものすごいものである。そのものすごさが受験生時代の私を悩ませたのであった。

しかし、数Ⅱで学ぶ微分・積分はどうやら広い世界への導入部に過ぎないらしい。微分・積分の全体像は私には想像もつかないが、少なくとも、何となくまとまりのある世界として認識するには数Ⅲの学習が欠かせないらしい。多分、私が目にしたこともなかった三角関数や対数の微分・積分はそこで出てくるはずで、ああ、とうとう数Ⅲまで勉強せざるを得なくなったか、と観念した次第である。

数Ⅱまでは、50年以上前に一度さわったところである。ほとんどの知識は忘却の彼方に飛び去ったが、何となく見覚えがあるからまだとっつきやすい。
しかし、数Ⅲは全く未知の世界である。この使い古した頭脳で、劣化した記憶力で立ち向かえるのか? まあ、乗りかかった舟だ。前に進むしかなかろう。

ここで冒頭に戻ると、私の残り時間は時々刻々と減り続けている。残り時間が時々刻々と減るのはオギャーと生まれたばかりの赤ん坊でも同じであるが、この年齢になると残り時間の少なさを思わずにはいられない。
それなのに、何に役立つか解らない高校数学に貴重な間を費やしてどうする? そんな暇があったら、世界一の美女探しの旅にでも出たらどうだ? と思わぬでもないが、遺憾なことに私には妻女殿がおられて、美女からは熱い視線をいただけない年代になって、その上、コロナ騒ぎで外出もままならない。加えて、最近はテレビでも映画でも

「うわー、美人!」

と刮目するような女性には出会えなくなった。きっと、美女は絶滅種であって、6500万年前の恐竜たちと同じように、ある日突然地上から姿を消したのであろう。そんな時代に美女に見向きもされない高齢者になって良かった! と安堵しつつ、だから

「旅に出るのは無駄である!」

と自とひとり頷きながら、明日も数学の参考書を開くのだろうなあ。
これ、充実した余生?