12.21
年賀状を書き終わりました。年末です。
今年も残り少なくなった。この時期になると、毎年苦になるのが年賀状である。1年前、年賀状を交換する先を思い切って整理したが、それでも
「ここには出しておかねば」
というところが残った。30件弱に過ぎないが、年賀状で苦になるのは文面をひねり出さねばならないことである。それは相手先が300件であろうと30件であろうと、同じこと。違いはプリントにかかる時間と、プリントし終わった賀状に添え書きをする時間。共通文面を作成する手間と時間に比べれば、ものの数ではない。
12月に入った頃から
「年賀状」
は頭にあった。が、なかなかやる気が起きない。締め切りが迫らないとなかなか書き始める気力が湧かないのは現役時代から続く悪癖である。
やっとその気になったのは昨日のこと。朝からパソコンとにらめっこし、ああでもない、こうでもないと文字をいじり回す。
やっと書き終えるとプリントアウトして妻女殿に見せ(妻女殿も同じ文面の葉書をお使いになる)、午後、年賀葉書を買いに出た。そして今朝はいよいよプリンターを動かし、無事プリントを終えた。いま机の右端に、添え書きまで済んだ葉書が積まれている。やっと、2022年を迎える準備が整った気分である。
それはそうと、数日前不愉快な葉書を受け取った。
「高齢者講習通知書(運転免許関係)」
群馬県公安委員会からである。
ま、私が高齢者になってしまったことは認めてもよろしい。しかし、この文面の非礼さはどうだ? お客様に対して「通知書」などと書いた書類を発送する民間企業があるか? 地方税を納める県民は、県にとっては大切なお客様ではないのか? なぜ
「高齢者講習のお知らせ」
程度の言葉を選べない? 役人とは国語である日本語の取り扱いが苦手で、小学校以来国語で落第点ばかりとってきた人間の集まりか?
とムッとしながら開いてみた。何でも、この講習を受けないと、運転免許証を更新してもらえないらしい。1月27日、市内の自動車学校に出向き、2時間ほどの講習を受けよ、とある。運転できる靴を履き(運転できない靴、って何だ? あ、ハイヒール?)、運転できる服装(運転できない服装って何だ? 和服? 坊さんは和服を着て運転するぞ。古代ローマ帝国時代に使われたトーガなら運転しにくそうだが、そんなものを身につける現代人がいるか)で行けとあるから、実習もあるのだろう。
まあ、高齢者の事故が増えてるのかどうか分からないが、メディアが高齢者の事故を喜んで取り上げるから、何となく、高齢者=運転不適格者、のイメージが出来上がった。恐らく、そのような流れに乗って新設された制度なのだろう。
確かに、日頃運転していても下手なドライバーには毎日出会う。
・左折時に不必要なほど大回りするドライバー
・右折時に危険なほど小回りするドライバー
・40㎞制限の道を30㎞で走るドライバー
・右折するのに交差点に入らず、停止線で対向車が切れるのを待つドライバー(交差点中央まで出れば後続車は左をすり抜けられる)
・なりたての赤信号では平気で進むドライバー
なんでこんな人が運転免許を取れたのだろうというドライバーにはじっちゃん、ばっちゃんが多いとは私も感じる(実はおばちゃんも結構見かける)。だから、そんな連中の運転技術を矯正してくれるのなら講習も大生に役立つだろう。だが、上に挙げたようなドライバーが相変わらず絶えないのを見ると、恐らく、そんな矯正はされないのに違いない。
それに、だ。この制度が何年前にできたのか知らないが、少なくともメディアに報じられる「高齢者が起こした事故」が減った感じは全くしない。とすれば、全く意味のない講習ではないか?
そんなことを考えながら次の欄を見て怒りが発した。
「受講料 5100円」
何? 公が受講を強制しておきながら、5100円も取るだと? それって、新たな増税みたいなものではないか!
ひょっとして、この自動車学校には元警察官が天下りしてはいないか? その天下り組の人件費を賄うため、マスメディアが造り上げた風潮に悪乗りしてにこんな制度を作ったのか?
と怒りは治まらねど、行かないわけにはいかない。公共交通機関が衰退している桐生では車がなければ日々の暮らしに響く。私はムカムカしながら1月27日は、運転できる靴を履き、運転できる服装で自動車学校に出向く。
泣く子と地頭には勝てないのは、決して過去の話ではないようである。
あ、役人の子はにぎにぎをよく覚え、という川柳もあったな。
おやすみなさい。