2022
01.17

年末年始と仕事の話です、の3

らかす日誌

「お父さん、お義父さんの仕事は何なの?」

長男が私にこの問いかけをしたのは、小学校に入りたての頃だったと記憶する。
ほほう、我が息子も父の職業に関心を持つ年代になったか。

「お父さんの仕事はね、新聞記者だよ」

当時の私は朝日新聞の記者という仕事に限りない誇りを持っていた。世の中をより良く、より健全で住みやすくする仕事であると信じ切っていた。だから、愛息の問が本当に嬉しかった。やっと息子と、私が選んだ仕事の話ができる。父親冥利に尽きるとはこの事だ。
だが、次の問には戸惑った。

「ふうん、新聞記者ってどんな仕事なの?」

ん、どんな仕事? そりゃあ、説明できないことはない。民主主義社会を健全に保つためにはみんなが正しい情報に接しなければならない。正しい情報を得ることによって国民は正しい判断力を持つことができる。正しい判断力を持てば、選挙で正しい投票ができる。国をゆがめるのは間違った情報だけではない。情報が権力者によって隠蔽されるのは、間違った情報以上に、選挙を媒介として運営される現代社会を歪める。その権力の壁を打ち破ってすべての情報を国民に届ける新聞記者という仕事は、だからこの上なく大事な仕事なんだ……。
という説明を、小学校に入ったばかりの子供が理解できるか?
そこで私はこう答えた。

「ほら、これが新聞だ。この新聞を作るのがお父さんの仕事なんだよ」

その答を聞いた長男は新聞を手に取り、やがて言った。

「ふーん、お父さんって字が上手いんだね」

字が上手い? あ、いや、この新聞を作っていると言っても、この字を一文字一文字手で書いているわけではない。この文字は印刷機の活字であって……。うーん、さて、どうしたら新聞記者という仕事を説明できるか?
困り切った私は、こんな話をした。

「あのね、新聞記者って、いろんな人に会って、聞いた話をまとめるのが仕事なんだよ」

「あ、そうなの」

それきり長男は感心を失ったようである。つまらないことをやってるなあ、とでも言いたかったのか。そのままどこかに行ってしまった。

40年前後も前の思い出話を書いたのは、新聞記者とは人に会って話を聞き、聞いた話をもとに記事を書くのが仕事であることをご理解いただきたいためである。その頃私が抱え込んでしまった

「トヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売が合併するのか?」

を知るには、まず両社の幹部に会って話を聞くしかなかった。

しばらく前から、トヨタが開く記者会見では

「合併するか?」

という質問が繰り返されるようになっていた。そのたび、答弁に立つ両社の社長、会長、副社長、専務たちからは同じ答が返ってきた。

「両社は分離するメリットがあったから分かれ、分かれていることにメリットがあるから今の状態でいる。いま合併は考えていない」

何度同じ答が戻ってこようと、次の記者会見ではまた同じ質問が出て、同じ答が戻ってくる。他者から見れば、何度同じことを言われても記憶できない阿呆と、同じことしかいえない愚鈍との間で繰り広げられる茶番劇に見えたとしても不思議ではない。新聞記者とは、実は地道な仕事である。

記者会見の席だけではこの話はちっとも先に進まない。とすれば、ほかの場所で両社の幹部に会う必要がある。会って質問をぶつけ、話を聞かねばならない。
東京のモーターショーから名古屋に戻ると、私は猛然と夜回り取材を始めた。夜回りとは文字通り、夜、両社の幹部宅を訪れ、ずーずーしくも上がり込んで質問をぶつける取材方法である。本来ならば1日の仕事を終えてくつろぎ、翌日のエネルギーを蓄えているはずの夜のしじまに玄関のチャイムが鳴る。訪問される幹部たちからすれば、実に迷惑な取材方法である。

当時、トヨタ自動車販売の社長だった豊田章一郎氏の自宅も襲った。そもそも、それまでトヨタ自動車工業副社長だったこの人が1981年1月、トヨタ自動車販売の社長に就任したことから

「すわ、合併か!」

という話が広がったのである。章一郎氏はトヨタ自動車を創業した豊田喜一郎の長男。トヨタの直系だから、である。トヨタ本家が直系を担ぎ出して両社を合併し、グレート・トヨタを目指して動き出したと見られたのである。夜回り先としてここを外すわけにはいかない。

ということを繰り返して迷惑をかける記者側に弁解がないわけではない。正確な情報を知るには、企業であれば社長、会長など幹部に話を聞かねばならない。だから広報を通じてアポイントを求めるのだが、大企業の幹部というものは極めて忙しいらしく、なかなか昼間は会ってもらえない。そこでやむなく、夜、自宅を襲うのである。記者だって、夜は酒を飲んでいたいのだ。
それに、この頃は、夜回り取材を受けるのは企業幹部の仕事の一部であるとの社会通念があった。ごく一部の人達を除けば、夜回りに訪れれば必ず家にあげてもらえるのである。新聞記者に失礼をして嫌われたら、嫌がらせに会社のためにならないことを書かれる恐れがある、という企業防衛精神もあっただろう。新聞記者とは社長、会長と個別に話す機会もある人種である。私が記者を怒らせたら、社長、会長に悪口をいわれて不利益を受けるかも知れないという自己防衛もあっただろう。いずれにしても、情報乞食と言われる新聞記者にとってはありがたい時代であった。

「しかしなあ」

といま思う。30をちょいと過ぎた若造が夜の9時半、10時にやって来る。こんなやつを家に上げて酒を飲まし、1時間、1時間半話をしたところで、自分役に立つ情報の1つも得られるはずがない。ウイスキーやブランディーを嘗めながらこいつと過ごす時間は無駄の極み。じっと我慢の時間でしかない。
私がトヨタの幹部だったら、絶対に家に上げたりはしなかったぞ!

という背景説明はこれで終わりにすると、私はほぼ毎夜、夜回りに出かけた。数人の幹部は名古屋市内に家があったが、多くは豊田市、遠くは岡崎市に住んでいた。そこまでタクシーで乗り付ける。行った先が留守であれば、ほかの幹部宅に転戦する。朝日新聞名古屋本社から豊田市までは高速を使って1時間半ほどかかった。岡崎までは2時間では行き着けない。毎夜、帰宅するのは午前様である。

別に、私が如何に働いたかということを書きたいのではない。恐らく、他社の記者連中も私と同じように、いや、ひょっとしたら私以上に夜回りをしていたのに違いない。
問題は、

はたらけど はたらけど猶 わが生活 楽にならざり ぢつと手を見る(石川啄木)

ではないが、夜回りしても夜回りしても出ないのである、成果が。

当時、トヨタ自動車工業の幹部は金太郎飴と言われていた。金太郎飴は、何処を切っても同じ金太郎が顔を出す切り口になる。誰に訊いても同じ答しか聞けないトヨタ自動車工業の幹部を揶揄して金太郎飴に例えたのだ。

「合併ですけど」

「メリットがあるから分かれているのです。いまは考えていません」

何度同じ質問をし、同じ答をもらったことか。

いまの私なら、多分攻め方を変えた。夜回り取材に先立って、トヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売が分離していることのメリット、デメリットを、歴史を含めて徹底的に調べる。なぜ今になって合併がささやかれるようになったのか、そこも検討してみる。両社の経営を分析している機関は数多い。銀行、証券会社は勿論、数々のシンクタンク、それに産業政策を担う通産省(いまの経産省)だって、両社の動向に無関心ではないはずだ。そういう先に話を聞き、しっかりと理論武装をする。その上でトヨタの幹部に論争を仕掛けるのである。分離継続か合併か。どちらが将来のトヨタにメリットをもたらすのか。取材する私が理論的に考え抜いて論争を仕掛ければ、彼らもおろそかな返答はできなかったはずである。

だが、30を過ぎたばかりの当時の私には、そんな知恵はなかった。社内の先輩たちもそんなアドバイスはくれなかった。

毎夜のように

「合併ですけど」

「メリットがあるから分かれているのです。いまは考えていません」

という問答を飽きるほど繰り返すうち、1981年も年末が迫ってきた。