2022
08.07

飲み会に続く飲み会。余り無理ができない年齢を実感します。

らかす日誌

このところ、暑くない夏が続いている。今日も午後2時頃まではエアコンもつけず、机の前で仕事ができた。とはいえ、まだ8月初旬。このまま夏が終わるとは思えないが、あと少しの辛抱だ、と己に言い聞かせている。

にしても、アメリカやヨーロッパで記録された酷暑は凄い。最高気温46℃超!
風呂の湯温は通常、38〜39℃程度か。熱油が好きな人でも42、3℃程度だろう。それでも公衆浴場では、湯船ではしゃぐ子どもがいれば

「暴れるな! 熱さが身に染みるじゃないか!」

と江戸っ子でも怒鳴りつけたくなるものである。それなのに、46℃! それでも人間様は、平気とはいわないまでもとりあえず生きている。
でも、46℃の湯に身体を浸すのと、46℃の空気に身体を包み込まれるのでは何かが違うのだろうか? 46℃の湯だったら、とても15分も我慢はできないと思うのだが。
空気だったら汗が盛んに蒸発して気化熱を奪ってくれるから何とか身体を守ることができるのか? そのあたりの科学に詳しい方が死らっしゃったら教えを請いたいところである。

それにしても、先週は苛酷だった。いや、気温は火曜日以降それほど高くなかったが、夜のスケジュールが過密だった。2日、4日、5日と飲み会が続き、何と昨日6日も誘いを受けたのである。

2日はとある機屋さんと、とある市職員を引き合わせる飲み会であった。機所桐生を存続させるための新しい事業を興そうという機屋さんに、何とか行政も応援できないか、と思って仲介した。

行政は個別企業への支援に後ろ向きである。立て前の平等主義が行き渡り、新しい仕事はしたくないというサボり癖も手伝って、この手の話にはなかなか乗ってこない。
しかし、桐生は織物のまちである。桐生から織物産業をマイナスすれば、何の特徴も取り得もない、単なる田舎町になってしまう。市民たるもの、それは嫌だろう。であれば、新規事業が織都桐生の存続を基本の所で支えるものならば、それなしには明日の桐生の姿が思い描けないのならば、行政として支援するのが公益に叶うのではないか。
私はそう思うのだが、さて、樹徳高校が甲子園に出場しても垂れ幕の1本も下げない市役所である。

「何で祝樹徳高校、甲子園出場の垂れ幕を下げないのか?」

と上司に進言した役人もいたらしいが、結果は動きなし。個別事業支援の話はどうなることやら。

4日はえびす講関連の打ち合わせであった。無宗教で、神も仏もいるはずがないと公言する私が、えびす神のお祭りの打ち合わせに顔を出すのも不思議だが、まあ、そこは

「えびす講は神事ではなく、桐生の風物詩」

と割り切ってお付き合いをする私である。それに、原稿を書けば多少なりとも収入になるのも捨てがたい。

ついで5日は、今春群馬を去った毎日新聞記者がやって来て酒となった。彼は私が退職する寸前に桐生に赴任。後に太田市を経由し、この4月に柏に転勤した。それでも桐生は忘れがたいらしく、

「いやあ、柏に家を持ってなかったら、俺、桐生に住みますもん」

という。その彼に、

「桐生に行ったら、大道さんを交えて酒を飲むしかないでしょう」

といわれれば、断る術はない。夏祭りの前夜祭に紛れ込み、11時頃まで、ほとんど何も胃袋に入れず、ひたすら飲酒。余り健康的な飲み方ではなかったが、前夜祭会場にあまり食べ物がなかったから仕方がない。

彼は桐生泊だった。それで昨日、

「おい、今春は君の送別会も満足にできなかったから、今日昼飯を食おう」

誘ったが、

「いや、太田の知り合いと昼飯を食う約束をしてまして」

断られた。それだけなら良かったが、

「だから、今日も飲みましょう!」

逆に誘われた。
今日も飲む? 連チャンで? しかも、今週4回目の飲み会だぞ。私73歳。
と頭が回転し、最後にたどり着いたのが

「帰りの足がない!」

一度書いたが、桐生の夜にはタクシーがない。前日は祭前夜祭の事務方に入っていた女性が車で送り届けてくれるというので飲み会に出かけたのである。
しかし、5日は祭の本番。前日なかったタクシーが突然姿を現すはずもなく、最近は頼りになる運転代行も、祭本番となればあちこちで引っ張りだこだろう。前日お世話になった女性に2日続けての運転手をお願いするのも気が引ける。

「無理だよ、今日は。帰りの足が「昨日以上にないよ」

彼は

「私が何とか運転手を探します。是非来て下さい。見付かったら電話をします」

といっていたが、夕刻になっても電話はなし。

というわけで、危うく連チャン、週4度目の飲み会を免れた私であった。
1日身体を空けたせいか、今日は仕事の原稿を1本書くことができた。そう、最近の私の頭は、飲み会の翌日は余り使いものにならないのであった。