2022
08.17

WOWOWで放映中の「始皇帝 天下統一」、ひょっとして習近平を礼賛するドラマ?

らかす日誌

WOWOWで放映中の中国歴史ドラマ、「始皇帝 天下統一」が大団円間近である。全78話というロングランもすでに74話まで終わり、韓、趙を滅ぼし、燕が送り込んだ刺客、荊軻の襲撃も間一髪でかわした。残る燕、魏、楚、斉を平らげて中国初の統一王朝を開くのも、あと4回しか放映がないところを見ると間近である。

始皇帝。嬴(えい)一族で、名前を政という。父は秦の30代君主である嬴異人(いじん)。異人が趙の都、邯鄲に人質となっている間に生まれた。まだ政が幼い頃、異人は邯鄲を脱出、秦の都、咸陽に戻って王位に就くが早世する。跡を継いだのが政である。人質の子として苦労を重ねながら学問を重ねた政はまだ10代のうちに王位を継ぎ、6国を攻め滅ぼしての統一国家の建設を目指す。

というのが、ドラマの粗筋である。毎週木曜日夜、2話ずつの放映で1話40分程度。録画しておいて一度に見ようとすれば、何と3120分、つまり52時間もかかる。とてもじゃないが、そんな長時間見続ける根性は持ち合わせていないので、放映が終わり次第鑑賞し、3話ずつ1枚のディスクに納めている。

面白い。始皇帝といえば中国を初めて統一した男程度の知識しかない私には、人質一家に生まれたことも、母ちゃんがすこぶる付きの美人であったことも(ま、これは俳優さんのせいですが)、命からがら咸陽にたどり着いたことも、王位に就くにも様々な障害があったことも知らなかった。
78回も続くドラマだけに、各回極めてドラマチックに作られており、なかなか面白い。時には

「ご都合主義のシナリオ作りは、日本の専売特許ではなかったのか」

と思うこともあるが、娯楽大作として、また歴史を知る手立てとして、毎回楽しく見ている。

この嬴政君、苦労に苦労を重ねただけあって民の暮らしに思いを馳せて大規模な灌漑事業を起こして国を富ませる。天下に俊才を求め、隣国、楚の人である李斯を宰相に抜擢。法治国家建設を国是とし、謀反を試みる臣下にも罪状がはっきりするまでは手を下ささない。なかなかに理想的な君主である。これが事実なら、日本も主主義を捨てて独裁国家になってもいいじゃないか、と夢想するほどである。

だが、そのあたりに最初から違和感があった。だって、秦の始皇帝といえば悪逆非道を重ねた男として描き続けられてきたのではなかったか?

いまから2200年以上も前の人である。有名な史書である司馬遷の「史記」は、同時代の人物による始皇帝評として

虎狼のように残忍で、目的のためには下手に出るが、目的を達すれば食いものにする。
粗暴で人を信じない。
楽しみは処刑だけで天下は怯えまくっている。

などと描き現している。男根とその側にある袋を無理矢理切り取られて宦官にされてしまった司馬遷が、その恨みも込めて客観的叙述に徹したと言われる「史記」にこう書いてあったことが、これまで私が持ってきた始皇帝像の出所なのだろう。世界史で学んだ、儒学者を穴埋めにしてその書籍を焼き払ったという焚書坑儒は記憶に強く焼き付いているし、万里の長城の建設にしても、民衆の汗と涙、時には命まで搾り取ったに違いない。

「度量衡や通貨の統一、封建制の廃止など前向きの施策もあったけど、あんなやつに支配されたらたまらないよな」

というのが、私の始皇帝像だった。

それが、このドラマでは理想の君主として描き出されている。人質時代は邯鄲の連中に虐められ、王位を継承しても

「まだ若い」

とすぐには実権は与えられず、ひたすら耐える日々。母親の愛人がクーデタを計画していることは重々承知しながら、証拠が揃うまでは絶対に手を出さない。我慢に我慢を重ねる始皇帝は、見ていていじらしいほどだ。思わず、

「負けるなよ!」

声をかけたくなるほどいじらしい。

のではあるが、やっぱり私の基礎知識とはイメージが180度違う。まあ、このドラマは歴史そのものではない。2200年以上前の人物となれば、その生涯を描き出す資料だって限られているはずである。ということは、シナリオライターの筆先1つで様々な造形が出来るということである。一部には始皇帝を希代の英雄だったと評価する学術研究もあるらしく、

「このドラマは新しい始皇帝像を描こうとしているのだろう」

と自分を納得させてきた。

「いや、待て」

と思いついたのは1週間ほど前のことだ。
言論統制が厳しい中国でこのドラマは製作された。ということは、中国共産党当局の検閲をパスしているということだ。というところまで思いが到達したとき、1つの仮説が生まれた。

習近平は、自分をこのドラマ中の始皇帝に重ねているのではないか?」

中国は1党独裁の国である。その共産党を仕切るのが習近平だ。いってみれば、習近平は中華人民共和国の皇帝である。
表面的には中国は盤石に見える。しかし、数多くの民権派が独裁を嫌い、当局に身柄を拘束されるリスク承知しながら、政権への批判を繰り返した国である。香港問題も含めて、いまは力で押さえ込まれているとしても、共産党、習近平の独裁に反感を抱く国民も数多いはずである。
そこで皇帝の椅子に座り続けるにはどうしたらいいか。全ての権力を独占する独裁者が、最も恐れるのは民衆であることは、ローマ帝国の昔から変わらない。ローマの皇帝はパンと見世物で民衆に媚を売った。テレビというメディアを使える習近平は、この「始皇帝 天下統一」で、

「ねえ、悪評サクサクの始皇帝は、実は民衆を心から大切にした独裁者でした。そのために6国を滅ぼしたのです。アメリカをはじめ、外国の馬鹿どもが私に関して色々いいますが、台湾は始皇帝が滅ぼした6国の1つのような物。私のような心正しき人間がやる独裁って素敵でしょ?」

と中国の大衆に訴えようとしたのではないか?

いや、これはあくまでも私の仮説である。裏付けは何もない。ただ、日を追ってジャイアン度が強くなる習近平政権があるから、私のような天の邪鬼にはそう見えてしまうのである。

「始皇帝 天下統一」はこれから、「郡県制への道」「裏切り」「逆心の末路」「天下統一」と続いて終わる。なるほど、嬴政の最盛期をもって幕を閉じるのもドラマ作りの1つの手法だろう。

しかし、である。私たちは紀元前206年に秦が滅んだことを知っている。始皇帝没後わずか4年で秦という国はなくなった。始皇帝が、ドラマが描いたように民のために戦乱のない世を創造しようと6国を滅ぼした優れたリーダーであったのなら、天下の安寧を維持するために後継者についても気配りをしたはずである。にもかかわらず、わずか4年で大国・秦が滅亡する。宦官・趙高の横暴のゆえとされるが、趙高が権勢を振るえる下地を作ったのは始皇帝ではなかったか?
始皇帝とは、本当に優れた皇帝だったのか?

そして、習近平。あ、これ以上は書かぬが花ですよね。