11.21
桐生えびす講、終わる。結論、疲れた……
毎年11月19、20日は桐生えびす講である。昨年、一昨年は新型コロナウイルスの影響で変則の開催(参拝客の分散を狙って開催期間を延ばした)が、今年からは本則に戻った。2日限りのお祭りである。
どうしたことか、神も仏も信じない私が、この桐生えびす講では公式カメラマンである。重いNIKON D750を首から部ぶら下げ、境内だけでなく、所狭しと露店が軒を連ねている通りを走り回ってシャッターを押す。
それが、やっと終わった。一言、疲れた。
初日は9時頃家を出た。神社からやや離れた駐車場に車を止め、カメラをぶら下げて歩き始める。途中で露店の準備風景を撮るのが狙いである。シャッターを押しながら参道を登り、さらに61段の石段を踏みしめて社殿に着く。
「お早うございます!」
さて、私が公式カメラマンになったのはいつのことだったか、はっきりとは思い出せないが、もう6、7年になるのではないか。だから、期間中の巫女さんになっているアルバイトの女子大生を除けば、見知った顔ばかりだ。
この時期になると、桐生はかなり冷える。家を出るときは肌寒かったので、セーターの上から中くらいの綿が入ったジャンパーをまとい、マフラーを首に巻いて出かけた。昼間は暖かくなるだろうが、夕刻からは急に冷え込む。だから、帰宅時の防寒まで考えた上での選択だった。
ところが、である。駐車場に車を入れて社殿まで、恐らく1㎞はないと思われる道のりを歩いた私の身体は、全身から汗を吹きだした。暑い。拭っても拭っても汗が流れ落ちる。
マフラーを外す。ジャンパーを脱ぐ。もう良かろうと思ったが、これでも暑い。とうとうセーターを脱いで腰の周りに巻いた。まるで秋の初めの格好である。それでも寒さは感じない。
ひと渡り歩いて写真を撮ると、社殿に戻る。この2日間はその繰り返しである。おおむねの写真を抑えると、あとはスケジュール闘争となる。つまり、神楽や福まき(豆まきのようなもの)、和太鼓の演奏など出し物が始まると写真を撮りに行く。その他の時間は、本来なら暇なはずである。
ところが、暇というのは持て余すものだ。できれば、何かをしていた方が気が紛れる。昨年まではバックヤード、つまりお札や木札、お守りなどが店頭(といっていいのかな?)で売り切れた(これも不適切な表現といわれ、巫女さんたちは500円のお守りを参拝客に渡しながら「500円お納め頂きます」という。商売ではないという姿勢を崩さないのである。が、えびすという神は商売繁盛の神。えびすさんが商売をして「はあ、これ500円ですわ。金、出しなはれ」といってもいいのではないかと私は思うが……)ときに、貯蔵庫から出してきて店頭に並べるようなお手伝いはした。
※筆者お断り:丸括弧が沢山あって読みにくいと思います。ごめんなさい。
今年は世話人の数が増えたためだろうか、私の目から見ていて商品(これも×の表現ですが……)が店頭から欠品することはあまりなかったので、私が走り回ることはなかった。
しかし、盲点とはあるものである。何故か今年、急速に人気が高まった鯛みくじ、である。張りぼての鯛がおみくじを抱いていて300円。これを
「わあ、可愛い!」
なんて黄色い声を出しながら、おもに若い女の子たちが買っていく。釣られてか、男の子も、もっとお年を召した男性、女性も、何故か鯛みくじをお求めになることが増えたのである。
「あのー、このおみくじ、買ってもいいのでしょうか?」
とおずおずと声をかける男の子あり。
「300円お納め願います」
といわれて300円を手渡し、ジッとディスプレイ棚を30秒以上睨みつけてどの鯛をとろうかと思案する中年女性。見ていると、
「ああ、世の中にはいろいろな人がいる!」
と思い知らされる。
その後ろで、おみくじを開いた女の子たちの黄色い声が弾んでいいる。中には、おみくじの文面をスマホで撮ったり、おみくじと一緒に記念写真を撮る娘たちも。
そんな娘たちを見ながが、こいつら、いったい何を考えているのか、と途方に首をひねるのは73歳の私である。
ま、それはそれとして、鯛みくじは張りぼての鯛とみくじが別々になって届く。故に、店頭に並べるには鯛にみくじを抱かせなければならない。そうしなければ店頭のディスプレイに並べることはできない。そして、この作業は人手でしか出来ない。
世話人の中に、商材に対する序列意識があるのだろうか。お札や木札、熊手、お守りなどはバックヤード要員がいるにのに、この鯛みくじだけはいない。初日の朝のうちは、世話人が連れてきたお孫さんが抱かせていたが、子どもは飽きっぽい。ほかに楽しい事があれば鯛みくじなど見向きもしなくなる。いや、手伝っていた子どもたちを批難しているのではない。それが子どもの自然であり、私が目の前にいる子どもでもやはり同じだったと思う。
だが、大人とは、中でも高齢者とは、やらねばならないことがあれば他を犠牲にしてでもやるものである。と思いながら周りも見回す。店頭では鯛みくじが次々と売れていく。そろそろ鯛におみくじを抱かせて用意しておかねば営業機会の損失という、商売ではあってはならない事態を引き起こしかねないのに、周りには誰もいない。誰も鯛におみくじを抱かせる縁の下の仕事をしようとしない。いわば、仕事のエアポケットである。
やむなく、私が手を出す。1箱に42個の鯛が入っており、一度始めると42個の鯛に42個のおみくじを抱かせなければならない。
そんなことをやっているうちに、店頭のディスプレイから次々に鯛みくじがなくなる。ディスプレイにおみくじを抱かせた鯛を並べるのもおおむね私の仕事と相成る。しばらく社殿を離れて写真を撮って戻ると、ディスプレイは隙間だらけになっている。あわてて補充し、次の準備をしなければと社殿に上がり、42個の鯛に42個のおみくじを抱かせる……。
そんな繰り返しで時が過ぎていった。
19日、iPhoneの「ヘルスケア」を見ると、歩行数は約1万5000歩。61段の石段を上り下りしながらの歩数である。時計が午後10時を回り、そろそろ引き上げようかという気になった頃には、私の腰は悲鳴を上げていた。腰だけではない。ふくらはぎもパンパンである。この負荷を背負って歩いた駐車場までの距離は限りなく遠かった。その遠い道を歩きならが、私は自問していた。
「おい、この腰と足で、明日は布団から出ることができるか? 歩いて桐生西宮神社に出勤することができるか?」
やっと帰り着いた自宅で、1日中酒を口にしなかった私はウイスキー(ビールは医者に止められたため飲めず、日本酒はこのような状況には相応しくないと思う私には、他の選択肢はない)を嘗めながら映画を1本鑑賞、0時過ぎに布団に入ったのであった。
そうそう、この日は好天に恵まれ、かなりの人出があったことをつけ加えておく。公式発表では14万人である。11万人弱しかいない桐生のえびす講に、桐生の人口を上回る人がやって来る。桐生えびす講が始まって122年。これほどの盛り上がりを築いてきた関係者には心から
「あんたたち、すごいものを作ってきたね」
と敬意を表したい。
時計の針が日付変更線に近づいた。20日の様子は次回に廻す。