2023
02.15

豊田章一郎さんのご冥福をお祈りします。

らかす日誌

トヨタ自動車の豊田章一郎名誉会長が亡くなった。各種のメディアで追悼文、追悼番組が組まれているが、私も個人的に関わった人なので、蛇足ながらその思い出を書いておく。

初めてお目にかかったのは、章一郎さんがトヨタ自動車販売の社長だった時だと記憶する。彼が自販の社長に就任すると、

「トヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売を合併する為の布石だ」

という観測がメディアで盛り上がった。だが、当時の朝日新聞トヨタ担当記者は

「ありえないよ、そんなこと」

と見向きもしなかった。その先輩記者からトヨタ自動車担当を引き継いだのが私だった。

先輩はそういうが、他社は盛り上がっている。私としても取材しないわけにはいかない。名古屋市のトヨタ自動車販売本社でお目にかかってご挨拶したあと、名古屋・八事のご自宅を何度も訪問した。いわゆる夜回りである。

いつも気楽に会っていただいたが、取材は全く進まない。どう質問しても

「工販は分かれているメリットがあるから分かれている」

の一点張りである。当時のトヨタのニックネームは

金太郎飴

誰に聞いても、どんな聴き方をしても同じ答が戻ってくる。どこを切っても金太郎が出てくる金太郎飴はピッタリのニックネームだった。それでも取材せざるを得ないのが記者である。

だから、合併についての話ははぐらかされてばかりいたのだが、その合間に聞いた一言が、何故か頭に残っている。

「この間ね、東京で仕事があったから新しいクラウンで東京まで往復したんだよ。いいよ、今度のクラウンは」

ああ、この人も車が大好きなんだ、と思ったのである。

私がトヨタ自動車を担当したのはわずか8ヶ月ばかりだ。担当を外れ、東京に転勤し、

「もうトヨタ自動車と関わることはないだろう」

と思っていたのだが、縁とはは不思議なものだ。私が財界を担当すると、章一郎さんが経団連の会長として待っていた(そんなこともなかろうが)のである。
経団連時代の章一郎さんには3つの強い想い出がある。

経団連に加盟している大企業の1つで不祥事が発覚した。どの会社でどんな不祥事だったかは思い出せないのが残念だが、このような事件が起きると、各経済団体の定例記者会見では、企業はいかに不祥事を防ぐか、という質問が記者から出る。
経団連の定例会見でもそうだった。ずらりと顔をそろえた経団連会長、副会長にそれぞれの不祥事防止策を記者の1人が問いかけた。

章一郎さんを除く方々は、やれ社内に不祥事防止委員会を作るだとか、月並みな話をされた。だが、章一郎さんだけは違っていた。

「私の会社は車を作っています。お客様にお渡しする大切な車ですから、欠陥があってはなりません。普通はラインオフした車(完成した車、という意味)を検品するのでしょうが、我が社はやりません。車を作る各工程で、絶対に欠陥車にならない対策をとっているので検品する必要がないのです。不祥事もそうで、起きてからあれこれやるという手法は我が社はとりません。どうすれば不祥事が起きなようにできるかを徹底的に考え、各部署で実行しています」

正確に記憶しているわけではないが、発言の主旨は間違っていないと思う。何故なら、私はこの発言を、企業のあるべき不祥事対策として記事にした。何故か他社はしなかった(しても、中途半端にしか取り上げなかった)。そのためだろう。トヨタ自動車の広報から感謝されたのである。

「あんたは昔、トヨタの担当記者でトヨタ自動車のことをよく分かっていてくれる。だから他社が聞き逃した章一郎さんの発言を正確に取り上げてくれた。ありがとう」

というのである。いや、わずか8ヶ月の担当でそこまで世界のトヨタ自動車に詳しくなるはずもなく、ただ、章一郎さんが、ものづくりのあるべき姿を企業経営全体に及ぼしている考え方に共鳴しただけなのだが、正直、ほめられて嬉しかった。

2つ目は、その後トヨタ自動車の社長になった張富士夫さんとの会話である。

「私ね、立場上、章一郎会長とは頻繁に会話をします。ご報告にあがることもあれば、ご相談することもある。そんなとき、会長は短く答えてくださるんですが、『えっ、私の報告から、どうしてそんな結論が生まれる?』って意外な感じがすることがい多いんですよ。質問と答がかけ離れているというか……。だからでしょうか、章一郎会長を評価しない人も結構いる。ところが、私の体験では会長の指示はほとんどの場合、間違っていないことがあとで分かるんです。不思議な人です。私は大変尊敬しています」

張さんにそう言われて、なるほど、そんなものかと思った。章一郎さんは決して多弁な人ではなかった。短い言葉で、結論部分をポツリ。ポツリと語る人だった。そうか、我々記者に対してだけでなく、社内でもそうなのか。
そう思った私は、こんな話をした。

「私たちの社会って、説明能力の高い人を頭のいい人、優れた人、と評価しがちじゃないですか。これこれの条件の下で、考え得る方策はこれとこれ。社会の趨勢をみると、このうちとるべき方策はこれだ、と理路整然と説明できる人が高く評価されています。でもね、私思うんですが、章一郎さんはブラックボックスなんです。データを入力すると答を吐き出す。時にはその答が意外だったりする。相手はブラックボックスだから、何をどう計算して答を吐き出しているのか全く分からない。それなのに、ほとんど場合、その答は正しい。ね、取材を重ねるにつれて、豊田章一郎さんって、そんな不可思議なブラックボックスなんだ、と私は思っているんですが」

嬉しいことに、張さんは

「なるほど」

といった顔をして頷いてくれた。

3つ目の思いではトヨタ自動車主催の飲み会でのことである。たまたま私は章一郎さんの正面に座った。
どういう流れて、会話がそこに行ったのかは記憶がない。私がこんな一言をいったのである。

「色々おっしゃるけど、章一郎さんはブルジョアの一員だし、我々プロレタチアートとは住む世界が違いますからね」

多分、ちょっときつめのジョークのつもりだったと思う。ところが、予期せぬ答が戻ってきたのだ。

「何を言うんですか。私だってプロレタリアートの一員ですよ」

おいおい、待ってくださいよ。あなたは豊田佐吉につながる豊田家の直系。世界の大企業を率いるあなたがブルジョアジーでなかったら、いったい誰がブルジョアなんですか? プロレタリアート? 社会学を勉強し直されたらよろしい。

「親父はね、死ぬときにこういったんです」

と章一郎さんは言葉を繋いだ。親父とはトヨタ自動車を創業した喜一郎さんである。

「申し訳ないが、お前に残したやれるのは仕事だけだ。悪かったな、って。だから私はプロレタリアートで、一所懸命に働いてますよ」

いや、そんなことをおっしゃっても、ですね。名古屋の高級住宅地、八事に私邸があるし、赤坂にだって東京のお住まいがあるじゃないですか。プロレタリアートにはそんな暮らしはできません。

「あんなところに家があるもんだから、税金をがっぽり取られて困ってるんです」

ほう、そうきたか。
じゃあ、あなたの奥様は三井家の方ではないですか。プロレタリアートには全く縁のない家系の方ですよ。

「ああ、それですか。あれは三井家でも没落した三井家でね。可愛そうだから結婚したんです」

酒の上の話である。ひょっとしたら、章一郎さんは笑いを提供しようとされたのかもしれない。
だが、私は何故か、

「私はプロレタリアートです」

というのは、章一郎さんの本音ではなかったか、といまでも思っている。大学を出て、北海道の親戚がやっていたかまぼこ工場(今朝の朝日新聞ではちくわ工場となっていたが、私はかまぼこ工場と聞いた記憶がある)に働きに出され、魚のすり身と格闘した経歴からかも知れない。いや、ブルジョアと呼ばれる優雅な暮らしとは無縁に働いてきたという自負を感じ取ったのかも知れない。

あなたは、豊田章一郎さんはプロレタリアートだと思いますか?

章一郎さんはそんな方だった。彼が経団連会長を退くとき、記者クラブで送別の宴を張った。幹事は私である。
場所は、「グルメらかす」に頻出する畏友カルロスが経営する「ラ・プラーヤ」である。参加費は、確か各人1万5000円。記者が章一郎さんを送るのだから、金を払うのは我々記者である。

そして、章一郎さんに贈る記念品の選択も私に任された。
しかし、だ。大トヨタの総帥である。必要なものは全て揃っているはずだ。こんな人に、何を贈ったらいい?
私は困り果てた。

幾人かにアイデアを聞いた。その結果、2つ贈ろうと決めた。

1つは、古銭である。章一郎さんが生まれた年の古銭を贈る。そして、これをゴルフで使うマーカーにしてもらう。奥様もゴルフを楽しまれると聞いたので、2人分いる。

浅草の松屋に行き、お2人の埋まれ年の古銭を、数枚ずつ買った。
が、ゴルフに行くのに、この古銭をポケットに放り込むわけにはいくまい。やはりケースがいる、銀座三越でCoachの小銭入れを2つ買った。

が、これだけでは、大々的に

「これ、記者クラブからの贈り物です」

とお渡しするには小さすぎる。なにかもう一品欲しい。

ある日、渋谷の東急ハンズを歩いていた。ふと目にとまったものがある。

「あなたの写真をジグソーパズルに!」

これだ、と思った。章一郎さんが気に入っている写真をジグソーパズルにしてやれ!
トヨタ自動車の広報を訪れ、記者クラブと行動を共にしている写真で章一郎さんが気に入っているものはないかと聞いた。すると、なんと私が撮った写真がお気に入りだという。私は写真が得意ではない。これは広報の担当者が私に気を使ってくれたのかもしれない。
それはそれとして、私が持っている写真でいいのなら直ちに作業に取りかかれる。

こうして2つの記念品が揃った。当日、楽しくワインを流し込んだのは言うまでもない。

以上が、私の記憶に残っている豊田章一郎さんである。記者として癒着しすぎだとのご批判もあろう。しかし、経団連会長としての章一郎さんを名指しで批判する記事も書いて広報に文句を言われた私である。敬意は持っていたが、癒着したとは全く思っていないことをお断りしておく。

なお、送別会の費用は記者1人1万5000円だったと書いた。このような会では参加費用はポケットマネーから出すのが常識だと思うが、当時のNHKの記者は1万5000円出しながら、記者クラブの領収書を求めた。恐らくNHKでは、記者クラブの領収書でも、経費として会社から補填を受けることができるのだろう。
人としての振る舞い、会社としての金の使い方、双方に大変な違和感を持ったことをつけ加えておく。