02.21
がんが確定しました。重粒子線での治療に挑みます。
昨日はややバタバタして、日誌が途切れてしまった。前立腺がんの話を続けよう。
その昨日、S院長から電話を頂いた。朝10時半頃、車を運転中に車載ディスプレーにS院長の名前が登場した瞬間、
「あれ、この人誰だっけ?」
と戸惑ってしまったのは、私の記憶力の衰えか。あるいは、S院長の医療エッセイを読みふけりながら、電話で話したのは最初の1回だけ。その電話が終わってすぐに連絡先に登録したままだから、ディスプレイでS院長の名を見るのが初めてだったためか。
「はい、Sです。画像診断の結果が出ました。がんです」
先日、S院長が所属する高崎の病院で受けたMRI検診の結果を知らせて下さったのだった。そう言われて、S院長を思い出した。検査結果を約束通り電話で知らせてくれる。病院に呼びつければ診察料が取れるのに。こんなお医者さん、なかなかいない。
この方、率直に「がん」といっておきながら、
「でも、前立腺がんでは死にませんから、安心して下さい」
とフォローされた。がんと告知されてショックを受けているに違いない患者への、医師としての気配りなのだろう。もっとも、私は
「がんです」
にショックを感じることもなく、軽く受け流していたのだが。
前にも書いたが、S院長はご自分でも前立腺がんの持ち主である。そして、糖質制限とびわの種の粉末、青嵩などの服用だけで、治療は何もされていない。さて、私にはどのような指示を出されるのか。自分も患者も同じ生命体と考えておられるのなら
「何もしないでいいですよ」
とおっしゃるだろう。それでも私は、がんと決まった以上、重粒子線の治療を受けようと思っている。それは、ひょっとしたらS院長への裏切り行為ともなり得る。ここは聞いておかねばならない。
「で、治療はどうしてら良いでしょう」
即座に答が戻ってきた。
「重粒子線でいいんじゃないですか? うちの病院には設備がないけどね」
ん? ご自分では何の治療もせず、私には重粒子線をお勧めになる。それは
・患者への気配り
なのか? それとも
・あんたの場合、私よりがんが進行しているから重粒子線で叩いておいた方がいい
というのか?
さて、どっちなのだろう?
いずれにしても、これで重粒子線を使った治療を受けることが確定した。最初に診断を下した桐生市の泌尿器科の病院を通じて、群馬大学病院に予約を入れることになるはずだが、今日は時間がなくて行けなかった。明日出かけることにする。
その最終診断を受けた午後、私はかつての取材先を訪問した。すでに取材は終わり、原稿はアップしてあるのだが、野暮用があった。
野暮用を済ますと、私は受けたばかりの最終診断の話をした。
「実は、前立腺にがんが見つかりました。それで、知人の紹介で、セカンドオピニオンを求めるため、高崎のS院長というお医者さんに会ってきたのですが、面白い人で、まず糖質制限を勧められました。ご自分も前立腺がんの持ち主で、徹底した糖質制限を実行されているようなんですよ」
ま、私はかなりのオープンマインドの持ち主なのだろう。自分にがんが見つかったなどと積極的に話す人はほとんどいないだろうに、私は求められてもいないのにペラペラしゃべってしまう。多分
「あなたも前立腺にがんが見つかってもおかしくない年代なんだから、もしもの時は私の体験を参考にしてよ」
程度のノリなのだと思う。せっかく新しい体験をしているのだから、人の役に立ててもいいではないか。
この取材先、確か75歳である。であれば、前立腺にがんのひとつふたつ持っていてもおかしくない年代である。
すると、思いもしなかった反応が戻ってきた。
「いや、私はね、ずっと糖尿病なんですよ。ええ、いまでも病院に通って薬を飲んでるんだが、その医者が80を過ぎてね。『もう仕事が辛くなった。必要な薬はメモしてあげるから、ほかの医者にいってよ』といわれてるんです」
へーっ、糖尿病。だったら、糖質を制限しないと。
「S院長は、きっと糖質を一切断て、といわれるはずです。血糖値が高いのなら、まず糖を体内に入れないようにしないと」
と思わず口にした。
「昔ね、医者に勧められて私もやったんです。体重が99㎏にまで増えて、『あんた、ご飯もパンも麺類もやめなさい。肉を食べなさい』といわれて、本当に1週間、夜は焼き肉屋に通って腹一杯肉を食べ、ご飯はとらなかったんですよ。その医者は午後6時までは炭水化物をとっていいということだったので、糖質をとらなかったのは夕食だけですが、何とあなた、それだけで体重が9㎏も減ったんです! それを見て安心しちゃってまたご飯を食べ始め、リバウンドしましたけどね」
ほう、糖質制限を勧める医者がほかにもいたのか。
「それじゃあKさん(取材先の名)、あなたはS院長に会われた方がいい。糖尿病には糖質制限が欠かせないことを説得力を持って話してくれますよ。まず、これから戻って、S院長が書かれた医療エッセイの糖尿病に関わるものだけをメールに添付してあなたに送ります。S院長には、あなたを紹介していいかどうかを問い合わせてみます」
そしてその夜、私はS院長にメールを書いた。長年糖尿病を抱えている知人がいるが、紹介していいですか?
「いつでもどうぞ。お電話でも、実際にクリニックにおいでになっても結構です」
というメールが戻ってきたのはその夜である。電話で話しても診察料を取れるはずはない。それでもかまわないというS院長は、
医は仁術
という言葉を思い出させてくれるお医者さんである。
昨夜は飲み会で帰宅したのは午後11時頃だったが、すぐにKさんに電話をして了解を得たと伝え、今朝、S院長の形態電話mp番号を伝えた。Kさんは今日S院長に電話を入れたそうで、
「何と、30分以上も話しちゃいました。私の糖尿病治療の話をしたら『あなたはいい医者にあたった。良かったね。ほかの医者なら今頃は……』っていわれまして」
と、電話から嬉しそうな声が聞こえた。近日中に診察を受けに行ってくるそうだ。
年寄りの話の1つのパターンは、病気自慢である。だれかが
「俺、〇と△が悪くて」
と話し出すと、別の1人が
「そんなモン、たいしたことはない。俺はな……」
とより重大な病気を抱えていることを語り出す。その話が終わると、別の1人が
「そんなモン、たいしたことはない。俺はな……」
がと語り出して、自分の方がより重篤な病を抱えていることを自慢する。あるいは自分の病気の重さを競い合う。重い病であれば身罷るのも早かろうに、どうしてそんなことを競い合い、自慢し合うのか? そんなに早死にしたいのか? 人間の愚かさの典型である。
だから私は、そんな話が始まると、努めて話題を変えようと努めてきた。その私が自分の病をオープンにするのは決して病自慢ではない。何事も「秘す」には努力がいるもので、オープンにした方が楽だというのが私の主義である。それをかつて「フリチン主義」としてご紹介したこともあるが、さて、覚えていて下さる読者が、果たしてどれだけいるか?
それに、ひょっとしたら人のお役に立てるかも知れないと考えるのも私のオープンマインドの支えである。
Kさんのケースは、私の主義が少しは役に立ったのかな? という実例である。
S院長は
「これまで約300人の糖尿病患者さんに多忙な外来の時間をさいて、糖質制限の有効性と安全性を説得し(ひとり30分もかかります)、ほぼ95%の患者さんは納得し、実行しています」
とエッセイに書かれている。KさんがS院長に会うことで、1日も早く健康体を取り戻されればいい、と思っている。もちろん、私に巣くっているがん細胞を退治するのも私にとっては貞節なことだ。
当面、Kさんと病克服競争をすることになるようである。