05.03
かなりの昔話ですが……。
突然だが。
「大道君、君はまだ シャツの下に肌着を着ているのかね。お洒落じゃないなあ。若いんだからもっとお洒落しなくちゃ」
まだ30歳を少し過ぎたばかりの私にそう言ったのは、名古屋市にある名鉄百貨店の副社長だった。当時私は名古屋本社勤務。経済部の流通業界担当で、松坂屋、名鉄百貨店、丸栄、名古屋三越といった百貨店、それにスーパー・ユニーなどをグルグル回り、何かニュースになる話を聞き出すのが仕事である。
とはいえ、ニュースってやつは、いつもゴロゴロ転がっているののではない。だから顔つなぎも含めて各社の幹部に会いに行くのだが、まあ、おおむねは雑談をしに行くようなものである。
この時もそうだった。この副社長はいろんなことを教えてくれる人で、私の大切な取材先の1人だった。
なぜ話題が肌着の話なったのか、今となっては記憶がない。
しかし、だ。ねえ、副社長。あなたは偉い人で私より年上、様々な経験を積み重ね、物販の一翼を担う。だから、ファッションについては私よりも詳しいだろう。でも、 シャツの下に肌着を着るのは常識ではないか? 私は今まで、肌着なしでシャツを着たことはないぞ。
「あのね、君は知らないかも知れないが、欧米ではシャツは下着なんだよ。下着の下に下着は着ない。素肌にシャツを着るのが紳士の身だしなみというものだ」
そう言われて、改めて副社長を見た。なるほど、スーツの下にシャツを着ている。よくよく見ると、白地のシャツの生地をすかして肌の色が薄らと見える。へーっ、この人、本当に素肌にシャツを着てるんだ! でも、汗をかいたらベトベトになって気持ちが悪いんじゃないの? シャツを通った汗がスーツにも染み込んで、スーツが傷むんじゃないの?
だが、である。私はまだまだ色気たっぷりの30歳チョイの男であった。そうか、素肌にシャツを着るのがお洒落なのか。欧米では常識なのか。
翌日から、私は素肌にシャツを着始めた。肌着を着ている同僚には
「君、お洒落じゃないね。シャツってのはね……」
とお説教を始めた。
いまでこそ、伊達者を気取るより気持ちの良さを選択した方が心地よいという結論に達し、私はシャツの下に肌着を常用している。だが、一度捨てた肌着を再び身につけ始めたのは、さて、いくつの時だったろう? 50歳を過ぎていたか? ずいぶん長い間、色男を気取ったものである。
こんな昔話を思い出したのは、いま度読みつつある「反逆の神話 『反体制』はカネになる」(ジョセフ・ヒース&アンドルー・ポター著、早川書房)の一節に、面白い話があったからだ。その部分を引用する。
「男性が服装にもっとお金を使うようになったきっかけは、やはり反逆者のスタイルだった。クラーク・ゲーブルが『ある夜の出来事』にアンダーシャツを着ないで登場して、このスタイルの先駆けとなった。数週間とたたぬうちに、この新しい、これまでより大胆な装いは、北米中の男性に爆発的なブームを巻き起こした。衣料品メーカーは程なくこの点に目をつけた。男性はシャツを洗濯する回数を減らすためにアンダーシャツを着ていた。それでシャツの寿命はずいぶんと延びた。アンダーシャツを着ないということは、これまでクロゼットに3枚の上質なシャツと1ダースの安物シャツを持っていればよかったのに対し、現代の男性は1ダースの上質なシャツが必要になるのだ」
「ある世の出来事」は「シネマらかす」で書いた。気になる方はこちらをご覧頂きたい。
そうなのか。この映画でのクラーク・ゲーブルの身だしなみが、肌着追放のきっかけだったのか。この映画、難度も見返して原稿を書いたのだが、さて、クラーク・ゲーブルが素肌にシャツを着るシーンは全く記憶にない。
にしても、だ。この映画、1934年の公開である。この映画がきっかけでアメリカの男どもが肌着を捨てたのは、私が生まれる15年も前ではないか。それなのに、私は30歳を過ぎるまで、シャツの下には肌着を着るものだと思い込んでいた。合わせれば半世紀近く、私のファッションは田舎っぺであったわけだ。ふむ。
そして思うこと。
ファッションとはやせ我慢であると誰かに聞いた記憶がある。ファッションの基本は季節を先取りすること。まだ残暑の季節に秋物を身につけ、冬の寒さが尾を引く季節に薄い春物を着て闊歩する。それが基本だというのである。着飾るとはなかなかに辛いことなのだ。
それに加えて、ファッショナブルとは、
「私は金持であるぞ!」
と衣服を通じて発信することでもあるらしい。だって、肌着を着ることで同じシャツを何日も着続ければ洗濯代が浮くし、生地の傷みも少ない。みんながそうしている時に、
「俺は毎日シャツを洗濯に出してるし、シャツに投下している金だってみんなの3倍から5倍さ。これ、金がなくっちゃ出来ないんだよね」
といいたくて、素肌が透けて見えるシャツの着こなしをするのだから。
あ、そういえば今のお洒落場ブランドもので実を飾り立てることらしいから、ま、ファッショナブルに装うには金がかかることは昔も今も一緒なのか。
シャツの下に肌着を着ないと私に教えた副社長の名前をなかなか思い出せなかったが、多分、井上さんだったと思う。次の社長と言われながら、副社長職のまま亡くなられた。名古屋・八事のご自宅までお通夜に伺った記憶がある。覚王山のお寺で執り行われたこの方の葬儀には数千人が参列して長い列を作り、故人の遺徳を偲ばせた。
それにしても井上さん、あなた、このファッションの起源がクラーク・ゲーブルだったことをご存知でした? 欧米でも、たかだか1934年以降に流行したにすぎないことを知ってましたか?
井上さんよりずっと長く生きることになってしまった私は、多分、井上さんが知らなかったことまで知ってしまった。ま、そのうちあの世とやらで再会するのでしょう。その時教えてあげますから、待っていて下さいな。