05.21
私と朝日新聞 記者以前の3 初めての原稿
「さて君たち、これから新聞の原稿を書いてもらう。故郷の皆さんに、君たちがアメリカでどんな体験しているかを知っていただくのだから、念を入れて書きなさいよ」
我々10人を引率していた長谷川さんがそんな「業務命令」を出したのは、確かヨセミテ公園で宿泊した日のことだった。
この日までに私たちはサンフランシスコ、ロサンゼルスと回り、日系人の歓待を受けたり、サンフランシスコの新聞少年と一緒に新聞配達をしたり、ディズニーランドで遊んだり、という日程をこなしていた。
しかし、である。新聞の原稿? そんなこと、これまで一度も聞いたことはないぞ! そもそも、選抜試験に作文はなかったじゃない。私たちに作文応力があるとどうして分かるの?
「書かなくちゃダメですか?」
「うん、書いてもらう」
「だけど……」
「君たちが書いた原稿には私が筆を入れて新聞に載せてもいいものに仕上げるから、心配することはないよ。思った通りを文章にしなさい」
そうまで言われると、拒否する理由は思いつけない。いま考えれば、朝日新聞として金を使って10人をアメリカに遊ばせているのである。であれば、この事実を宣伝材料に使わない手はない。私たちは一面、CMタレントであったわけだ。
10人はそれぞれのバンガローに戻り、原稿用紙に向かい合った。
「大道君、ちょっと来たまえ」
長谷川さんの呼び出しを受けたのは、書き上げた作文、いや原稿を提出して間もなくのことだった。
「何だね君、この原稿は」
長谷川さんの顔にやや怒りが見える。思った通りを書けば良い。そう言われた私は、記憶に寄れば、疲れた、日程の組み方に問題がある、という趣旨の文章を書いていた。毎日ぎゅうぎゅう詰めの日程に疲労が蓄積していたのだ。初めて踏むアメリカの地に感じたことも楽しい思いをしたこともたくさんあったが、それよりも何よりも、疲れがたまっていたのだ。思った通りに書いたら、そんな原稿になったのである。
「あのね、この文章は、君の故郷で『大道君はどんなアメリカ体験をしているのかな?』と期待している人たちに読んでもらうものだ。その人たちが、疲れた、日程に無理がある、という君の原稿を読んだらどんな気持ちになる? 君、読む人のことを考えて文章を書かなきゃダメだよ」
ふむ、思った通りに書けと言われた文章も、本音を書いてはいけないのか。田舎の中学3年生の私の常識は世の中ではなかなか通じないらしい。文章とは難しいものである。
そんな厳しい注意を受けた私は、もちろん作文を書き直した。さて何を書いたのか。全く記憶にない。もちろん、2回目の作文も思った通りに書いたことは疑いないが、1番目に思ったことは押し入れに仕舞い込み、2番目に思ったことを書いたからかも知れない。
この原稿、私は九州の代表としてアメリカに来ているのだから、九州で配られた朝日新聞に掲載されたはずである。数十万人の読者の目に触れた(読まれはしなかったかも知れないが)はずだ。これが、いってみれば、私の朝日新聞初原稿である。
無論この時、私が将来朝日新聞記者という道を選び、職業として新聞の原稿を書くなどということは思ってもみなかった。頭の片隅にでも、将来の道としてあったらもう少しまともな原稿を書いて、長谷川さんに
『君、原稿が上手だね。どうだ、大学を出たら朝日に来ないか?」
と言わせるような工夫をしていたはずである。
いや、いまでも私の文章はこの程度だから、中学3年の私にプロの目にとまるような上等な作文が書けたはずはないか……。
折角である。当時の写真を何枚かお目にかけよう。