2023
06.11

私と朝日新聞 津支局の3 あんた、何学部?

らかす日誌

人は変わる。誰でも変わる。それを進歩というか、堕落というかは評価する人の自由である。そして、私も変わった。あれほど毛嫌いしていたお巡りさんと、何となく仲良くなりはじめたのである。

いま警察署は、副所長席のまわりを除けば立ち入り禁止区域である。勝手に刑事課、交通課などに入っていこうとすると、

「それは困ります」

と阻止される。
だが、私が津市で署回りをしていた頃は、どこに出入りしようと自由だった。いつの間にか警察署は「自由からの逃走」をやらかしたようである。誰の目にも触れないところで捜査が行われる。民主警察という言葉は死語になったらしい。

さて、出入り自由なら勝手に出入りするのが新聞記者である。そもそも広報担当の副所長さんは、担当課からの報告を待って私たち記者に広報する。だから報告されたこと以上は知らない。であれば、記者は担当課とよしみを通じねばならない。その方が速く、正確に、詳細に事件を知ることができる。

最初はおずおずと、後にはずかずかと、私は刑事部屋に出入りし始めた。刑事課長といういかめしい肩書きを持ったおじさんがおり、若手から古手までの刑事さんがたむろする。そう、刑事ドラマに出て来るシーンを想像していただければ分かりが早い。

その他に刑事官と呼ばれる役職の人がいた。いつ行っても席に座っているので、何となく話し相手になってくれることが多かった。
口の重い人である。もちろん、捜査中の案件を記者ふぜいにペラペラしゃべる人はそもそも刑事失格なのだろうが、それにしても、何を聞いても木で鼻をくくったような答しか返してくれない。

何度も刑事部屋に通っているうちに、あることに気がついた。
刑事部屋にはあまり大きくない黒板が下げてあった。そこに、逮捕した被疑者の名前、逮捕日時などが白墨で書き込まれている。部屋に入ればいつも目にするのだが、ある時、記入された被疑者が2、3日すると消えていることに気が付いた。なんで消されているのだろう?

疑問は一刻も早く解決するにこしたことはない。私は刑事官に

「どうして?」

と素直に聞いたのである。

刑事官は大きな眼をむき出しにして私を見た。

「あんた、記者さんだから大学を出ているんだろうが、何学部かね?」

ご下問には答えねばならない。

「はい、法学部です。ま、私の場合は、あ・ほう学部ですが」

刑事官の目の色がやや変わった。

「だったらあんた、刑事訴訟法は勉強したんだろう」

「ええ、訴訟物理論とか、一応本は読みましたが」

「だったら刑事訴訟法で逮捕拘留は最大72時間と決まっているのを知らないのか?」

えっ、そんなことが刑事訴訟法で決まってるの?

「だから遅くとも72時間後には送検するか釈放するかを決めなければならん。釈放するのは拘留中に容疑をかためきれない時だ。あんた、そんなことも知らないで、本当に法学部を出たんか?」

ほう、私は一応弁護士を目指していたのだが、そんなことはちっとも知らなかった。ということは、あのまま法律の勉強を続けていても司法試験には通らなかったということか?

刑事部屋でそんな屈辱を味わいながら、だが、警察が扱う事件・事故で最も多いのは交通事故である。これは交通課の皆さんにも挨拶をしておかねばならない。交通課にずかずか入っていくと

「初めまして。こんどこちらの担当になった大道と申します」

と挨拶して回った。
それからしばらくして異変が起きた。交通事故の現場に駆けつけると、お巡りさんが

「おお、来たか、こっち、こっち。いいよ、入ってきなよ」

と立ち入り禁止テープの内側に招いてくれるのである。えっ、このテープって、ここから先には入るな、という印じゃないの?

「いいよ、いいよ、あんたなら。ほら、写真撮るんだろ? こっちから撮った方が迫力が出るよ。何なら俺が、現場を指さしていようか?」

異様な厚遇ぶりである。他社の記者はテープの側までしか寄ることができない。テープ内に入ろうとすると、お巡りさんに止められている。
そんなことが続いた。しかし、何故私は厚遇されるのか? これも聞かねば分からない。ある若手のお巡りさんに問うてみた。

「ああ、それかい。俺さあ、記者さんに名刺をもらったのはあんたが初めてなんだ。ほら、交通課にあんた、新任挨拶に来ただろ。その時、部屋にいた俺たちヒラにまで名刺を出して挨拶してくれた。他の記者さんが挨拶するのは課長だけさ。俺たちが部屋の中にいても無視される。だから、もらった名刺が嬉しくてね」

いやはや、私はこんな結果を期待して名刺を配ったのではない。そもそも名刺は会社が作ってくれるから私の負担はないし、挨拶するのなら課長だけでなく、そこにいる全員にするのが礼儀、常識ではないか? 他社の記者は課長に挨拶したら出ていく? 事故現場で顔を合わせるのは平のお巡りさんばかりなのになあ。それとも、私は記者としては変わっているのか?

私の署回りはそんな風に始まった。