06.15
私と朝日新聞 津支局の7 子どもと遊ぶ
津で私は1度引っ越しをしている。
最初に入ったのは、支局のHデスクが事前に探してくれていた部屋だった。台所と4畳半、6畳が一直線に並んで狭い。玄関を開けると向こうの端まで全部見えてしまう。そこに、親子3人で住んだ。
引っ越した先は、転勤した先輩が住んでいたアパートだ。
「飯を食いにおいで」
と招かれ、杯を交わしているうちに、その広さが羨ましくなった。ダイニングキッチンに6畳間が2つ、そして4畳半。そう、あの泥棒に入られた家である。
「こんなに広い所に住めていいですね」
と話すと、
「じゃあ、俺たちが引っ越したらここに住めばいい」
と言われ、その通りになった。
以下は最初の狭苦しい家にいた頃の話である。
新聞記者の休日は不規則だ。月曜の朝刊を出すには日曜日に働く人が必要である。だから、土曜出番、日曜出番がしょっちゅう回ってきた。そのかわり、平日に休みが巡ってくる。休みでも大事件、大事故が起きれば召集がかかるが、そんなことは滅多にない。
狭苦しい家は、住みにくかった。夜遅く帰ると、妻女殿は昼間の子育てで疲労困憊されたのだろう、ぐっすりと眠っていらっしゃる。その横で長男が、火がついたように泣いている。それでも妻女殿の目が醒めないと言うことは余程披露が募っているのに違いない。
おしめかな? 私が点検する。濡れていない。ということは腹が空いたか。湯を沸かしてミルクを作る。少しは飲むが、それでも泣き止まない。幼児にとっては泣くのも運動ではあろうが、この深夜に大きな鳴き声は近所迷惑である。
私は長男を抱き、散歩に出る。歩きながら背中を軽く叩き続けているうちに、やっと長男が寝てくれる。私が眠るのは寝入った息子を布団に寝かせつけてからである。
そんな狭い家である。よちよち歩きを始めた長男を見ながら、私は
「こんな狭い家では運動不足になるわなあ」
と考えた。狭い家では歩き出せばすぐに行き止まりだ。どうするか?
平日の休日、私は長男を車に乗せ、津署に向かった。2人で署内に入ると、
「さあ、思い切り走り回ってこい!」
と放り出したのである。
警察署の床を埋めているのは沢山のスチール製デスクである。長男の身長はまだ机の高さに及んでいない。自宅ならちゃぶ台など背の低い家具も並んでおり、躓いてちゃぶ台の角で頭を打つなどの事故が起きかねない。しかし、ここならその心配はない。見張っておかねばならないのはソファぐらいである。
それに、ここで立ち働いているのはお巡りさんである。市民の安全を守る仕事に従事されている方々である。であれば、よちよち歩きの幼児の安全を確保してくれるのは当たり前ではないか。
「この子、君の息子か。可愛いな」
と言いながら抱き上げてくれる人がいる
「いない、いない、バー」
とあやしてくれる人がいる。そして私は副所長さんと雑談の花を咲かせている!
いま思い返せば、可愛い我が子を利用して警察に食い込もうという下衆な魂胆もあったのかもしれないとも思うが、当時の私は子どもを伸び伸びと走り回らせ、あわせて仕事ができる素晴らしいアイデアだとしか思わなかった。
しかし、あの頃私の長男と付き合ってくれたお巡りさんたちは、どんな思いを抱いていらっしゃったのだろう?
1時間ほど署内で遊ばせると、私は津署裏の城跡公園に長男を連れて行った。今度は屋内ではなく、太陽の下で子どもを遊ばせようというのだ。遊具が備わっていたかどうかは記憶がない。しかし、歩き始めた幼児にとっては、歩くこと、走ることが何より嬉しいのだ。遊具なんてどうでもいいのだ。
休日。昼前まで2人で警察署に遊びに行き、帰宅して昼食。そんなことを繰り返していた。
さて、私のように警察署を活用していた記者が他にいたのかどうか。私の狭い交流範囲では
「お、俺もやってたぞ!」
という方にはお目にかかったことがない。私はあの頃から少々変わり者だったようである。