06.16
私と朝日新聞 津支局の8 支局生活
私が麻雀という遊びを覚えたのは津支局に行ってからである。大学時代に覚えたという人が多いようだが、私の学生生活にはそんな遊びをしている時間はなかった。日々の暮らしのためにアルバイトに精を出さねばならなかったからだ。
それに、私は賭け事が苦手である。
高校を卒業した頃、友人に誘われてパチンコをしたことがある。いまのような電動式ではなく、1発1発手で玉をはじかなければならない時代のことだ。撃ち出した玉が勢いよく最上部まで駆け上がり、沢山の釘にはじかれながら落下する。多くは一番下の穴に吸い込まれるが、いくつかは途中の穴に落ち、
ジャラジャラジャラ
という感じでご褒美の玉が出てくる。
友人はこの遊びが楽しいようだ。しかし、私はちっとも楽しくなかった。なんでこんなことに金を使わねばならん? 同じ金を使うのなら美味いものでも食った方がよっぽどましではないか。だからその後、1人でパチンコ屋に入ったことはない(1度だけ、どこかに出張に行って時間つぶしのために入ったような気もするが、記憶は曖昧である)。
面白くない。恐らく、私はお金をかけることが好きではないのだ。そりゃあ、賭け事に勝って予期せぬ金が入ってくるのは誰しも嬉しいだろう。だが、私は勝つことより、負けることを先に考える性格らしいのだ。子ども時代の貧困のせいかもしれない。
賭け事=負ける
という公式が頭の根底にこびりついているのである。
そんな私の長男は高校時代、学校近くのパチンコ屋の常連だったらしい。パチンコで小遣いを稼いでいたのだとか。賭け事嫌いの私の息子のくせに、パチンコにはまり、しかも小遣いを稼ぎ出していたとはメンデルの遺伝の法則に反しているような気もするが……。
そんな私が新聞記者になって赴任した津支局では毎晩のように麻雀パイがかき混ぜられていた。いや、次の岐阜支局でも同じだったから、新聞記者=麻雀で遊ぶ、というのもひとつの公式だったようである。
私は麻雀をしない。だからルールも知らない。しかし支局の先輩方は夜ごとにチー、とかポンとかやっている。みんなが麻雀卓の周りに集まっているから、私には話し相手もいない。やむなく、私も麻雀の観衆に加わるようになった。
楽しそうである。何でも1000点100円でお金をかけているらしい。しかし、目の前に積まれた牌の山から1枚ずつ取っては手持ちの1枚を前に出す。何だか牌をそろえているらしいが、いったいこの人たち、何をしてるんだ?
どれくらい日にちがたってからだったろう。先輩の1人が
「大道君、見てるだけじゃなくて君もやってみないか」
と声をかけてきた。
「いやあ、僕はやり方を知らないし、見るだけにしておきますよ」
当然、ここは断る。私は賭け事が嫌いなのだ。
「教えてやるよ。新聞記者なんだから麻雀ぐらいできなくてどうする!」
やっぱりこの人たちの頭には、新聞記者=麻雀、という等式があるらしい。
「覚えたばかりの私がお仲間に入ったら、ずいぶんぼられそうですから怖くて」
「それもそうだな。よし、君が入る時は1000点10円にしよう。10万点負けても1000円だからいいだろう?」
私に麻雀を勧めるのは皆先輩である。ここまで言われたら断る理由を思いつくことなど出来ないではないか。こうして私は麻雀を覚えてしまったのである。
そういう目で見て、記者生活と麻雀は離れがたい関係なのだと後に分かった。津市役所の記者クラブにも麻雀卓があり、三重県警、三重県庁の記者クラブにも麻雀卓が備わっていた。真っ昼間から大の大人が
「あ、それ、ポン」
「メンタンピンドラドラだぁ」
などと嬌声を上げながら麻雀卓を囲んでいる。県警の記者クラブでは、人数が足りないと広報課の課員を引っ張り込んで麻雀に興じる。金をかけた麻雀は立派な賭博罪だと思うのだが、誰もそんなことは気にしていない。
支局では時折麻雀をするようになった私だが、記者クラブでの麻雀に加わった記憶はない。いや、
「真っ昼間から遊んでいて仕事ができるのか!」
というまっとうな理由からではない。何しろ私は麻雀初心者なのだ。記者クラブで他流試合に打って出るようになったらいつも空っぽの財布を抱える羽目になる、と恐れたからである。そう、私は勝負事ではまず負けることを思い描き、だから嫌いなのである。
そういえば支局では、花札を使った「こいこい」もやらされた。誘ってくるのは支局のキーパンチャーである。
キーパンチャーとは私たちが書いて支局長、デスクが手直しした最終原稿を穴あきテープにする仕事である。今ならパソコンのキーボードを叩けば、パソコンがそれを自動変換して文章にしてくれるが、当時はそんな便利な機械はない。日本語は漢字、ひらがな、カタカナと文字の数が実に多い。新聞原稿ともなるとアルファベットや洋数字も使う。それを1文字ずつテープの穴にしていくのだから、操作するキーボードには数百のキーが並び、記憶によると、1つのキーに4つずつ文字が割り振られていた。このキーボードを天才的な速度で叩き続け、できた穴あきテープを機械にかけて電話線で名古屋本社に送信するのが彼らの仕事である。
解説が長くなった。さて、「こいこい」である。
私は弱かった。情けないほど弱かった。あ、またお金を取られた! 時には少しだけ勝つことこともあるのだが、おおむね負けである。しかも負けっぷりは豪快で、トータルすればあのキーパンチャーに何万円、いや何十万円取られたことだろう?
負けることを先に考える私は、できることならやりたくなかった。しかし、小人数で仕事を進める支局である。人間関係は何よりも重視しなければならない。上とぶつかることはあっても、同僚とはツーカーの関係でいなければ仕事がやりにくい。
記者として働き始めて、仕事以外にも様々なことを知らねばならないのが世の中であると思い知った。そして後々、あれほどやりたくなかった麻雀が様々な話題を提供してくれるのだが、それは時を待って書くことにする。