2023
06.17

私と朝日新聞 津支局の9 記者とは不届きな輩である。

らかす日誌

署回り担当とは、管内で発生する事件、事故を取材して原稿にする仕事である。つまり、事件、事故が飯の種なのだ。憧れてなった記者である。できれば原稿は沢山書きたい。自分の書いた記事が活字になって紙面に掲載されるのが快感なのだ。
それ故に、察担当の記者は

治にいて乱を求める

不届きな輩である。管内で平和が続くと、

「暇で暇で退屈だ。事故のひとつぐらい起きろよ!」

と口にしたりする。口にするだけならまだしも、幾分かは本音である。事故が起きても事件が発生しても、必ず犠牲になる人が出る。だから無事故、無事件が世の中の幸せなのに、記者だけは裏街道を行く。一言で言えば、社会病質者である。世の中をよくしたいと思って記者になった私も警察を担当している間は例外ではなかったことを今になって反省している。もう遅いだろうが。

署回りを担当しながら、どうしてもなじめない仕事があった。業界では「がん首集め」といわれる、事件や事故の被害者の顔写真集めである。

交通事故が起きて幼い幼児が犠牲になる。当時の業界の常識では、これは「がん首」が必須な事故である。事故の悲惨さを際立たせるためだと説明されていたが、果たしてそうなのか。これも特ダネ競争と同じで、たんなる記者内でのゲームではなかったか。子どもの死を悼むより遙かに先に、はるかに多き顔写真集めを考える。記者とは人非人の別称かもしれない。

もし自分の子どもが事故死したとする。どこかの記者が来て

「顔写真をお借りしたい」

といっても、私は絶対に写真は貸さない。我が子の死を社会化することに何の意味があるのか? 親である我々夫婦が嘆き悲しむことだけが本当ではないか?

そう思っても、「仕事」である。だから、亡くなった幼児が幼稚園や小学校に通っているとホッとした。幼稚園、学校を訪ねて

「あの子の写真はありませんか?」

と尋ねる。相手は亡くなった子どもの肉親ではない。教え子としてどれほど可愛がっていたとしても、やはり肉親の思い入れとは違う。

「そうですよね。一度ぐらい新聞に顔写真を載せてあげたいですよね」

などと言いながら写真を貸してくれることが多いからである。

しかし、どもにも通っていない。あるいは通い先の幼稚園、小学校に写真がない場合もある。そんな時は、心を鬼にして自宅を訪ねる。
玄関先で追い返されることもある。家に上げていただいたら、

「お線香を上げさせて下さい」

と位牌の前に進み、ポケットから100円でも500円でも取り出して

「申しわけありません。急なことで裸のお金ですが……」

と断って祭壇医に起き、手を合わせる。

「実は」

と顔写真をお願いするのはそれからだ。

「子どもが犠牲になる交通事故を絶滅したい。そのために私たちは記事を書いています。子どもが犠牲になる事故の悲惨さを訴えるには顔写真が必要なのです。お貸し願えないでしょうか?」

総てが嘘とはいわない。だが、新聞記事1本で子どもの事故をなくせるなんて信じていないことも事実だ。そんなを取り混ぜなければ悲嘆にくれるご家族から写真をお借りすることは難しいのである。

そして、写真が手に入ればホッとする。手に入らないと、

「他社が顔写真を掲載していたらどうしよう……」

と心配になる。ご大層な嘘をつきながら、実はサラリーマン記者の身過ぎ世過ぎでしかない。好きで選んだ仕事なのに、この顔写真集めだけは大嫌いだった。

だかららろう。
ある日、先輩記者がくれたアドバイスに、私は愕然とした。

「大ちゃん、数珠持ってる? 僕はいつもポケットに入れてるんだ。いつがん首集めが必要になっても対応できるようにね。君も数珠ぐらい買わなくちゃ」

あ、この人は毎日、いつでも嘘をつく準備をしてるんだ。

新聞記者の鏡かもしれない。周りのの評価も高い有能な記者だった。しかし、私はこんな記者にだけはなるまい、と心に誓った。

顔写真集めと言えば、津署の鑑識課員のお世話になったこともある。一家4人が焼死した火事だった。

火事が発生すれば、記者はできるだけ早く現場に駆けつける。延焼する家屋の写真を撮り、記事をまとめるためである。
最終締め切り(朝刊は確か午前1時20分だった)が過ぎると、緊張感は一旦解ける。そこから考えるのは

「朝刊には記事を送った。4人も死んでいるから夕刊に続報を出さねばならない。何を書こう?」

である。それには現場をもっと良く見なければならない。
そんな時だった。

「大道さん」

と声をかけられた。振り返ると、津署の鑑識課員である。何となく鑑識課に親近感を持ったことはすでに書いたが、この頃になると、仲良くなった課員もいた。

「ああ、どうも。なんかひどい火事ですねえ。4人も亡くなったんですって?」

と当たり障りのない返事をした私に、彼が言った。

「あんたたち、死んだ人の顔写真がいるんでしょう。現場を調べていたらアルバムの焼け残りが出て来てね。濡れてるけど、中の写真はほとんど大丈夫みたいだから、何だった、これ、持って行く?」

えっ? そんな、火事現場で見付かったものを私が持って行っていいの?

「あとで返してくれれば大丈夫だから」

その中からファミリー写真を選び出し、ご近所の方に

「この写真に写っている4人が、焼死された4人に間違いありませんね?」

と確認をして夕刊に掲載した。記憶によると、4人の顔写真を掲載したのは朝日新聞だけだった。

警察権力は人民の敵である! と思いつつ新聞記者になった私なのに、いつの間にかお巡りさんに可愛がられるようになっていた。私は腐敗、堕落したのだろうか?

読者の中に、ひょっとしたら記者志望の方がいらっしゃるかもしれない。その方が、この「らかす」をお読みになったら、記者志望をおやめになるかもしれないなあ、とやや心配である。だが、それは少し待っていただきたい。記者の仕事はそんな嫌なことばかりではない。そもそも最近は、事件・事故で亡くなった方の顔写真を新聞で見ることが減った。

「被害者の顔写真がいる」

というのが、メディアの勝手な思い込みであったことがやっと共通認識になったのだろう。だから、今から記者になれば私のような嫌な思いをすることはないはずだ。

それに、記者には記者でなければ味わえないこともある。それをこれから書いていくつもりだが、しかし、たいした記者ではなかった私に、記者稼業の醍醐味をどこまで伝えることが出来るのかと考えると、やや心許ない。
そんな方はまず、最近では文藝春秋に連載中の「記者は天国に行けない」(清武英利=元読売新聞記者、著)をお勧めする。また、朝日新聞OBの河谷史夫さんも読み応えのある記者の姿を書いておられるし、本田康晴(読売新聞OB)の著作から教えられることは多い。
そして、何よりもお勧めしたいのは深代惇郎さんの天声人語である。深代さんの書いたものは知性とウィットと見識の固まりとしか私の目には見えない。

「俺って、逆立ちしてもこんな記者にはなれないな」

と畏敬の念をもって奉る新聞記者の中で、深代さんはその極北にある、と私は思っている。Amazonで「深代惇郎」と入れれば、著作が出て来る。
記者志望の方もそうでない方も、目を通していただければ嬉しい。

そうそう、やや身内びいきになるが、河谷史夫さんが最近、新著を出された。こちらも是非読んでいただきたい。河谷さんは私の在京時代、飲み仲間だった人である。よろしくお願いします。