06.24
私と朝日新聞 津支局の13 線路のボルトが抜かれた。
久しぶりに三重県警の記者クラブに戻って数日後のことだったと記憶する。愛知県と三重県の県境あたりで鉄道の線路からボルトを抜き去る事件が起きた。どこかの新聞(読売、だったか?)が特ダネで報じた。
その新聞を記者クラブで開きながら
「まあ、俺がいない間に変な事件が起きるものだなあ。これは名古屋本社社会部が抜かれたんだな」
と悠然と構えているところへ支局長から電話が来た。出ると
「すぐに支局に戻ってこい!」
いや、まだ夕刊警戒(何か事件・事故が起きた場合、夕刊に間に合うように取材して原稿を書くために待機すること)の時間なので記者クラブを離れられない、といっても
「そんなことはいいから戻れ!」
何事だ? そこまで命令されたら、あまり顔など見たくない支局長だが従わざるを得ない。
戻ると、
「2階へ上がれ」
との命令だ。支局の1階は仕事場で、全員の机があり、電話があり、原稿を穴あきテープにするためのキーボードがあり、いつも誰かがいる。2階に上がるということは、他の連中には聞かせられない話だということになる。
2階に上がった。
「お前、読売(不確かだが、とりあえず読売にしておく)の朝刊を見たか?」
「ええ、見ました。おかしなことをするヤツもいるものですね」
「現場の一部に三重県も入っている。それは分かっているか」
「はい、読みましたから」
「三重県が事件現場だということは、お前が抜かれたということだ」
「えっ……」
(そんな、あれは名古屋社会部の抜かれでしょう=心の声)
「お前、仕事をする気があるのか?」
「はい、仕事をしたくて朝日に入りましたから」
「だったら、何で抜かれる? やる気がないからだろ。もういい、辞めちまえ。お前、さっさと荷物をまとめてとっとと故郷へ帰れ!」
まあ、無茶苦茶な論理である。いまならパワハラで訴えられても仕方がない専横ぶりである。
ボルト抜きの現場はほとんど愛知県下である。三重県はほんの一部にすぎない。どう見ても名古屋社会部の責任である。そもそも、名古屋社会部には鉄道担当がいるではないか。恐らく第1報はそこからだろう。三重県にはそんな担当はいないし、取材先もないのだぞ。
それに、仮に私に責任の一部があったとしても、私は甲子園から戻ったばかりである。三重県警だって、これから本腰を入れて取材を始めるところである。そんな事情を一切無視して、抜かれたから仕事をやめて故郷に帰れ、だって? ふざけるな!!
というのは心の声である。相手は支局長なのだ。ここは心して嘘をつかねばならない。
「やります。抜き返します。仕事をします。私にやらせて下さい!」
ほうほうの体で県警に戻った。それはいいが、
さて、どの部にいったら話を聞けるのだろう? 公安? 違うな。交通? ま、列車は走っているが、専ら交通事故と取り組む交通部では少しずれる。やっぱり刑事部か?
さて、その後の事件の展開は記憶にない。犯人が捕まったどうかも覚えていない。抜き返した? 多分、抜き返すことはできなかった。だって、列車が走らなくなった真夜中の出来事で目撃者なんているはずがない。だから警察にもほとんど手がかりがない。加えて、愛知県警と三重県警が合同捜査をしたら、愛知県警が主導権喪を持つに決まっている。三重県警を取材する私に特ダネが書けるはずはないのだ。
それにしても、危険な犯罪である。レールは、重量のある列車が轟音をたててその上を走るためにある。ボルトでレール同士、レールと枕木を固定しているから、列車は安全に走ることができる。しかし、固定用ボルトを抜き取ったら? レールがグラグラ揺れ、重量に耐えかねてずれたりすれば転覆事故が起きかねない。
三重県警は(多分、愛知県警も)警戒を強めた。だが、その後も数度、ボルトが抜かれた。時は年末にいたり、三重県警は年末、愛知県に近い鉄道のレールを連日巡回した。レールに沿って歩きながら、ボルトが抜かれていないか確かめるのである。年末の冷たい風に吹きさらされながら、懐中電灯を持ったお巡りさんが5、6人で歩く。新聞記者である私も、一緒に歩いた。ストロボを付けたカメラで写真を撮った。そして、記事にした。
犯人の目星は一向につかないらしい。いつまで続く泥濘よ。
こうして私の1976年は暮れた。