06.27
私と朝日新聞 津支局の16 佐々淳行本部長
私が三重県警を担当した時、県警本部長は佐々淳行さんだった。警察庁のキャリア組で、普通なら三重県あたりの県警本部長になる人ではない。たまたま1975年、三重県で国体が開かれ、まだ過激派の生き残りの動静が懸念されたことから、特別措置として本部長に就任したと聞いた。1969年1月の東大安田講堂事件、1972年2月に浅間山荘事件で指揮を執ったことで著名な人である。
学生時代の私から見れば、学生運動を弾圧する敵権力の最前線にいた人物である。だが、何とも魅力に溢れた人だった。私たち記者と会っても、実にフランクに話を聞かせてくれた。
「大道さん、県警本部長の給料って知ってますか? 24万円(と記憶する)しかないんですよ。部下には私よりはるかに高い月給を取っている人もいる。高給取りの部課を指揮するなんて、何だか変ですよね」
そんな話が、何のてらいもなく口から出る。
「実は、私の兄が朝日新聞にいましてね。朝日って、ほら、社主の村山家とサラリーマン重役の対立があるでしょ。兄は村山派でずいぶん虐められましてね。そうそう、こんなことがありました……」
私の知らない朝日新聞の内情を語ってくれたこともある。
その日だったと思う。私は県警本部長官舎に夜回りに行き、佐々さんの話を伺っていた。佐々家はミニチュアダックスフンドを飼っていた。人なつこい犬で、行けば必ず私の膝の上に飛び乗る。その日も私の膝で遊んでいたが、いつもと少し様子が違う。私のズボンをしきりに攻撃していたのである。
最初は気にもしなかったが、あまりに攻撃が続くので犬を抱き上げた。すると、なんと私のズボンに大きな穴が空いているではないか! 先程からの攻撃は、我がズボンを噛み破るのが目的だったらしい。ひょっとしたら食べこぼしがあって、犬の食欲を誘う臭いでもしていたのか。
「あれ、穴があいちゃってる!」
思わず声が出た。
「あ、ホントだ、いや、こいつは悪戯好きでね」
飼い犬がしでかしたいたずらに、謝罪はない。私と一緒に大笑いするだけである。
だが、何とも心地よい笑いだった。これっぽっちも
「弁償してよ」
などと言い出す気にはならなかった。彼の人徳だろう。
佐々本部長とはすっかり打ち解けた仲になった。だから、県警でもよく本部長室に出入りした。そのたびに面白い話を聞かせてくれる。
ある日、
「こんにちは」
といつものように本部長室に入った。
「やあ、いらっしゃい」
と席を立ってソファに向かう佐々さんは、歩きながら話し出した。
「いやあ、三重県の人って、犯罪を犯すにしても何だか間が抜けてますね」
ん? いったい何の話だ? 最近、新しい事件が起きたとは聞いてないが。
「実はね、いま内偵中なんだが……」
この先がどんな話だったかは、残念ながら私の脳裏から消え失せている。しかし、佐々本部長は事件の概要を話してくれた。「さんずい」である。記者の取材意欲に火を点ける事件である。
1時間ほど話を聞くと、私は刑事部長室を訪れた。
「何か、〇〇方面で面白い事件をやってるんですってね」
こんな時、事件の内容を話す必要はない。この程度の誘い水を出せば十分である。
「おっ、あんた、早耳だね。どこで聞いた?」
口が裂けても
「本部長」
とはいわない。本部長は全国のキャリア組。刑事部長は地元の成り上がり組である。心情的にはしっくりいかないこともあるだろう。本部長に聞いたといえば反発を買って口を閉ざされかねない。
「いやだなあ。取材源を秘匿するのは記者の義務じゃありませんか。言えないですよ、そんなこと。それより、あの事件のこのあたりはどうなってるんです? そこが分からなくて」
佐々本部長に聞いた話は事件の概要である。記事にするには細部を詰めなければならない。
「うーん、まだ全容は言えないんだけどね。でも、その件なら……」
こうして少しずつ細部を詰めていく。刑事部長が終われば捜査2課長だ。
「課長、いい事件をやってるんだって?」
これも話のきっかけ作りである。
「あ、いや、その……」
この2課長は地元の人ではない。警察庁のノンキャリアで、全国の県警を回っている。県警本部長と似たような立場で、彼の人事は本部長が警察庁へ上げる評価・報告であらかた決まる。だから、こんな突っ込みをする。
「いや、本部長が『これは大白い事件だ』ってずいぶん期待していましたよ。それでだけど、事件のこのあたりはどんな構造になっているんですか?」
本部長に高く評価されたい。本部長が話したのなら、私が少し味付けをしてやってもいいのではないか。それがこの記者から本部長の耳に届けば……。こうして口が緩む。少しずつ、取材先の立場を利用しながらデータを集める。
それぞれの記者が、それぞれの方法で取材を進めているだろう。以上はたまたまいい関係が築けた本部長がいて成りたった取材の一例である。
前回書いた飲酒運転もそうだが、新聞記者はあの手この手で人の口を開こうとする。あまりまっとうな仕事ではないようにも思えてくる。
確か、あの事件は特ダネにできたはずである。