2023
06.26

私と朝日新聞 津支局の15 飲酒運転

らかす日誌

警察取材の華は汚職事件だろう。政治家、実業家、高級官僚など日頃権勢をふるって偉っそうな顔をしているヤツらがお縄になる。東京五輪汚職でもそうだったが、そんな連中が捕まると胸がスッとする思いがする。警察、記者仲間はそんな事件を「さんずい」と呼ぶ。

もっとも、裁判で有罪が確定するまでは被疑者、被告人は無罪と推定しなければならない、という報道の原理原則がある。しかし、新聞記者も人の子だ。巨悪を暴く捜査が始まれば、取材に熱が入る。

報道にはもう1つ原則がある。常に中立でなければならない。当事者双方、事件の場合は摘発した警察、摘発された被疑者の双方に取材して偏りがない記事にしなければならない。いくら胸がスッとしたからといって、その原則を曲げてはいけない、と思う。ところが、事件の取材では守れない。
警察が強制捜査に入る前に取材を始めようとすれば、

「待て。お前はこの事件をつぶす気か!」

と怒られる。被疑者に気づかれる前に捜査を詰める。そうしなければ証拠を隠してしまう恐れがある、というのだ。ふむ、これは頷ける。
しかし、警察が逮捕してしまえば、逮捕された被疑者に会うことはできず、その言い分を聞く機会はない。伝わってくるのは、取り調べの過程で被疑者が話したことの断片程度である。

これでは公平、客観的な報道はできるはずがない。事件取材の造的な問題である。だから、冤罪事件でメディアが加害者になってしまっていた、ということも起きてしまう。

では、報道しないのか? それも難しかろう。あちらを立てればこちらが立たず、というどうにも落ち着きどころのないところで記者は取材せざるを得ない。しかも、取材するとなれば取材競争に負けるわけにはいかない。勢い、記者は情報乞食と化す。

三重県警を担当中に、何度か「さんずい」の取材をした。情報を持っているのはお巡りさんだけ。しかも被疑者の取調べに当たっているお巡りさんが一番先に事実を知る。取材はそんな捜査官に向く。

ある日、捜査2課の係長宅に夜回りに行った。「さんずい」がある度に訪れたところである。着いたのは夜9時半頃だった。玄関の戸を開けて名乗ると、

「おお、大道君か。上がってこい」

と声がかかった。喜んであげていただく。
お巡りさんの所得はそれほど高くない。障子を枚開けると、居間兼食堂である。低い食卓の前に座った係長は食事の最中だった。この日も決行遅くまで被疑者を取り調べ、この時間になってやっと夕食にありついたのだろう。

「あ、お食事中ですか。じゃあ、外で少し時間をつぶしてまた来ます」

と遠慮すると、

「まあ、いいがな。そこに座れよ」

と勧められ、私も食卓に着いた。

「で、どこまで調べは進みました?」

のっけから、こんな本題を持ち出す記者は無能である。当たり障りのない世間話をして相手の口を軽くし、やおら聞きたいことを聞くのがベテランだろう。私はまだ、その域に達していなかった。

「ま、それはいいがな。おい、俺は酒を飲みながら飯を食ってる。君も付き合え」

「いや、私は夕食は済ませてきましたので」

「あ、そうか。だったら酒を付き合え。ほら、どれがいい?」

係長は蕎麦のサイドボードを開けた。割と高価なウイスキーが5、6本並んでいた。へえ、お巡りさんでもこんないい酒を飲んでるんだ。

「うん、折角来てくれたんだからこれを開けようかな」

係長は1本取り出した。

「ちょ、ちょっと待って下さい。私は車を運転してきています。ここでウイスキーを頂けば、帰りは飲酒運転になってしまいます」

「まあ、少しぐらいいいじゃないか。君、そのでかい体だから酒は強いんだろ?」

「係長、もしも、ですよ。もしも私がウイスキーを頂いて、帰りに事故でも起こしたらどうします? 交通のお巡りさんに『どこで酒を飲んだ?』と聞かれたら、あなたの名前を出すしかないじゃないですか。そうしたらあなたの立場が難しくなるでしょう?」

必死の防戦である。

「ああ、そうか。うん、俺の酒が飲めないんだったら帰ってくれ。今すぐ帰れ! お前に話すことなんか何にもない!」

ねえ、皆さん、こんな状況に直面したら、あなたはどうします? 飲みます? 追い出されます?
私は意を決した。私は取材に来ているのである。話を聞かずに変えるわけにはいかない。

「ま、確かに俺は酒に強い。ウイスキーの1、2杯なら問題ないはずだ」

と割り切ったのである。
お巡りさんに強制された新酒運転をしたのは、ひょっとしたら私ぐらいかもしれない。

グラスにウイスキーを注いで頂くと、係長は上機嫌であった。恐らく、取り調べが山を越したのだろう。だから1人酒を飲みながら自分を癒やしていたら、私が乱入した。よし、こいつを酒の肴にして酒の味を一段とよくしてやろうじゃないか、とでも思ったのではないか。

だから、口が軽かった。確かその日、スラスラと事件の全貌を語ってくれたように思う。

酒を飲みながらでも、事件の流れ、筋道はおおむね頭に入る。しかし、困るのは固有名詞である。事件に関係した会社名、新たな被疑者の名前、年齢、住所、職業、重要な日付、特定の場所……。新聞記事がこれらの細かな情報から成りたっている以上、間違ったら命取りである。しかし、それをすべて頭に刻み込むのは難しい。メモ帳を取り出したら話の腰を折りそうだ。こんな時、あなたならどうします?

私はこうした。

「すみません。ちょっとトレを貸して下さい」

尿意を装ってトイレに入る。そこでボールペンを取り出し、左の掌に、間違ってはならない固有名刺を書き付けるのである。書き終わると、何食わぬ顔をして席に戻る。左の掌を係長に晒さないのはいうまでもない。

そんな取材を何度繰り返しただろう。何度かは特ダネを書いたはずである。その数に劣らぬぐらい抜かれた(他社に先に書かれた)ことも書いておかなくては間違った印象を与えてしまう。

朝日新聞が警察が摘発した件の特ダネを掲載したからといって世の中が変わったか? 変わらない。抜かれたからといって世の中が変わったか。変わらない。
警察担当記者とは、事件をより広い視点で見つめ直し、もっと社会の底辺をえぐるような取材をする志向を持たない限り、単なる情報取りゲームを続けているだけの存在だと思う。そして当時の私には、そんな広い視野はなかった。

そうそう、私は幸い、飲酒運転で事故を起こしたことはない。そしてこの数十年、酒を飲んだらハンドルは握らない暮らしを続けていることを付け加えておく。