2023
08.04

私と朝日新聞 名古屋本社経済部の1 取材先はお年寄りばかり……

らかす日誌

名古屋で住まったのは東名高速名古屋インターからほど近い千種区星ヶ丘の朝日新聞借り上げ住宅だった。5階建てのマンション(アパート?)の1階端の部屋で、近くに三越星ヶ丘店(当時はオリエンタル中村星ヶ丘店、だったかもしれない)があり。東山動物園までは地下鉄で一駅だ。間取りは3DK。まだ子どもは2人だったから、広さは十分だった。

だが、1つだけとんでもないことがあった。浴場に脱衣場がないのである。風呂場はダイニングに隣接しており、服はダイニングで脱いで風呂に入ることになる。なんでこんな間取りにしたのか、なんでこんな部屋を朝日新聞は借りたのか。何とも不思議だった。

岐阜でわずか1年の間に2つの幼稚園に通わせた長男を、名古屋では公立幼稚園に入れようとした。ところが、私が名古屋に赴任した時はすでに枠が満杯。

「来年なら、親の転勤でいなくなる子もいるので、多分大丈夫です」

といわれ、私立幼稚園に入れた。翌春、公立幼稚園に枠ができ、結局長男は4つの幼稚園に通うことになる。
私は幼稚園から高校まで、住まいを変わったことがない。だから、常に転校生を受け入れ、ほかの学校に移っていく友を見送る地元の子であった。だから、通う幼稚園、学校が変わるということがどんなものなのか、さっぱり見当がつかない。まあ、この親の元に生まれた宿命と、子どもには諦めてもらうしかない、とは少々身勝手だったろうか。しかし、親が全国企業にいるということは、そういうものである。

さて、今日から私は名古屋経済部員である。慣れないスーツを身につけ、ネクタイで喉を締め付ける。皮のビジネスシューズを履き、出勤は地下鉄だ。服装は極端にカジュアル、常にマイカーで動いていた支局時代に比べれば、何とも不自由である。

伏見で地下鉄を降り、朝日新聞名古屋本社まで歩く。確か4階にあった編集局に上がり、経済部に顔を出す。

「大道です。今日からよろしくお願いします」

と、私を経済部に引張った松本部長と、2人のデスクにあいさつをする。

「いやあ、君を経済部にひっぱんたんで、社会部長がお冠でね」

と松本部長は行った。ということは、私には社会部という道もあったのか? しかし、今となってはもう遅い。

さっそく担当を言い渡された。百貨店やスーパーなどの流通業界である。合わせて、伊勢町と呼ばれる証券市場も私の担当になった。そして、暮らしの経済、といわれていた物価情報も私がやるのだそうだ。毎週、魚や肉、野菜などの値動きの見通しを書く。何だか、ちっともワクワク感がないなあ。

私の前任者はSさんといった。鎌倉出身、東大経済学部出の俊才(それには後に疑問符をつけるのだが、東大出とくると、ついつい俊才と書きたくなる)である。
数日間曳き回され、主要な取材先に紹介された。取材先というのは、企業の広報担当者を横に置けば、社長、会長、専務取締役といったお年寄りばかりである。考えてみれば、企業の情報はお年寄りが独占し、下々の若い社員たちは企業の全体像を知らない。社内の情報にも企業が向かおうとしている方向にも暗い。取材相手が年寄り連中になるのは仕方がないのだろうが、何とも楽しくない

ある日、先輩が名古屋の老舗百貨店、松坂屋の会長のアポイントが取れたから来いいう。おじいさんに会うのは心が弾まないが、仕事とあれば仕方がない。
松坂屋は伊藤家が創業した、伊藤家の当主は次郎郎左衛門を名乗り、歴代、社長、会長に収まる。私たちが会いに行ったのは何代目かの伊藤次郎左衛門会長であった。

私はまだ30歳前後、引率者のSさんにしても30代半ばである。どだい、70を過ぎた企業オーナー=お金持ち、と話が弾むわけがない。私はまだ、何を質問したらいいのか全く見当がつかないから、インタビュー役は専らSさんが務めた。
Sさんは企業取材では私より経験があり、私が来るまでは流通業界を担当した。それに、彼は東大経済学部の卒業生である。もっと談論風発してもいいはずなのに、30分もすると話題が尽きたらしい。何となく、沈黙が場を支配し始めた。

企業の広報マンとは実に見識豊かな方々である。場を支配し始めた沈黙を見て取って、

「これはいかん」

と思ったのだろう。助け船を出してきた。

「会長は最近、読書にいそしんでおられるのですが」

と助け船を出した。それを受けてSさんがいった。

「なるほど。どんな作家の本をお読みですか?」

伊藤治郎左衛門会長が答えた。

「うん、最近読んでるのは谷崎 潤一郎だ」

思わずゾッとした。70過ぎた爺が谷崎を読む。それって、15歳の少女を自分の理想の女にしようとした男が破滅する「知人の愛」か? それともおちんちんがいうことを聞かなくなった老人が、息子の嫁に性欲を募らせる「瘋癲老人日記」か? それを除いても、えっロスに裏打ちされた芯取りした情感を描き出した谷崎純一郎とこの枯れたようなお年寄りとは、何ともチグハグな取り合わせではないか。

私が側聞したところに寄ると、伊藤治郎左衛門会長はドライバー付きの臙脂色のベンツで毎日出社する。付き添いはお目掛けさんである。現場を目視したわけではないので、真偽は保証しない。だが、そんな方が谷崎を読む。何だか、吹き出したくなった。

この伊藤治郎左衛門会長については、違った話も聞いた。彼の趣味はゴルフなのだそうだ。ゴルフ未経験の私には分からないが、詳しい人によると、ゴルフで最もストレスが高まるのはパットの瞬間なのだそうだ。数メートル先にあるホールに、何とかボールを沈めたい。全身を緊張が包むののだそうだ。

「だから、パットをしようとして心筋梗塞に襲われるお年寄りが結構いるのです」

とその人はいった。

「だから、伊藤次郎左衛門会長がパットされる時は、私たちがホールに先回りし、会長がパットをすると、ホールに入ろうが入るまいがサッとボールを拾い上げ『会長、お見事!』と叫ぶんです。会長は目が弱っていらっしゃいますから、それを聞いて頷き、次のホールに歩いて行かれる」

馬鹿馬鹿しい。滅私奉公。やっていて自分が情けなくならないか? 社会とはそんなものか。権力者に阿諛追従するヤツらばかりが浮かび上がる世界か。やっぱり、企業は社会悪と思い定めた学生時代の考え方の方がまっとうだだったのではないか?

私の名古屋経済部勤務はそんな始まり方をした。