08.05
私と朝日新聞 名古屋本社経済部の2 知恵熱
自宅から会社に直接出勤したのは初日だけである。翌日からは会社には行かず、直接取材先、あるいはたまり場に行く。それが新聞記者の生態である。
名古屋初のたまり場は名古屋の繁華街、栄にある名古屋証券取引所の記者クラブだった。報道各社毎に机と電話機が用意され、そこで原稿も書く。
私が名古屋に赴任したのが5月だったことはすでに書いた。そして、経済、企業の動きに全く関心がなかった私は知るよしもなかったが、5月とは企業の決算発表の月であった。ほとんどの企業は3月が決算期である。3月末日で1年間の企業活動の結果をまとめ、公表する。いってみれば、企業にとって年1回の通信簿を作るのだ。学校と違うのは、学校では先生が通信簿を作る。しかし企業社会では企業が自分の通信簿を作って公開する。
ふだんから、企業内の経理担当者は様々な数字をまとめているはずだ。だから、3月末日で締めるのなら4月1日には成績を発表できそうなものだが、そうはいかない。念には念を入れて数字をもう一度点検し直し、終われば会計監査にかけねばならない。そんな手続きが済んでから証券取引所の記者クラブで決算発表をする。そのため毎年、5月半ばから6月にかけては発表ラッシュとなる。
最近はアメリカ型企業経営のまねをして、日本でも4半期決算が一般的になったようだ。3ヵ月毎に成績をまとめ、公表するのである。アメリカでは、企業は株主のもの、という考え方が徹底している。株主の付託に応えて、経営者は常に企業を成長させなければならない。つまり、利益を増やし続けなければならない、ということになっている。それができなければ経営者は無能の烙印を押される。あるいは、見切りをつけられて株を売却される。そうなったら大変だから、経営者はがんばる、という仕組みだ。
だから、業績の公表はできるだけ多い方がいい。1年なんて待っていたら、投資の機会を失う。それが、偉い偉い株主様のお考えなのだ。
私はこの考え方に馴染めない。そんなにしょっちゅう採点されては、長期計画の立てようがないと思うからだ。企業が成長するためには準備がいる。将来に向けた投資である。細切れに採点され、少しでも成績が悪ければ見放されるのなら、経営者は目先の数字しか見なくなる。いまは我慢をしてでも投資をしなければならないというタイミングでも、
「いや、いま投資したら次の決算が悪くなる。株主に怒られる」
と躊躇する。
うろ覚えだが、のちにケネディ政権の国防長官になるロバート・マクナマラは第2次大戦が終わると間もなく、フォードに招かれた。当時のフォードは戦後の混乱期にあり、社主であるヘンリー・フォード1世と労働組合の対立もあって業績は低迷していた。その中でマクナマラは徹底した財務管理を進め、業績をみごとに立て直す。その手柄で、1960,年にはフォードの社長に就任する。
そこまでは目覚ましかった。ところが間もなく、後遺症が次々と現れる。財務管理で業績を立て直す、ということは、簡単にいえば支出を抑えることだ。無駄をなくすといえば前向きだが、業績をだれもが驚くほど回復させるためには、無駄をなくすだけでは追い付かない。必要な経費も削らなければならない。ケチケチ大作戦で浮く金などたかが知れているのだ。マクナマラは、手をつけてはいけない経費にまで手をつけていたいのである。
生産工場への投資を目一杯削ったのである。そのため、やがて生産に使えないラインが続出した。古い設備、メンテナンスが十分に行われていない設備が山積みとなって、フォードは再び苦しみ出す。
目先しか見ないとはそういうことである。企業が長期にわたって生き延びるには、4半期決算は障害としか思えない。いまの日本企業も、目先しか見なくなっているのではないか。長期的な成長戦略を取り得なくなっているところが多いのではないか。とは、最近、私が懸念するところである。
いや、話がわき道に逸れた。私の名古屋時代に戻す。
企業の決算発表は、主要な企業については担当記者が取材する。主要ではない企業は証券担当たる私の仕事である。それに、主要企業の決算だって証券担当は知っておかねばならない。勢い、数十社の決算発表に付き合うことになった。
名古屋証券取引所の記者クラブは狭かった。平机を挟んで、企業経営者と記者が対峙する。まず、決算書類が配布される。損益計算書と貸借対照表がメインである。
一応の節目を聞くと、ベテランの記者は
「えー、今期は利益率が前期比マイナスになっていますが、何かありましたか?」
「負債が膨らんでいますね。何か前向きな投資に踏み切られましたか?」
などと質問を飛ばす。
分からない。私には何もわからない。利益率? そりゃ何だ? 負債? 借金だろうが、それが増えると投資が伸びるのか? 質問の意味さえ分からないのだから、返ってくる答えが理解できるはずがない。
やばい。俺、経済記者になれるのか? そもそも、経済記者になったことが間違いではなかったのか?
こんな時は、勉強せざるを得ない。私は書店に走り、「決算書の読み方」などというタイトルの中から一番易しそうな本を買ってきた。実用書など読んだことがないが、今回は仕方がない。ページを開く。活字を追う。ところが、書いてある活字が、一向に頭にはいってこない。つまり、本を読んでも何も理解できない。
困惑した。私は、大学に入ってからは「本の虫」といわれても(誰も言ってくれなかったが)いいほどに本を読んできた。読んだ本は、理解できたかどうかとは別に、私を育てたはずである。だから、読み始めたころに比べれば、読書から得る何かは、ずいぶん増えいたはずだ。
ところが、企業の決算を知るための「入門書」が読めない。数行読むと頭が発熱し、何が書いてあるのかちんぷんかんぷんになる。
そして朝を迎えると、また決算発表の列である。どうしたらいい?
それでも、数十社の決算発表を聞いているうちに、数字への感覚は多少磨かれた。日本は4桁ごとに単位が変わる。1から始まった数字は、10、100,1000、と進んで10000なったところで「万」という名称が与えられる。十、百、千はその後も使われる単位だから無視する。「万」になって、そこから4桁進むと「億」、さらに4桁進むと「兆」だ。
だから、日本人の感覚からすると、4桁毎にコンマを振ってくれれば数字の受容も楽だ。ところが、一般的には3桁毎にコンマを着ける。1000(thousand)を基準とする欧米系数字表記では、数字3つ毎にコンマを打つ。英語では、thousand、million, billionと進んでいくのだから、この表記は自然である。しかし、日本は、万、億、兆、と進むのだ。我々我日本人は、4桁で次の単位に進む表記法に慣れ親しんでいる。3桁ごとの欧米の表記には馴染めないのである。これも経済の国際化の副反応か。
その違和感もやっと薄れ、決算書をひと目見ただけで、
「ああ、売上が〇百億ね」
読み取れるようになった。少しは慣れたらしい。少しは経済記者に近づいたか?
と思い始めていた。その日に見た売上高の数字は、横に長すぎてひと目では読み取れなかった。
3,310,181,153(単位千円)
これ、スンナリ読めます? 読み取れなかった私は仕方なく千の位から数えていった。千、万、十万、百万……。3兆3101億8115万3000円!
トヨタ自動車販売だった。トヨタはそのころから化け物企業であった。
決算発表ラッシュが終わるまでに1ヵ月ほどかかっただろうか。やれやれ、と思って夕刻、経済部に顔を出した私は体調の変化に見舞われた。何だか寒気がする。気分も優れない。社内の診療所に行って診察を受け、薬をもらった。その場で薬を飲んで経済部に戻った。すると、やたらと全身から汗が噴き出し、頭もぼやけてきた。熱もあるようだ。
「申しわけありません。気分が悪いので先に失礼します」
ハンカチで流れ落ちる汗を吹きながらそう言い置くと、タクシーで星ヶ丘の我が家に向かった。着くとすぐに布団に潜り込んだ。たちまち眠りに引き込まれ、そのまま3日間、寝付いてしまったのである。
いま思えば、あれは知恵熱ではなかったか。数字嫌いの私が毎日数字に責められる。数字の意味を知りたいと本を読んでも、何にも頭に入らない。挙げ句、トヨタ自動車販売の発表では、下から数えないと数字が把握できなかった……。私のちっちゃな脳みそに一度に沢山の未知のものが襲いかかって脳が混乱し、発熱に至ったのではなかったか。
記憶によると、それ以来、仕事を病欠したことはない。