2023
08.12

私と朝日新聞 名古屋本社経済部の9 正月の災難・朝日新聞についての新しい知見

らかす日誌

松本部長が東京経済部長に転出した。栄転である。代わりにK氏が名古屋経済部長として着任した。

あれはK氏の着任早々だったと思う。NHKが夜7時のニュースで、トヨタ自動車工業と米フォードが提携するという話を流した。我が朝日新聞は知らなかったことである。いわゆる「抜かれ」だ。
抜かれた記事は、できれば書きたくないのが記者というものである。しかし、無視するには、この話は大きすぎた。世界の自動車業界の再編成にもつながりかねないからである。

「追っかけ」が始まった。NHKが報じたとはいえ、朝日新聞としては知らない話である。知らないまま記事にすることはできない。朝日新聞として取材をし、確認をとらねばならない。

当時、名古屋部には確か6人の記者がいた。トヨタ自動車担当のSuさんが、取材の割り振りを決めた。

「俺は社長をあたる。あなたは〇〇に行ってください。△△はあなた。それからトヨタ自動車販売の▢▢は君に頼む……」

東京の自動車担当、通産省担当に取材協力を電話で頼んだのはデスクだった。朝日新聞総掛かりの「追っかけ」である。

まだ経験が浅い私に割り振られたのは後方支援であった。午後7時。みなは夕食をとる時間もないまま取材に出かける。私は5人分の弁当を調達し、取材先に張り付いている5人に配達するのである。行きつけの小料理屋、「桂」のお桂ちゃんに作ってもらうのだ。

情報が集まらない。新しいK部長は風格のない人であった。朝日新聞が抜かれた。こんな時、風格のある部長はじっと部下の取材を待つ。松本部長だったらそうしただろう。取材は記者の仕事、部長の仕事は鵜匠のように鵜がアユを咥えてくるのを待つことだ。
午後9時、午後10時……。どこからも情報が来ない。K部長は苛立った。

「よし、俺が取材する。俺は通産省(現経産省)に強いんだ」

机上の電話のダイヤルを回す。

「ああ、▽▽さん? 朝日のKです。ご無沙汰。ところで、NHKがトヨタ、フォードの提携をやってたけど、あなた、何か知っている? 分かったら教えて欲しいんだが……」

教えてもらえなかった。部下の前で

「俺は通産省に強い」

と見得を切りながら、成果はゼロ。

「何をバタ狂ってるんだ、この人?」

私は早くも、そんな見方をする男になっていた。

全員総掛かりは実を結んだ。翌日の朝刊で、朝日新聞もトヨタ—フォードを記事にすることができた。

今回はそのK部長にからむ話である。

K部長が名古屋に赴任した年の末のことである。K部長がSさん(Suさんとは別人。私の直前の流通・証券・東海のくらし担当)を呼んで話をしている。

「君は年末年始はどうするのかね」

「はい、鎌倉の実家に戻ろうと思っています」

「そうか、鎌倉にいるのか。だったら元日、俺の家に遊びに来いよ」

あれあれ、正月からK部長の顔を見に来いというのか。はた迷惑な話だなあ。Sさんだって。生きたくはないだろう。どうするのだろう。うまく断ることが出来るかな?

Sさんは、いろいろと、行けない事情を話していたようだ。しかし、結局魔の手から逃れることはでき名なかったようで、私の耳には

「だったら、夕方の6時半ごろ来いよ。飲もう」

という声が耳に入った。正月から災難だね、Sさん。

それで済むはずだった。ところがSさんが

「大ちゃん、飯食いに行こう」

と私を誘った。小料理屋」桂」のカウンターに座ると、Sさんはいった。

「君、正月はどうするんだ?」

「横浜の妻の実家に行く予定ですが」

「そうか、それはちょうど良かった。さっきの話、聞いていただろ? お前も来いよ」

いやですよ。私は誘われてはいない。それに、正月からあの人の顔は見たくない」

「そう言うなよ。俺だって行きたくはないさ。でも、断り切れなかった。一人で行くのは心細くてなぁ。頼むから来てくれよ」

土下座せんばかりの懇請であった。ここまで頼まれては断ることもできない。

翌年1月1日、2人で東京・中野のK部長宅を訪ねた。確か、妻の実家にあった下仁田ネギを土産に持っていったと思う。

「おう、来たな。上がれ、上がれ」

K部長は上機嫌であった。Sさんが小さな声で言う。

「Kさんはさ、部長になったものだから、部員が次々に年賀に来ると思ってるんだよ」

へえ、朝日新聞は上梓への中元、歳暮などは全く不要な会社だと、確か入社式の時に聴いた。それなのに、正月早々、部長宅へ年賀に訪れるのが「常識」なのか?
私の朝日新聞像が、少し汚れた。

時計の針が回る。7時半、1人来た、8時、8時半、誰も来ない。ホストであるK部長を含めて総勢4人だ。盛り上がらない。うだよなあ、こんな人のところに正月早々顔を出そうなんていう変わったヤツが大量にいるはずはない。
午後9時、来ない。

「おい、いまから中江利忠の所に行くぞ!」

中江さんとは、当時、確か朝日新聞の専務であった。経済部のOBで、将来の社長候補であると聞いたことがある。

そんな。そもそも中江利忠といわれても、名前を聞いたことはあるが、会ったことはない。そんな人の家に、1月1日の午後9時すぎ、押しかける?

「いや、時間も時間ですから、今日はこれで解散ということにしたらいかがですか?」

「いや、行く。お前たちも来い」

「私、お顔も存じ上げないですが……」

「心配ない。俺と一緒に行けば大丈夫だ」

こうして我々4人は、ほど近い中江さん宅に行った。
玄関のドアを開けた瞬間、雑踏の音がドッと流れ出してきた。何だ、これは。カラオケか? 乱痴気騒ぎか?
K部長に背中を押されるようにして上がり込んだ。ギョッとした。20人ほどのいい年をした男どもが宴会の最中である。いや、それだけではない。仲居さんよろしく酒や肴を運んでいる女性たちがいる。ん? これは酒を飲んでいる連中の女房どもか? 中江さんは、と目で追うと、カラオケマシンの前に座り込んでいる。

「おい、君は何を歌うんだ?」

呼びかけらた人の顔を見た。知ってる顔だ。確か、東京経済部員ではなかったか? ということは……。

私はげんなりした。中江さんは将来の社長候補といわれている人である。その家に、経済部、あるいは経済部関係者と思われる朝日の社員が1月1日に妻を連れて押しかけ、宴会の裏方に妻をこき使いながら酔い痴れている。
これって、社長候補にゴマをすって立身出世を図ろうという情けない連中の飲み会なのではないか?
朝日新聞には学閥も派閥もない、と何度も聞かされた。しかし、いま目の前にあるのは「中江派」という立派な派閥なのではないか?
私の朝日新聞蔵が、また汚れた。朝日新聞も上司へのごますり野郎がこんなにいる会社なのか?

中江さんはその後、社長になった。薄らとした記憶をたどると、あの日、あの家にいた連中で偉くなったのはいなかったように思う。ゴマのスリ方が足らなかったか、それとも中江さんは下のごますりで動かされるような人ではなかったのか。

いずれにしても、胸くその悪い年明けであった。