2023
08.24

私と朝日新聞 名古屋本社経済部の21 「両社長の談話をとって来い」

らかす日誌

名古屋本社経済部でデスクと顔を合わせたのは昼過ぎだったろうか。

「それで、大道。詳しい話を教えろ」

取材の細部まで説明した。

「ということは、聞き出せたのは分かれているメリットがもうなくなった、という一言だけなのか?」

「そうです。その一言だけです。しかし、それから合併することを前提にした質問には『決まっていない』とおっしゃっていましたから、合併することだけは間違いありません」

「よし、分かった。すぐに原稿にしろ」

ここは、はい、と答えるべきところである。ところが、私の口からは、はい、の一言が出なかった。

「あのう」

『何だ」

「合併の原稿なんて書いたことがありません。どう書けばいいんでしょう?

「どう書けば、って、お前。それは……。そういえば、俺も合併の原稿は書いたことがないわ。どう書くのかなあ。うーん、あ、そうだ、昔、八幡製鐵と富士製鐵が合併して新日鉄になった。確か1970年だ。朝日はそのとき抜かれたんだけどな。それはそれとして、お前、調査部に行ってあの時の切り抜きを持ってこい」

調査部とは、過去の記事の切り抜きを保管しているところである。ジャンル別に整理されているので、すぐにでも目的の記事を取り出せる。

「持ってきました」

「おう、見せろ。ふーん、合併の記事ってこう書くのか。よし、大道。これを真似して原稿を書け」

「学ぶ」とは「真似ぶ」から発生した言葉だという。学びの第1歩は真似ることから始まる。真似ることを恥じてはならない。

書いた。一生懸命真似て書いた。書いた記事をデスクに提出した。デスクも新日鉄の記事を参考にしながら私の原稿に朱を入れた。

「よし。これでいい。おい、大道。この記事にはトヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売の社長の談話がいる。取りに行け」

「いや、あの2人は、何を聞いても、『いまは考えていない』というに決まっています。本記で『合併する』と書きながら、談話で『いまは考えていない』じゃチグハグになりますよ。いらないんじゃないですか?」

「いや、合併の記事には両社長の談話が是非もののようだ。取りに行け」

その談話を取りに行ったのが当日だったか、翌日だったかは曖昧である。また、自販の社長だった豊田章一郎さんとどこで会って話を聞いたかも忘却の彼方になった。恐らく、名古屋・八事のご自宅を襲ったのではなかったか。

明瞭に覚えているのは自工の社長だった豊田英二さんである。ご自宅は豊田市にあり、玄関の前に車回しがある豪邸だった。インターホンで来意を告げると、英二さんが出て来た。

「こんな年末に何事かね?」

「実は、工販合併の確証が取れました。記事にするので、談話を頂きたいと思って参上しました」

「そうか、ちょっとこっちにおいで」

英二さんはスタスタと歩き出し、門を出ると、道を挟んで広がる畑の前で足を止めた。

「その確証とやらは、どこで取れたんだ?」

「それは取材源の秘匿で、申し上げられません」

「そうか」

それからしばらく、2人で師走の風に吹かれながら畑を眺め、立ち話をした。やっぱり認めてはもらえなかった。記事につけた英二さんの談話次のようなものである。

「合併については、今は考えていない。親戚みたいな会社だから、合併する必要が出れば、すぐにでも出来るということだ。合併のメリット、メリット、デメリットなど色々いわれるが、私どもが考えることだ」

ついでに、章一郎さんの談話も書いておこう。

「合併するにしろ、しないにしろ、メリット、デメリットを十分検討する必要がある。合併のメリットの方が大きいのではないか、といわれるが、図体が大きくなりすぎて、トップの目が隅々まで届かない、などというデメリットも出る。慎重に考えなければならない」

そして、私とデスク2人が、かつての記事を真似て仕上げた原稿は

「トヨタ自動車工業(本社・豊田市、資本金915億円、豊田英二社長)と、その販売会社であるトヨタ自動車販売(本社・名古屋市、資本金237億1700万円)の両社は合併に踏み切る意向を固めた。来年中にも具体化する。トヨタ自動車販売首脳が30日明らかにしたもので、厳しさが増す“国際自動車戦争”に生き残るための体制づくりが合併のねらいである。新会社名は「トヨタ自動車」に落ち着く公算が大きい。またトップ人事は両社の首脳間で今後煮詰められる。東京証券取引所第1部に上場する企業同士の大型合併となるが、最近の大型合併が伊藤忠商事・安宅産業のように救済合併の色合いが濃いのに比べ、トヨタの工販合併は産業界では久しぶりの前向きの合併といえる」

と書き出した。

いま読み返すと、逃げの姿勢が目立つ原稿である。「意向を固めた」という表現は、「まだ最終決定ではないから、実現しないこともあり得る」という意味を持つ。
そのくせ、踏み込んだことも書いてある。「来年中にも具体化する」ということは、私は取材できていない。恐らく、

「この時点でお前に合併することを教えたんだから、もう準備は進んでるんだよ。だとすれば、合併の日取りは目前ということだ。そうだろう?」

とデスクに説得されたのではなかったか。それなら、「意向を固めた」という文章はなくせばいいのに、と思うが、何故かここだけはデスクは逃げを打ちたかったらしい。

さらに、新会社名も取材できなかったことである。

「この2社が合併して、それ以外の社名があり得るか?」

ということだったのだろう。結果的に当たって良かったが……。

さあ、本記と談話のチグハグ感は残ったが、原稿が完成した。確か1981年12月28日のことだった。