08.26
私と朝日新聞 名古屋本社経済部の23 余震はまだまだ続いた
余震は、それからも続く。
まず、日本経済新聞のトヨタ担当記者が1人から4人に増えた。記者会見場、パーティ会場、トヨタの首脳が顔を見せるあらゆる場所で、4人の少年探偵団(当時、日経の記者をこう称した)がウロチョロと動き回った。夜になれば、手分けして4人のトヨタ首脳に夜回りをかけているのだろう。ご苦労様である。しかし、あの、30日に雀卓を囲んだ記者はどんな思いでいるのだろう……。
「大道、これ、やっぱ続き物がいるな」
とデスクが声をかけてきたのは、さて、1月の10日前後だった。続き物?
「だってさ、朝日としては珍しく、合併を抜いた。工販合併は経済的に大きな意味がある。これ、なんで合併したのか、合併後の新会社はどうなるのか、読者としては知りたいところだろ?」
はあ、それはそうですが……。
私は2ヶ月間、工販合併の取材にどっぷり浸かっていた。だから、取材の蓄積がある。続き物なんてサラサラと書けるだろう、とデスクは考えたのに違いない。
ところが、なのだ。この2ヶ月間、私が追いかけたのは
「両社は合併するのか?」
だけだった。恐らく、工販合併の背景となった世界の自動車業界の動向、トヨタ自動車の世界戦略、その中で、なぜ合併という選択肢が芽生えたのか、これから軋轢を生むかも知れない工販の体質の違い、など取材を進める基礎となる話は、全く取材していない。今なら、そんな背景データを頭にたたき込んで、取材先を理詰めで追い詰めていたはずである。工販合併の特ダネは、頓馬な記者がたまたま運に恵まれただけである。
「続き物ね」
命じられた以上、やるしかない。ゼロから大車輪で取材を始めるしかない。
連載は1月26日に始まった。全3回、総合タイトルは
「ビッグ2へ体制固め トヨタの工販・合併」
で、第1回は「ファミリアの衝撃」。第2回は「無借金への執着」第3回は「セールス改革」がテーマだった。要は、メーカーである自工と流通商社・自販の体質の差の問題である。大雑把に紹介しよう。
【ファミリアの衝撃】
当時。トヨタは東洋工業(現マツダ)のファミリアを高く評価していた。トヨタの販売網に乗せたら2倍は売れるという人もいた。ファミリアは消費者の要求をうまくつかんいる。トヨタには真似が出来ないというのだ。
東洋工業はかつて経営難に陥った時、社員を販売店に出向させた。業績が回復すると会社に戻した。出向中、消費者の要求を肌身で感じた社員が多かったから、ファミリアを生み出せたとトヨタ自工の幹部は分析した。
では、トヨタは? 消費者の要求をとらえるのは自販である。ところが、それがうまく自工に伝わらず、自工は「ファミリア」を作れない……。
【無借金への執着】
トヨタ自動車工業が完全無借金になったのは1977年4月。住友銀行名古屋支店長から「カネは、返してから借りに来るものですよ」と突き放された屈辱をバネに、銀行の影響力をゼロにした。しかし、月賦販売制度を持ち、販売店が持ち込む手形を割り引く必要がある自販には膨大な借金があった。当時の借入額は1250億円。同じ根から分かれたとはいえ、いつの間にか体質が違ってしまった両社は合併してうまく行くのか。
【セールス改革】
メーカーである自工には、「自販は原価意識が薄い」というくすぶっていた。これもメーカーと商社の体質の違いが根にあった。そのため自工は、自販にTQC(全社的品質管理)の導入を勧め、自販の頭越しに販売店にあれこれ発言するようになっていた。だが、頭越しの指導には限界がある。それならばいっそ工販を合併した方が手っ取り早い。自工に吸収される自販社員は自ずから自工の体質を身につけるだろう、というのが自工の狙いだ。しかし、吸収され、体質転換を迫られる自販の社員には、不安と動揺が広がっている。
まあ、そんな中身である。泥棒を捕らえて縄を綯(な)うような取材で書いた連載だ。さて、どこまで真相に迫っていたか……。
そういえば、この連載の後だが、工販の体質の違いを、自販の役員からこんこんと説かれたことがあった。
「新車が出ると自販は、販売店を集めて説明会を開きます。その場には開発を担当した自工の役員も招きます。説明会が終わると宴席に移り、やがて2次会になだれ込む。3次会まで行くこともある。費用はすべて自販で負担するのですが、自工からおいでになった役員さんは律儀にすべてお付き合いになる。それだけでなく、販売店の人が引き上げても最後の最後まで粘っておられる。自工では『技術系の役員は社外と交際する必要はない』ということで交際費が使えないんですね。だから、新車発表会では自販のカネで、最後の最後まで飲もうとされるんです。何というか……」
3回の連載が終わってしばらくしたころだったと記憶する。週刊現代がトヨタ自工・自販の合併を記事にした。気になったので買い求めて読んでみた。まあ、たいしたことは書いてなかったが、1つだけ
「おいおい」
とカチンと来たことがある。工販合併を特ダネにしたのは、地元の中日新聞だと書いてあったのだ。冗談じゃない。中日は年が明けてからやっと記事にした。いわゆる「追いかけ記事」を書いたのだ。
「文句を言って訂正記事を書かせようか」
と瞬時考えた。あんた、12月31日の朝日新聞を読まなかったのか? 確認作業はしたのか?
が、やめた。週刊誌がどう書こうと、事実は1つである。勝手に間違ってろ! と考え直したのである。
いろんな事があったが、気分は爽快だった。何だか大きな仕事を成し遂げたような満足感があった。