2023
09.11

私と朝日新聞 東京経済部の11 建設省の担当になって柔道を再開した話

らかす日誌

通産省を1年担当すると、私は建設省担当を命じられた。それまで経済部に建設省担当はいなかったが、何故か私が露払いを命じられた。通産省は担当記者は3人だったが、建設省を担当する経済記者は私1人である。心細くはなかったといえば嘘になる。さて、経済記者として建設省をどう取材し、どんな記事を書くのか。

その代わりではないが、建設省の記者クラブには政治部、社会部からそれぞれ1人ずつ入っていた。
政権政党であった自民党には建設族と呼ばれる人たちがいる。公共事業の配分に力を振るう方々である。その振るい方を新聞はチェックしなければならない。政治部の建設省担当は建設大臣、建設族のチェックをするのだろう。そんな記事はあまり見かけたことはないが。
公共事業は不正の温床とも見られていた。発注、落札などに利害が絡み、ゼネコンをはじめとする建設業界は受注を目指して裏金を政治家に渡し、談合で受注調整を繰り返す悪の巣窟とみられていた。社会部記者に建設省担当がいたのは、そのためだったと思われる。
朝日用の机は3つあったので、その1つ、窓際の机を私用に使うことにした。

さて、そんな建設省である。私は経済記者として何をすればいいのか?

と考えていたら、声がかかった。

「やあ、初めまして。君が今度来た大道君?」

社会部のIさんだった。私より10歳ほど年上である。

「僕はねえ、経済部にもいたことがあるんだ。そうか、経済部も建設省に記者を置くようになったんだ。それは良かった」

はい、よろしくお願いします。これまで通産省の担当でした。建設省のことは何もわかりません。いろいろと教えて下さい。丁重にあいさつしたのはもちろんである。

「ところで君、いい体しているね。スポーツ、何かやってたの?」

180㎝を越える身長が目にとまったらしい。はい、高校時代に柔道をやっていました。

「えっ、柔道! それで、何段なの?」

とりあえず黒帯です。初段でした。2段になっても帯の色は一緒だし、なっても仕方がないやと思ってそれから昇段試験は受けていません。

「そうか。実は僕は早稲田の柔道部なんだ。5段でね。そうだ、君、柔道を再開しないか?」

いえ、柔道といっても高校時代しかやっていません。大学に行ってからはアルバイトが忙しくてクラブ活動なんかできなかったし、そもそも、いい年をして半裸の男同士で組み合って、寝技をして、なんて、とてもじゃないけどやってられないと思いましたので。

「いや、高校で初段だったらもったいないなあ。あのね、僕等は丸の内柔道倶楽部、という柔道のクラブを作ってるんだ。ほとんど社会人でね。70歳を超えた作家の先生もいるし、東大の教授や弁護士もいる。もちろんサラリーマンだってたくさんいる。丸の内警察署の道場を借りて毎週練習してるんだ。君もおいでよ」

いや、その、仕事が忙しくて。

「うん、仕事が忙しい日は休んでもいい。ほとんど社会人ばかりだから、それぞれのスケジュールに合わせて練習を楽しめばいいんだ。やろうよ」

逃げ場がなくなった。では、一度だけ見学をさせていただくということで……。

建設省から丸の内警察署は目と鼻の先である。Iさんに引き連れられて私は7階の柔道場に上がった。なるほど、いい歳をした男どもが柔道着を着て練習の真っ最中である。Iさんが顔を出すと、みな練習を一時やめ、

「こんにちは」

とあいさつをした。何となく私も頭を下げる。

「どう、大ちゃん、君も汗を流したら」

大道君、がいつの間にか大ちゃんになった。いや、柔道着はありませんし、今日は見学ということで。

「柔道着ならあるよ。洗濯してあるヤツだから心配はない。やってみなよ」

ジリジリと追い詰められる。後ろは崖っぷちである。仕方がない、少しやってみるか。借りた柔道着はややきつめだったが、とりあえず着替えて帯を締めた。当時31歳。実に13年ぶりの柔道着である。

柔軟体操をし、受け身の練習をする。おお、ぎこちなくはあるが、受け身もできる。これを昔取った杵柄、というのか。体は覚えていてくれたんだ!
終えると、投げられ役になった。投げてもらって受け身をする。受け身とは投げられた時に自分の体を守る技である。1回転して背中から落ちる時は、背中が畳につくのと同時に腕を畳に打ち付ける。後ろに倒されたら後頭部を畳に打ち付けないように顎を引き、両手で畳を叩く。

そんなことをしていたら午後8時になり、練習が終わった。風呂で汗を流したあとは

「大ちゃん、これからが楽しいんだよ」

全員でビヤホールに向かったのである。汗を流したあとの生ビール。これはこたえられないほど美味い!

ん? 柔道も楽しいかも!?

こうして私はIさんのにはまった。とうとう柔道着まで買い込み、練習日は柔道着を持って出勤する。

そのうち、乱取り稽古にも参加するようになった。乱取りとは、実践そのもの。何とか相手から1本とるのが狙いである。
私は初段である。しかし、ほかの皆さんはずっと練習をしてこられた。2段はおろか、3段、4段、5段の有段者ばかりである。つまり、私より強い方々ばかりである。
と思っていた。ところが、3段を相手にしても、5段と取り組んでも、あまり投げられないのだ。組み合えば、確かに2段の相手より5段の相手の方が

「強いなあ」

と感じる。ところが、私をうまく投げ飛ばす5段がほとんどいない。2段、3段の相手なら、どちらかといえば私の方が有利に乱取りを進め、時には1本をとる。私の得意技ははね腰、内股である。時折、それがみごとに決まるのだ。

何だ、俺、強いのか? それとも、九州は柔道のレベルが高く、東京はレベルが低いのか?

面白くなった。結局、私の柔道練習は、約2年後に北海道に転勤するまで続くことになる。

あれは年末だったと思う。練習を終えると道場でみんなが車座になり、1人1人何かを話すことになった。私の番が回ってきた。さて、何を話したら良かろう? ふと思いついたことがあった。

「練習が終わるとみんなで整列してあいさつをしますね。そのとき、まず『神前に礼』というかけ声がかかり、そのあと『お互いに礼』となります。皆さんがお気付きかどうか分かりませんが、私は『神前に礼」では頭を下げていません。突っ立ったままです。『お互いに礼」では頭を下げます。神前? あの神棚に頭を下げるのですが、神棚ってどこかの建具屋さんが作ったものでしょう。あんなものに頭を下げる理由が私には分からないのです。『お互いに礼」は素直に頭が下がります。汗を流し合った相手に感謝するのは当たり前だからです。皆さんはどうして寄せ木細工に過ぎない神棚に頭を下げるんですか?」

無謀である。みなそれが礼儀だと思って神棚に頭を下げている。そこにでっかい石を放り込んだのだから波風が立たないはずはない。全員から糾弾されるかも知れない。いったい何故、そんなリスクを犯してまで「神前に礼」に刃向かったのか。恐らく、高校時代以来、無神論者である私は「神前に礼」という儀式に反発を覚えていたのだ。それが、こんな機会に口に出てしまったのだろう。

「あんた、何を言ってるんだ!」

という罵声が浴びせられると覚悟していた。ところが、戻ってきたのは

「いやあ、大道さん、いい話をしてくれたねえ」

という声だったのだ。
ビヤホールに席を移しても、同じだった。私を批難する人は1人もいなかった。私は「丸の内柔道倶楽部」がすっかり好きになった。

それからしばらくしたころのことだ。

「大ちゃん、君は十分2段の実力がある。昇段試験を受けなさいよ」

と私にいったのは、またIさんだった。倶楽部で親しくなった人たちも異口同音に昇段試験を勧める。
いや、2段になったところで帯の色が変わるわけではない。見た目は変わらないのだから、2段になっても仕方ないでしょう、と答えても、みな長年柔道を続けて昇段を目指している方々ばかりだ。許してくれない。とうとう私は、昇段試験を受けることになった。

昇段試験は、受験者同士が試合をする。私の相手は大学生だった。この子は足技が徳らしく、頻繁に足を狙ってくる。高校時代ならうまくよけることもできたろうが、すでに31歳(32歳になっていたかも知れない)、昔に比べれば筋力は確実に落ちている。投げられこそしなかったが、何度も尻餅をつかされた。大学生の優勢勝ちである。
試合を終えると、審判に呼ばれた。

「あのう、もう少し練習を重ねて頂いた方がいいかと思います」

確かにそうである。この試合には負けたのだ。だから私はいった。

「そうですね。はい、2段は頂かなくても結構です」

なんと素直な反応であることか。素直さは私の取り得である。もとも昇段したいとは思っていないのである。昇段できなかったkらといって悲観するはずもない。
ところが、審判の顔色が変わった。

「あ、いや、そういうことではなく、2段にはなって頂きますが、もっと練習をして頂きたいということで……」

こうして私は2段になった。確か、2万円を支払った。嬉しくとも何ともなかった。2万円あれば美味いものが食べられたのに、と思った程度でである。
いま、2段の認定証は2つ折りにし、本箱の本と本の間に挟んでいる。開いてみることは、まずない。