2023
09.12

私と朝日新聞 東京経済部の12 大道なら記事にしてくれるのではないか?

らかす日誌

さて、そろそろ仕事の話に移ろう。

住宅問題は社会問題であるだけでなく、相変わらず私の個人的問題でもあった。晴れの東京勤務になった。であれば首都圏に家を持ちたい。だが、給与明細書を見れば、夢のまた夢である。どうしたらよかろう。どうしたら、私のように真面目に働くサラリーマンが住宅を持てるようになるのか。
そんな私が、土地・住宅問題を担当する建設省の担当になった。いわば、土地・住宅問題の本丸が私の担当なのだ。力が入る。

建設省には道路局、河川局、などと並び、住宅局(だったと思う)があった。私の関心は住宅問題である。取材は専ら住宅局に集中した。

切り抜きを見ると、私が建設省に異動したのは5月だったらしい。そして早くも5月31日の紙面で住宅問題を書いている。

「建設省の住宅計画始動」
「目標 木造在来工法 100㎡で800万円台に」

そのころ100㎡で1200万円ほどしていた在来工法の住宅価格を引き下げようという計画だ。小さな記事だが、ここから私の住宅問題取材がスタートした。

経済記者として建設省を担当すると、プレハブメーカやゼネコンなど民間会社も受け持つことになる。続く記事はミサワホームの話である。

「1戸建て住宅 買いやすく」
「借地に造成、分譲」
「入居者には利用権渡す」

という見出しがついた記事は6月5日朝刊に掲載された。

「プレハブ住宅メーカーであるミサワホーム(本社・東京、三沢千代治社長)が宅地価格を1戸建て住宅の価格に反映させない新しいシステムを開発、近く神奈川県で分譲に踏み切る」

という書き出しだから、特ダネだったのだろう。ミサワホームが地主から土地を借り、入居者に転貸する方式である。入居者は毎月借地料を払うことになる。これだと230㎡の土地に120㎡の住宅が2500万円以下ですむというから、住宅に悩んでいる人々には朗報だったはずだ。

ミサワホームは三沢千代治氏が創業したプレハブ住宅メーカーである。戸建て住宅が増えなければプレハブ住宅の売上増は望めない。高騰を続ける首都圏の地価はミサワホームにとっても悩みのタネだった。そこでこんな新しい取り組みを思いついたのだが、問題は「借地権」である。ミサワホームが土地を借りる期間は35年。ではその期間が終わったら、入居者はどうなるのか?

私は、土地所有者が自ら土地を使用することを必要とする場合、その他正当の自由がある場合以外は、契約期間終了後も地主に土地明け渡し請求権を認めていない借地法第4条を中心に解説を書いている。そして、もし地主に土地明け渡し請求が認められたとしても、地主は土地の上に立つ住宅を買い取り、35年分の利子がついた土地の造成費を入居者に支払わなければならないから、恐らく追い立てを食うことはないだろうとの見通しを付け加えた。
この分譲方式は神奈川県津久井町で実施された。もう分譲から35年以上たっている。いま、どうなっているのだろう?

記事が出たタイミングから見て、私が初めて三沢社長にあいさつに行った時、三沢社長から聞いた話だったと思われる。初対面の記者に、新規事業の話を教える。普通はあまりないことだ。三沢社長に

「朝日新聞を利用してやろう」

という思惑があったことは間違いない。広告宣伝費をかけずに新規分譲の広告ができるからだ。しかも、お金を出して新聞に掲載する広告より、記事になった方が読者の信用度は大きい。その程度の計算はする人だった。
では、私は記者として、ミサワホームのお先棒担ぎをしてしまったのか? 私はそうは思わない。取材先がどんな計算で情報をリークしようと、その情報が読者にとって役に立つと思えば記事にするのが経済記者だと考える。

と書きながら、ふとお思った。

「企業=社会悪」

と決めつけていた学生時代から、私は何と変わってしまったことか! 恐らく、それを「成長」というのだろう。

三沢社長にはもうひとつ狙いがあったはずである。挨拶に来た大道という男の品定めである。こんなことを漏らしてやったら、どの程度の記事が書ける男なのか? 使える記者なのか?

解説付きのこの記事は、5段見出しがついている。大きさから見て、1面トップの記事ではなかったか、
だからだろう。その後三沢社長には厚遇された。試験に合格したらしいのだ。会いたいと申し込めば、すぐに返事が来た。三沢社長はアイデアマンであった。だから何本も特ダネらしい記事を書いた。
社長は酒が飲めなかったが、夕食にも誘われた。新宿・京王プラザホテルの高級寿司店「久平衛」でご馳走になった。のちに私が札幌に転勤すると、

「仕事で札幌に来た。飯を食いましょうよ」

と連絡をもらい。札幌一と言われた料亭に誘われた。
すべてミサワホームの支払いである。これはいかん、と思っても、三沢社長は私の誘いには乗ってくれない。お返しはもっぱら、広報部長さんにした。もちろんポケットマネーからの出費だから、ご馳走になった金額と釣り合うほどのお返しは出来ないが、やっておかねば記者道にもとることになる。

困った電話を札幌まで掛けてきたのは、その広報部長さんだった。

「大道さん、30万円用意できる?」

突然そんな質問を受けた。30万円? 何だ、それ?

「何いってんの。あるわけないじゃない、そんな金。何だったら預金通帳見せようか?」

「いや、30万円あればすぐに倍になるのよ。どこかで借りられない?」

「いったい何の話をしているの?」

「うちの会社がね、今度、ある会社を買収するのよ。その会社の株を買っておけば、うちが買収した途端に株価が倍に跳ね上がるから、大道さんに是非買ってもらえ、って社長が言っててね」

まあ、困った申し出である。親切心、私への高評価がそんな提案になったのだろうが、記者はこんな話に乗ってはいけない。

「あのさ、うちの会社は、そんな話に乗ったことがばれればすぐにクビになる会社なんだわ。あなた、わずか30万円で私のクビを切るわけ? 話が3億円だったら考えないこともないが、30万円じゃ乗るに乗れないよ」

私は丁重にお引き取り頂いた。

再び住宅問題である。
1983年6月4日の1面トップは

「100年住めるマンション」
「部品交換容易に」
「来春にも発売 公庫融資上積み」
「建設省推進 1戸建てにも応用」

という記事が載った。マンションの躯体は普通60年、手入れをすれば100年は持つ。しかし、風呂、配管、床などの寿命は短い。住み続けようとすれば交換しなければならないが、マンションの寸法に規格がないため、交換部品を探すのが大変だ。建設省はマンション各戸の内法寸法を90㎝の整数倍に統一し、この規格に合った流し、洗面台、床などの商品化を促そうという中身である。

6月30日には

「大都市の市街化調整区域 宅地化促進へ公共事業」
「道路など重点整備」
「建設省方針 自治体の負担軽減」

という記事、
9月13日には

「賃貸重視打ち出す」
「持ち家限界 民間活力を導入」
「住宅建設計画 建設省が方針」

10月19日は

「農地宅地化へ相続税軽減」
「建設省構想」
「緑地部分を免除」
「指定要件も大幅に緩和」

11月6日は

「マンションも性能表示へ」
「安全性などに目安」
「建設省 来春までに制度化」

私のスクラップ帳は、住宅・土地問題に関連した記事で満載である。しかも、どれもこれも特ダネだったらしい。
恐らく、私が担当になるまでは、経済記者の目で建設省を取材した記者がいなかったのではないか? だから、建設省内を回ればいくらでも

「これ、面白い! 書かなくちゃ!!」

というネタにぶつかった。
それまでの,建設省担当の記者が目も向けようとしなかった話が沢山眠っていた。そこへ私が行き、何本かの原稿を書くと

「今度来た朝日の大道という記者だったら、この話を記事にしてくれるのではないか」

というお役人が増えたのではないか。
通産相時代と違い、建設省では夜回りなどしなくてもいくらでも記事が書けたのである。