2023
09.17

私と朝日新聞 東京経済部の17 私の記事、朝日新聞の紙面で褒められていました

らかす日誌

建設省担当時代を思い出すため、当時の切り抜きを見ていて、1つの記事が目にとまった。「デスク手帳」とあるから、私が書いた記事ではない。それなのに、何故私のスクラップ帳にある?

不信に思って読んでみた。「社長交代劇の本音」という見出しがついており、書いたのは当時のTaデスクである。
半分ほど読み進んだところ、こんな文章にぶつかった。

「そのなかで、殖産住宅相互社長の西原恭三氏の発言が印象的だった。『若さですよ。私は常々、いまの経済界は老化現象が進みすぎていると考えている。老害です。私は55歳で社長になったが、60歳を過ぎると記憶力が鈍るし、行動力もなくなる。みなさん強がりはおっしゃるが、本音は私と同じなんですよ』
こちらは40代も半ばながら、最近とみに記憶力の減退を感じているだけに、心底なるほどと思った。こういう原稿は、デスクとしても楽しい。同社の新社長、浦上隆男氏は55歳。今回のシリーズで、見出しに新社長の年齢を入れた理由も、これでおわかりだろう」

ふーん、そんな新社長の原稿があったんだ。いや待て。殖産住宅相互といえば、建設省担当だった私しか取材する記者はいなかったのではないか? 俺、そんな記事書いたか?
スクラップ帳を前にめくった。あった、あった。「よろしく新社長」という連載の10回目である。確かに浦上隆男さんが登場している。私がインタビューし、まとめたらしい。そして、西原恭三氏さんの話は、末尾にあった。「なぜ この人を」というコーナーである。
Taデスクが引用している西原さんの話には、さらに続きがある。

「副社長だった矢野君では私と1歳しか違わず、若返りにならない。自然、浦上君に白羽の矢を立てたわけです。もちろん、営業力、企画力、管理力など社長としての能力は十分との判断が前提に会っての話ですよ」

この原稿を書きながら、Taデスクは何故私が書いた原稿を褒めたのか、を考えてみた。
私はこのデスクに面と向かって褒められた記憶はない。むしろ、苦言を受けることが多かった。それによくよく考えれば、Taデスクの「デスク手帳」で褒められているのは私ではない。私のインタビューに応じた西原恭三氏である。
では、Taデスクは何故、犬も食わない内輪褒めとも読める原稿(犬も食わないのは夫婦喧嘩ですが……)を書くほど、西原氏の話に感じ入ったのか。

1つには、経済記者として取材をしていたころ、取材相手の高齢ぶりにうんざりしていたこともあるだろう。この爺さん、まだ役職にしがみついているのかよ、との苦い思いをかみ殺していたのかも知れない。
だが、Taデスクの標的は、実は朝日新聞にあったのではないか、と思えて仕方がない。「デスク手帳」によると、この時Ta デスクは40代半ば。かつて朝日新聞では30代半ばになると記者を卒業、デスクになる時代もあったと聞いた。それだけ会社が若かったのだが、いまや40代半ばでデスクである。朝日新聞は高齢化が進み、活力を失いつつあるのではないか? という思いが、

「上に年寄りばかりいてあれこれ口出ししやがって。俺はいつになったら部長になれるんだよ、役員になれるんだよ」

という個人的思いとない交ぜになって、西原氏の鋭い一言に感性が共振したのではなかったか。

もっとも私は、Taデスクとはやや違う考えの持ち主だ。高齢者? いいじゃん、役に立つうちは使っちゃえば、というスタンスは、自分が高齢者になったから唱えだしたものではない。経営の合理性を尊ぶなら、バカな若者より、優れた年寄りを使うのが当たり前ではないか? と思うのだ。10年たってもろくな原稿が書けない若手の記者より、体力勝負は苦手でも、昔取った杵柄でいい原稿を書く記者に任せた方がいいのではないか?
最近の朝日新聞を眺めていると、そんな気がして仕方がないのである。

経営者の年齢の話を書いていたら、住友不動産の会長だった安藤太郎氏を思い出した。
確か、住友銀行の副頭取から住友不動産に転じた人で、当時、80歳近かったような記憶がある。

その日、安藤さんはこんな会話を始めた。

「大道君、最近銀座には行ってるかね」

いや、銀座で遊ぶほどの金はないものですからご無沙汰しています。安藤さんはまだお出かけになるんですか?

「そうだな、週1回は銀座に足を伸ばすな」

それはそれは。しかし、お元気ですねぇ。

「だってな、週に1回ぐらいは若い女の乳を揉まないことには、老け込んでしまうだろうが」

ギョッとした。このじいさん、色をこよなく好む英雄なのか? それとも単なる色狂い?
若い記者にこんなあけすけな話をする。当初は年かさの取材先の前では緊張していた私が、その頃までにはいっぱしのじじい殺しになってこんな話を引きだしたのかも知れない。