2023
09.24

私と朝日新聞 北海道報道部の5 衆参同日選の惨劇

らかす日誌

前回ご登場いただいた、政治部から来たデスクをMuという。私の着任時は、政治部から来たデスクはFuさんであった。ところが、1986年の衆参同日選挙が確実になったころ、北海道支社の編集総務(編集部門で一番偉い人)はデスクを取り換えた。Fuさんが札幌からいなくなり、代わりにMuが来た。それが惨劇の始まりだった。

Fuさんも政治部から来たデスクだった。しかし編集総務(この人も確か政治部出身だった)の目には頼りなく映っていたらしい。お眼鏡にかなったのがMuというわけだ。
私はFuさんとは気が合った。彼は

「大道が目を血走らせて取材している姿を見てみたい」

といったことがある。私は期待されていたのか。それとも手抜き仕事をする記者だと見られていたのか。しかし、よく酒を飲み、いまでも賀状を頂くから嫌われていたはずはない。

しかし前回お読みいただいたように、Muとはまったくダメだった。まるで発想が異なり、論理体系が違った。

いい悪いは別にして、新聞社とは選挙報道にきちがいじみた力を注ぐ。加えて、今回は衆議院選挙と参議院選挙が一緒にあるのだ。力の入れ方は大変なものであった。
選挙キャップがおり、選挙区毎に担当者が決まる。私は衆議院選挙のどこかの区(記憶にない)を受け持った。昼間は情勢取材。夜の遅い時間、毎日のように「情勢判断会議」が開かれた。土曜も日曜もない。各陣営は土日なしで選挙運動を進めるからだ。情勢判断のための取材に加え、続き物を書くための取材が加わる。それが2ヵ月以上続いた。

明日が投開票日、という日も、目先の仕事をこなすだけで夜9時頃までかかった。ああ、やっと終わった。あとは明日を待つだけである。

「おーい、今日は早く帰ってゆっくり風呂に入り、早めに布団に入ってぐっすり寝ようや。スッキリした頭で当打ちしなくちゃな」

選挙チームの仲間にそう呼びかけた。みんなも同じ思いだったはずである。私たちが帰り支度を始めようかという時、Muが来た。

12時半から最終情勢判断をする。当打ちの手順についても詰める」

メディアは開票作業が終わるのを待つことなく、一刻も早く当落を知らせたいと思う。同業他社と比べて、どちらがどれだけ早く当選者を見極めることができるかを競うのである。テレビの選挙速報で、局毎に当選者数が違うのはそのためだ。当打ちとは、開票の中間報告を見て

「これなら当選する」

と判断することをいう。長々と情勢判断の取材を積み重ねるのはそのためだ。

深夜0時半からの会議。おい、Mu、ちょっと待て。ここにいる全員、疲れ切っている。ゆっくり風呂に入ったのはもう何ヶ月も前だ。しかも、明日は重大な当打ちをしなければならない開票日ではないか。風呂にゆっくり浸かり、疲れを取るために十分な睡眠を取って明日に備えるのが当たり前ではないか?

皆の気持ちは同じだったはずだ。だが、相手はデスク様である。

「えっ、そんな時間から会議をやるんですか?」

と口にした仲間はいたが、反抗はできない。結局会議は開かれ、帰宅したのは2時頃ではなかったか。そして翌朝の着席は、確か7時半。
こうして惨劇は準備された。

各人が自分が担当した選挙区の当打ちをする。選挙管理委員会が発表する中間集計、票の開き方を見るために開票所に配置されている記者、アルバイトの報告を元に、「当」を打っていいかどうか、判断する。そして担当者というものは、一刻も早く「当」が打ちたい。競争場裏に置かれたものの常である。

「お、早いな。お前は仕事ができるな」

という評価を期待してのことである。
こんな環境に置かれた時、統括するデスクとは逸る記者を押しとどめる立場であると私は思う。

「当を打ちましょう!」

という記者を、

「いや、まだ〇〇の票がほとんどあいていない。あの地区は今2番手の△△の地盤だ。逆転もありうるんじゃないか? そんな計算はしたか?」

と押しとどめる。正確な選挙結果報道をするには、そんな役割分担が必須なはずである。

ところがMuは違った。担当者以上にMuが逸ってしまったのである。

「おい、まだか。もう打てるだろう、何をグズグズしているんだ?」

と担当者を督励して回る。

「いや、まだ〇〇の票がほとんどあいていません。あの地区は今2番手の△△の地盤です。逆転もありえます。次の票の開き方を見なければ打てません」

と担当者が応える。
果たす役割がまるで逆である。

こうして惨劇が起きた。あの衆参同日選挙で、朝日新聞は全国で3つの打ち間違いをした。結果的に当選しなかった候補を、当選、あるいは当選確実とした新聞を配ってしまったのだ。
そして、その3つのうち2つが北海道だった。

仕事が一段落した午後、Muはソファに仰向けに寝て目をつむり。腕を目の上に置いていた。己が引き起こした惨劇に恐怖していたのだろう。何らかの処分は必至である。まさかクビになることはないが、左遷は避けられない。
だが、誰も近寄って慰めようとはしなかった。

私? 私の当打ちは正確だった。そもそも、一刻も早く当を打つ必要がどこにある? ほんの数十分か数時間待てば票が確定するのだ。それをほかより早く報じることに何の意味がある? そんなことに記者としての未来を賭ける必要があるか? であれば、ゆっくり、間違いようがない段階まで票があくのを待つのが当たり前ではないか?

こんな私だから、Muとは最初から気が合わなかったのである。