10.03
私と朝日新聞 北海道報道部の14 餞別の問題
私に、東京経済部に戻れとの辞令が出たのは1987年3月末か4月頭のことである。この年、統一地方選挙があり、1ヵ月東京帰任が伸びた。子どもの学校があるので家族は3月末に横浜に帰し、私は1ヵ月の単身生活を送った。
選挙が終わると送別会ラッシュが待っていた。取材に御世話になった先に転勤のあいさつに回ると、次々と
「送別会をやりましょう」
との誘いを受けた。ありがたい話である。時間の算段がつく限りお受けした。
2、3回送別会に出ているうちに、
「これは札幌の風習なのか?」
と気になることがあった。酒宴が終わりに近づくと、
「これ、ほんの気持ちばかりですがお餞別です」
と封筒を差し出されるのだ。
場合によれば、人を批判するペンを持たねばならない記者という職業は、金銭に清潔でなければならない。何かの機会に金を受け取ってしまえば、
「あれは金をもらって書いた記事ではないのか?」
との疑いを招いてしまう。送別会であるとのたてまえでご馳走になるのも問題かも知れないが、そこまで世間の付き合いを拒絶する勇気を持たない私も、ご馳走になることと金銭を受け取ることに間には大きな陥穽があると思い、金銭を受け取ることには抵抗がある。
「いや、記者という職業は金銭を受け取ってはいけないのです。お気持ちだけありがたく受け取っておきます」
と断り続けた。
たった2、3回の送別会の全てで「お餞別」の封筒を差し出された。いかん、これは札幌の風習か?
次の送別会から私は、飲みながらの雑談にこんなことを紛れ込ませた。
「いやあ、皆さん私みたいな者に送別会を次々に開いていただいて、札幌の人って暖かいですね。でも、困ったのは、皆さんが『これ、餞別です』って封筒を差し出されたことですよ。記者が取材先から金銭を受け取っては行けない職業であることは常識じゃないですか。札幌の常識には少し田舎じみたところもありますねえ。人情が厚いことの裏返しかも知れないけど」
一方が餞別を差し出す。再出された方は受け取りを拒絶する。何ともいえない重苦しい空気が一瞬流れる。
「固いことをいう男だな。器量が小さいんじゃないか?」
「記者に金を渡そうなんて、この田舎者め」
そんな双方の思惑が交錯する。それを避けるため、冗談みたいな話をして餞別を出すのを事前に止めようというのが私の狙いだった。その後、餞別の封筒は私の前に姿を見せなくなった。
そんなことを繰り返しているうちに、
「そういえば、俺と一緒に札幌を離れる若い使者もいたんだよな。あいつも送別会を開いてもらっているんだろう。餞別を出すのが札幌の風習なら、あいつも餞別を差し出されているはずだ」
と思いついた。そこで、報道部で顔を合わせた時に聴いてみた。
「札幌って田舎だなあ。送別会に出ると餞別を差し出される。記者は取材先から金を受け取ってはいけないという常識が、まだ札幌までは広がっていないのかな」
遠回しに、餞別を受け取ってはいけないと伝えようと思ったのである。
返ってきた答えは意外なものだった。
「えっ、餞別を受け取ってはいけないんですか? 去年転勤したあいつも、あいつも餞別を受け取っていましたけど」
私が声をかけた記者、彼が挙げた「あいつ」も「あいつ」も、あの I デスクと一緒に飯を食いに出るグループの一員だった。デスクという地位が若手を指導する立場を意味するのなら、あれだけ一緒に飯を食っているのである。記者としてのモラルを、以心伝心で伝えなければならないはずだ。だが、それが若手には伝わっていない……。
私のモラルが堅苦しすぎるのか、それとも、考えたくはないがあのころから朝日新聞の一部に堕落が始まっていたのか。
お読みいただいている皆さんは、どちらだと判断されるだろうか?
そう、人ばかり批判していてはいけない。餞別は受け取らないという原則を貫いた私であったが、1つだけ受け取った餞別があった。万年筆である。
「大道さん、記者という仕事は字を沢山書くんですよね。できるだけ楽に字を書いてもらおうと思って、これを見つけました」
と差し出された万年筆だけは断れなかった。その人の思いが籠もっていると思えたからだ。
「いや、原稿を書くのは鉛筆かボールペンで、万年筆なんて何年も使っていませんから」
と断ることもできたはずだ。しかし、そんなことを言い出しては、彼の好意を裏切るような気がしたのである。
そんな中途半端な私のモラルも、合わせてご判断いただきたい。