2023
10.06

私と朝日新聞 北海道報道部の17 道東を旅したの1

らかす日誌

夏休みを利用して道東を旅したのは1985年8月である。

「旅をしたい」

と言い出したのが誰だったかは忘れた。まさか子どもの1人が言い出すはずもないから、私か、あるいは妻女殿だったに違いない。
だが、計画は私がたてた。今年は道東を回ろう。来夏は道北に行く。そこで今年の4泊5日だが、どんな旅をする?

移動手段は、愛車フォルクスワーゲン・ゴルフ。これで道東をぐるっと回る。金は出来るだけ節約したい。4泊全てにホテルを利用するなどという贅沢は、我が家の家計では無理である。これが前提だ。
旅とは日を重ねるにつれて疲れが蓄積するものだ。それを計算に入れてたてた計画は

・1日目:キャンプ
・2日目:バンガロー
・3日目:民宿
・4日目:ホテル

である。元気なうちは地面の上にだって寝ることができる。次は屋根付き、そして御世話をしていただける民宿、最後は豪華なホテルで過ごすという計画だ。我ながらみごとである。

1日目。朝、8時か9時に出発した。当時、北海道には高速道路なんてほとんどない。なくて結構なのだ。真っ直ぐ地平線まで延びる道路には、車の姿はほとんどない。パトカーに注意しながら、でも時速80㎞程度では走れる。時折牧場を通りかかる。牛がいてのんびり草を食んでいる。馬がいる。疾駆する姿は優美である。

「お父さん、写真撮ろうよ」

車を止めて写真を撮る。

ワインで著名な池田町に向かった。ここで昼食をとる計画である。さて、何を食べたんだったかな。あまり記憶にないということは、たいしたものは食べなかったのだろう。

この日の目的地は白糠町のキャンプ場である。着いたのは夕刻だった。管理事務所で手続きし、テントを借りる。キャンプ場を見ると、テントが1つしか張られていない。

「ここ、あんまり人が来ないのかねえ?」

「いや、昨日はすし詰めだったんですよ」

そういえば、この日は日曜日。いわれてみれば、日曜日の夜にキャンプする人は少なかろう。
長男に手伝わせながらテントを張る。

「さあ、今日はここで寝るんだ」

妻女殿と長女、次女は夕食の支度を始めた。飯ごうで飯を炊き、おかずはカレーではなかったか。どこでも食べることができるメニューではあるが、自然のまっただ中で食べると別の味がする。私はビールを飲み、食事が終わるともう何もすることがない。早々と寝た。それとも、花火でも楽しんだか。

翌日。改めてキャンプ場を見回す。昨日1つだけあったテントも、もう撤収されていた。ふと、思いついた。

「おい、車を運転してみたいか?」

長男は小学校5年生であった。車に関心を持ち始める年頃だ。本当の車のハンドルを持ちたいはずだ。この広々とした空地なら、誰に迷惑をかけることなく、小学校5年生に車を操らせることができる。

「えっ、僕が運転していいの?」

「ここならOK だ」

長男を運転席に乗せる。シートを移動して体に合わせる。

「足元の一番左にあるのがクラッチ、真ん中がブレーキ、一番右がアクセルだ。まず、ギヤがニュートラルに入っているのを確認して、クラッチを踏みながらキーを回せ。ほら、エンジンが動き始めただろう」

車の操作法を1から教える。

「次はクラッチを一番奥まで踏み込んでギヤをローに入れる。入ったか? そうしたら、アクセルを少し踏み、クラッチをゆっくり戻せ」

ガクン! エンジンが止まった。

「クラッチの戻しが早すぎた。もう一度最初からだ」

2度目か3度目、車は動き出した。

「アクセルを踏むとスピードが上がる。ハンドルをしっかり持って、危ないと思ったら足をアクセルから離してブレーキを踏め」

私は助手席にいる。右手はサイドブレーキを握りしめている。危なくなったらこれで止めなければならない。
ギヤはローに入れっぱなしだ。シフトアップはまだ難しかろう。キャンプ場の地面はデコボコである。車は激しく上下しながらキャンプ場を走る。曲がる。見ると、長男の目が輝いている。

「よーし、もういいだろう」

白糠町のキャンプ場は、長男が初めて車を運転した記念の場所である。

2日目の朝キャンプ場を出た私たちは摩周湖を目指した。ここは名だたる観光地である。寄ってみなければなるまい。
途中、大きな湖があった。季節は夏。そういえば、昨日は風呂に入っていない。

「おい、湖で泳ぎたいか?」

うちの子どもたちは水泳教室に通っていた。そこそこは泳げる。岸に近いところなら危ないこともあるまい。

「泳ぎたーい!」

車のリアシートから黄色い声が上がる。車を止め、1時間ほど水遊び。

到着した摩周湖は、布施明の歌にも歌われた観光地であるにもかかわらず、ほとんど人がいなかった。平日の月曜日だったからかもしれない。それに厚い雲がかかっていて、水面はドンヨリとした重苦しい色を見せていた。あまり美しくない。来る季節を間違えたか? 一言でいえば期待はずれだった。

2日目の宿泊場所がどこだったか、お恥ずかしながら思い出せない。根室半島の付け根あたりにある町(ひょっとしたら中標津?)の、バンガローのあるキャンプ場である。
アイヌ民族の伝統芸能を見たのもここだった記憶がある。舞台でアイヌの衣装を身につけた人たちが祖先から受け継いだ踊りや音楽を演じる。なぜか長男が舞台に引っ張り上げられ、アイヌの人たちと一緒に踊った。長男は戸惑っていたが、娘たちは大喜びだった。
そこで不思議な音に出会った。アイヌの演奏家たちが竹のヘラみたなものを口元に寄せ、下がった紐を指ではじいている。そのたびに

ビーン、ビーン

といった音が響いてくる。音階が出るわけではないからメロディを奏でることはできないが、その幻想的な音にすっかり魅せられた。ムックリ、という伝統楽器らしい。販売もしていたので、確か子ども3人分買った。札幌に帰ってからも、しばらく我が家では

ビーン、ビーン

という音がしていた。

食べたのは北海シマエビという地元の名産である。ネットで調べると、「海のルビー」と表現されていた。ずいぶん希少で高価なものだと書いてあるが、私たちはボイルして赤くなったヤツをボールいっぱい買って来て、みんなで皮をむきながらかぶりついた。
味? 記憶にない。ということは、それほど美味だとは感じなかったということか。

その日はしっかりした屋根と壁があるバンガローで寝た。道東の旅、2日目はこうして暮れた。