2024
04.26

私と朝日新聞 事業本部の4 私はテレビ局に天下りたかった

らかす日誌

①、②と、私が思い描いていた定年後構想を書いた。そんなことを考え、問われれば人に話していたのは確かだが、いずれも夢想でしかない。
沼津に引っ越す? その資金は?
大学生になる。授業料は払えるのか? 女子大生にお酒をご馳走する金はあるか?

私には蓄えがほとんどなかった。朝日新聞は給与が高いといわれる。確かに、世間相場よりも高かったと思う。だが、出て行く金も半端ではない。野村證券の田淵さんと初めて酒を飲んだ時の話はご記憶だろうか。取材先と酒を飲むのはポケットマネーである。相対的に高い所得も、人脈を広げるために出て行った。ついには、社内の信用組合から借金をして酒席を設けるようになった。

「これは自分に対する投資だ」

と自らに言い聞かせた。
その上に、住宅ローン、教育ローンがある。すべてを返し終えたのは57歳の時である。それまでは貯蓄するゆとりなど全くなかったのだ。つまり、細々と貯蓄ができるようになったのは定年のわずか2,3年前に過ぎない。たいした蓄えが出来るはずがない。

だから、定年後の暮らしについて夢の反対側には、金を稼がねばならぬという現実もあった。その道を探さねばならない。

私はテレビ局に行こうと思っていた。数多くの朝日新聞定年退職者がテレビ局に天下っていた。天下りがいいとは思えない。突然空から降ってくる偉いさんを歓迎する会社なんてありえない。朝日新聞からのわずかな出資金があるため、テレビ局は朝日新聞からの天下りを受け入れざるを得なかった。受け入れる以上、朝日新聞からの天下り組におべっかを使うしかなかった。

そんな構造の中での天下りである。天下った連中の評判は、デジキャス時代に地方局の人たちから聞かされていた。悪い。評判がいいやつはほとんどいない。であれば、朝日新聞からテレビ局に天下ることが制度としてあるのなら、あんな連中が行くより、私が行った方がはるかに役に立てるはずだ、と私は考えた。すでにガタが来始めた新聞社より、テレビ局の方が面白い仕事ができるのではないか、とも考えた。
それだけでなく、

「大道さん、うちの局に来て下さいよ」

と声をかけてくれる地方局の若い仲間もいた。豚もおだてりゃ木に登る。私の思いは確信となった。私はテレビ局に行く。

「テレビ局、それも準キー局に行きたい」

と公言する私を何とかしようとしてくれた当時の事業担当専務が、話をまとめる前に専務の職を離れたのは前に書いた通りである。その専務(彼は社会部出身だった)に代わって担当専務になったのは、販売局出身の人だった。この人にも定年後のことを聞かれ、同じように

「テレビ局に行きたい」

と話していた。人の考えはそうそう変わるものではない。私はテレビ局で仕事をしてみたかった。私なら何かが出来るのではないか、と考えていた。

「大道君」

とその専務に呼び出されたのは、あと半年で定年、という頃だった。

「君の行き先が決まったよ。長野朝日放送だ」

長野朝日放送? それは完全な地方局である。私が望んだ準キー局ではない。ま、朝日新聞で役員にならず、それどころか局長、あるいは局長待遇にもならなかった私である。そんな低い身分から、準キー局を望むのは高望みということか。ここらあたりが落としどころか。やむを得ない。

「ありがとうございます」

そう答えた私は、長野朝日放送に天下った後の仕事を考え始めた。
地方局はどこも大変である。番組はキー局(テレビ朝日)、準キー局(朝日放送、名古屋テレビ)が制作した番組をそのまま垂れ流すのがほとんどで、地元で作る番組などわずかだから、制作費がそれほどかかるわけではない。しかし、テレビ局の収入のほとんどを占めるCM収入は地元の経済力による。東京なら」あるいは大阪、名古屋なら大企業が目白押しである。しかし、ローカル局となると、地元の経済力は見劣りする。全国通しのCMを打ってくれるスポンサーがいればいくらかのおこぼれには預かれるだろうが、足りない分は地元企業にお願いしてCMを流してもらうしかない。

では、ローカルテレビ局はどうすれば生き残ることができるのか? 私は、徹底して地元の役に立つテレビ局になるしかないと考えた。地元経済を活性化するテレビ局にならねばならない。
だが、役員室に座り込んで頭脳を回転させても、テレビ局が地元に役に立つ方策が見つかるわけではない。役員室に鎮座していては、ろくな考え、アイデアが浮かぶはずがない。

私は、長野県内の商工会議所、商工会を取材して回ろうと思った。運転手などいらない。自分で、愛車BMWを翔り、ローカル経済の要であるはずの商工会議所、商工会を回る。そして

「我がテレビ局は皆様のお役に立ちたい。地元経済を活性化したい。そのためにはどんな番組をお望みですか?」

と訪ね和間ろう。自分に知恵がないのなら、知恵のある人に知恵を借りる。記者時代から繰り返してきた手法である。
無論、商工会議所も商工会も、いってみればローカル経済の成り上がり者で構成されている組織であり、彼らの視線は地元経済の活性化より、己の権威付けに向かいがちなことは十分に承知している。だが、中にはまともな商工会議所、商工会幹部、職員もいるのではないか? そんな人々と握手をすればローカル局にも展望が開けるのではないか?

少しずつ考えを煮詰めつつあたった。そんな折りである。再び担当専務からお茶に誘われた。席に着くなり、専務さんがおっしゃった。

「大道君、悪い。あの長野朝日放送の話はなかったことにしてくれ」

?? だって決まったって言っていたじゃない。どうしたの?

「実は、長野朝日放送の役員の1人が、君の着任に強行に反対した。大道だけはいやだと行って聞かない」

長野朝日放送の役員? 知り合いはいないはずだが。それ、いったい誰です?

「Iという。朝日新聞からいっている男だ。君、どこかで知り合ったことがあるのか?」

このあたりから先は「北海道報道部の12 テレビ局に天下れなかった話」をお読みいただきたい。札幌の縁が私の天下りを阻んだ。定年後のプランが根底から覆った。

さて、どうしよう?