2023
10.11

私と朝日新聞 北海道報道部の21 札幌の悪い思い出

らかす日誌

妻女殿の両腕の手首か先が真っ白になったのは、札幌で初めて迎えた冬だった。

「なんでこんなになるのかしら」

「血の巡りが悪いんだよ。もともと血の巡りが悪いだろう? お前」

最初はたいして気にしていなかった。血の気が引いた両手も、時間がたてば元に戻っていたからである。
白蝋病、という病名は知っていた。チェーンソーを扱うなど、両手が激しい振動に長時間晒されると、血管が収縮して血の気が失せる病気である。その病に冒された手を見たことはないが、妻女殿の両手は文字で読んだ白蝋病ではないか、と私には思えた。
しかし、妻女殿の日常を思い起こしても、両手がそんなに激しい振動に晒されることは皆無だ。白蝋病が発症するとすれば、電動ドリルやジグソーを扱うことがある私ではないか。

いまならインターネットで調べることもできる。しかし、当時はそんな便利なものはない。せいぜい、「家庭の医学」などの常備本程度である。あの程度の本で正確な病名にたどり着くのは至難の業である。

「春になって暖かくなったら治るんじゃない?」

その程度の判断しかできなかった。

春になった。それでも妻女殿の手首から先は、時折真っ白くなる。さすがに心配になった。巡りめぐって北海道大学病院の門をくぐったのは何月だったろう。

全身性エリテマトーデス(SLE)だって言われた」

数回の診察の後、妻女殿がそう告げた。

「どんな病気なんだ、それ?」

全身性エリテマトーデス(SLE)とは、自己免疫疾患の1つである。人の体には免疫機能が備わり、その先兵として抗体がある。体外から侵入した異物を見つけ、攻撃、絶滅する。様々な物質に晒される環境で私たちが生体を維持することができるメカニズムだ。
ところが、この抗体が間違いをしでかすことがある。自分の体のどこかを、体外から侵入した異物と勘違いして攻撃、絶滅を期すのである。サッカーでいえばオウンゴールのようなものだ。攻撃が心臓に向けばやがて心臓を破壊し、脳に向かえば死をもたらす。
原因は分からない。紫外線(海水浴、日光浴、スキーなど)、風邪などのウイルス感染、怪我、外科手術、妊娠・出産、ある種の薬剤が誘因になっているといわれている程度である。従って、完治する治療法もない。ステロイド、免疫抑制剤を中心とする薬物で現状維持を図るしかない。国の難病に指定されている厄介な病である。2019年現在、SLEで難病申請をし、医療費の補助を受けている人は6万1835人いる。我が妻女殿がその1人となった。定期的な医者通いが始まった。

それでも、札幌にいる間は症状はそれほどひどくなかった。日常生活はそれまでとほとんど変わらなかった。だが、年齢を重ねるとともに病は重くなり、私が名古屋での3年半の単身赴任を終えて横浜に戻った1993年(94年だったか?)直後には半年ほど入院した。
その間、国立音楽大学附属高校に通っていた長女が平日の家事を引き受けてくれた。が、さすがに土日は休みたいらしく、

「土日はお父さんがご飯作ってね」

と宣言した。単身生活で身についた炊事が役に立った。

鶴見でのかかりつけの医者に

「何とかして70までは生きていたいよね」

といわれたことがある。いま妻女殿は73歳。いい加減な医者である。その後2009年に桐生に移り住み、前橋日赤に通うようになってやや健康が回復した。恐らく、前橋日赤の医者が選択した薬が症状にあったのだろう。

「あのまま鶴見の医者にかかっていたら、今頃死んでたな」

と語り合ったこともある。

全身性衿苫トーデスには遺伝性は確認されていない。一卵性双生児の2人がこの病を発症する確率は20〜60%だというから、まったく無関係ではないだろうが、妻女殿親族にそのような病を持っている人がいるという話は聞いたことがない。いったい、何が引き金を引いたのか。

発祥地、札幌。考えてみれば、これだけが札幌の悪い思い出である。

「札幌に赴任したサラリーマンは2度泣くといわれる」

と、「北海道報道部の15 札幌ア・ラ・カルト」で書いた。しかし私は、赴任する時には泣かなかった。

「北の大地に行ける!」

とワクワクした。そして、

東京経済部勤務を命ず

という帰還命令が出た時も涙などなかった。子どもたちの学校に合わせて3月末に家族を横浜に送り出すと、残りの1ヵ月、単身生活を楽しんだ。時は4月。まだ北海道はスキーシーズンである。休みのたびに車にスキー板を積み込み、コンビニで買った握り飯を頬張りながら、スキー場に通った。妻の膠原病発病を除けば、私は札幌暮らしを満喫したのであった。