10.21
私と朝日新聞 2度目の東京経済部の9 プロジェクト金融
その頃、東京で膨れあがったお金は国内では使い切れなかった。米国の金融市場、不動産市場に流れ込み、それでも運用し切れなくて海外の大型プロジェクトにも注がれていた。これを「プロジェクト金融」という。私がロンドンに足をおろしたのは、「プロジェクト金融」の中心地となっているロンドンで何が起きているかを知るためだった。
帰国後の11月2日に掲載された記事はこんな風に始まっている。
「晴れ渡ったドーバー海峡の向こうにフランスの陸地が見えた。ロンドンから車で南東に約3時間、ドーバー海峡トンネルの英国側の工事拠点フォークストンの町には、すでに250人の作業員が集まっていた。町はずれには建設資材が積み上げられ、12月着工に備えて準備が進んでいた。
海底部分36.5㎞、総延長49.2㎞のトンネルが1993年半ばに完成すると、ロンドン—パリ間は3時間15分の直行列車で結ばれる。19世紀初頭、ネルソン提督の率いる艦隊に海上からの英国征服を阻まれたフランスのナポレオンが夢見たトンネル掘りは、その後、英仏両政府が着工にまでこぎつけながら中断したいきさつがある。それが、民間だけの力で動き出したのだ。総事業費50億ポンド(約1兆2000億円)のうち工事費は27億ポンド(約6500億円)で、青函トンネルの工事費とほぼ匹敵する。50億ポンドのうち23.3%は日本の銀行39行が融資する。当事国である英国の銀行の融資比率は9.2%、フランスの銀行が18%だから、日本の銀行ののめり込みぶりがわかる」
ドーバー海峡トンネルだけを見ても、日本の金融機関の突出ぶりがわかる。当事国である英仏を凌ぐ額を、地球を半分近く回らなければならない東洋の島国、日本の協調融資団がこの事業に投資していた。
当時、ロンドンを拠点にしての「プロジェクト金融」は、ドーバー海峡トンネルだけではなかった。ロンドンの金融街、シティの一角を再開発する「ブロードゲート計画」では、総工費20億ポンド(約4800億円)の60%を日本の14行が引き受けた。その1つ、第5ビルの再開発では、必要資金8000万ポンドのうち、実に92.5%が日本からの融資だった。
東京に、金のなる木が林立しているかのような風景である。
日本で知ったそんな話の実態を書こうとロンドンまでやって来た。主に、三和銀行のロンドン駐在の方々に御世話になった。車に同乗させていただいて、ドーバー海峡トンネル工事の準備が進むフォークトンを案内していただいた。海が見えるレストランで昼食をご馳走になった。ロンドンの金融機関の枢要な人を紹介していただき、インタビューした(もちろん、通訳付き!)。シティを歩き回った。
「この再開発は、ビルの外観を変更しないことが行政から課された条件になっています。つまり、外観は変えるな。その制約の中で中を改装し、今の時代に通用するインテリジェントビルに生まれ変わらせるのが、この事業です」
という説明を聞いて、老大国イギリスの、己の歴史に対する自信を見せつけられた気がした。このビルの集積が創り出す街並みは、「太陽が沈まない国」といわれた大英帝国の俤をいまに伝える彼らの誇りなのだ。
それに引き換え、新興国日本のビルは、ひとつひとつはそれなりのデザインを競っているのだろうが、それが集まると何ともいえない違和感を醸し出すまちになっていることが多い。老朽化すれば、丸ビルがすっかり姿を変えたように、恐らく根本から立て直されて全く姿を変えるのだろう。何となく寂しい国民性ではある。
話を戻せば、日本のバブルが破裂し、空白の30数年が過ぎ去ったいまから見ると、何とも懐かしい時代である。Japan as No.1と称揚された日本経済はどこで舵取りを間違ってしまったのだろう?
驚いたのはロンドンの物価の高さである。
ある日、昼食に誘われた。
「そろそろ日本食が恋しいでしょう」
といわれて連れて行かれたのは地下にある日本食のレストランだった。なるほど、東京で見るやや高級な割烹料理屋という店構えだった。
「何でもお好きなものを」
と渡されたメニューを見て別世界に来たような気がした。全てが高いのである。刺身定食、うな重など、懐かしい名が並んでいる。だが、すべてが日本の5、6倍はするのだ。
何故だろう。私はこんな時、ケチになる。どうせご馳走になるのだから、値段など気にせずに食べたい物を選んでも私の財布が軽くなるわけではない。それなのに、私の目は安いものを探すのである。
「あった。これが一番安い!」
と選んだのは、焼き魚定食だった。東京の食堂で頼めば、当時なら600円からせいぜい1000円も出せば出てくるような料理である。ところが、メニューに記されている価格は25ポンド。日本円にすれば6000円である。
確か、アジの開きが出て来た。それにご飯とみそ汁、漬物がつき、茶碗蒸しなども添えてあったかもしれない。なるほど、一見高級そうに見える定食ではある。でも、これが6000円もするのか!
ホテルの朝食代に続く物価ショックだった。
こうした物価高のロンドンで、朝食はパン屋さんのモーニングサービスで済ませたことはすでに書いた。では、夕食はどうしたか。
ホテルのレストランではとんでもない価格をふっかけられるのは目に見えている。かといって、町のレストランでもそこそこの金は取られる。それに、イギリス料理は不味さで有名だ。どうしようか、と思案しながらインド料理店に入ったのは、ロンドン滞在何日目だったろうか。
生ビールを大ジョッキでおかわりしながらグビグビ飲み、タンドリーチキンを頼み、最後にカレーライスを口に運ぶ。これで、締めて4000円ほどで済んだ。これはリーゾナブルである、とその日から、夜はインド料理に限ることにした。
考えてみれば、イギリス人とは食べ物に頓着しない国民であると読んだことがある。彼らは自分で美味しいものを創り出すのではなく、美味しいものを食べたければ、美味しいものを海外から取り寄せ、美味しいものを作る料理人を連れてくればいいと考えた。ワインを自国で醸造せず、フランスから運んだ。ついでにフランスのシェフも招いた。植民地であったインドからは多数の料理人が海を渡ってきただろう。中華料理店が建ち並ぶSOHOは、イギリスの繁栄を見てやってきた中国人が集まってつくった町だろう。
私の財布では、フランス料理は無理である。中華料理は気が向かない。そこでインド料理を選んだ。ロンドンを離れるまでこのインド料理店に何度足を運んだだろう。いい選択だったと、いまでも信じている。