10.24
私と朝日新聞 2度目の東京経済部の12 ミュージカル
そろそろロンドンを離れなければならない。ロンドン最終回の一部はコピペ、残りは
『確か、まだ書いてなかったよな」
という組合せにする。思いつくままのオムニバスになるが、お許し頂きたい。
コピペ、その1
まだロンドンにいる。ホテル近くのパン屋さんで朝食をとって、仕事をして、夕方になったら、1人の時はインド料理店に入って酒を飲み、飯を食ってホテルに帰る。寝る。単調な生活ながら、ロンドンは住み心地がきわめて良かった。
(余談)
ある夜、ホテルの部屋で風呂に入った。1日の汚れと疲れを洗い流すためである。ついでに、下着やハンカチの洗濯にも挑んだ。
ハンカチは、洗って絞ったら、窓ガラスに張り付ける。こうすると、アイロンをかけたように皺が伸びる。これを洗い張りという。
下着は、水気を絞ったら……、どこにも吊すところがないので、床に並べておく。なーに、乾けばいいのである。
そんな作業に従事していたら、突然、日本語が耳に飛び込んできた。ここはイギリスである。ロンドンである。1人きりの部屋である。私以外に声を出すものがいるはずがない。ましてや日本語とは……。
おそるおそる、声の主を捜した。バスルームには私だけだった。部屋をのぞいた。誰もいなかった。そのかわり、テレビがついていた。そうか、1人きりでは寂しいので、テレビをつけっぱなしにして湯船に入ったんだっけ。
そのテレビで、どう見ても日本人としか思えない侍たちが動き回り、日本語をしゃべっていた。しばらく見ていると、黒澤明監督の名作「七人の侍」であると知れた。
字幕放送だった。字幕が英語だった。ロンドンにいることを再確認した。
コピペ、その2
昼食にスパゲティが食べたくなった。スパゲティもイギリス料理ではない。イタリア料理である。食べられる。
1人で、ホテル近くのイタリア料理店に出かけた。昼食時を少しはずした午後1時半前後だった。さほど広くない店で、客は初老のイギリス婦人が1人だけ。私を含めて、客は2人だけである。
メニューが来た。さっと眺めて、決めた。このような場所で躊躇するのは見苦しい。せっかく女性を連れてレストランに来たのに、注文する品を決められずにぐずぐずする男に、女を口説く資格はない。多分、口説く能力もない。
残念ながら、無念ながら、私は1人である。1人だが、即座に注文した。バジリコスパゲティである。素材そのものの良さを引き出さなければまとまらないシンプルな料理を頼む。これが原則である。蕎麦なら盛りである。かけである。
注文が終わった客は、暇になる。料理が出てくるのをじっと待つしかすることがない。日本の定食屋なら、時間つぶしのために漫画雑誌や週刊誌を置くところもあるが、ここロンドンのイタリア料理店にはその用意がない。ひたすら待つしかない。
このような状態を手持ちぶさたという。手持ちぶさたの人間はろくなことはしないとは、古よりの事実である。
テーブルの上をながめた。灰皿があった。してみると、この店は、店内でたばこを吸うことを禁じてはいないらしい。
ま、狂ったようにたばこを目の敵にするのは、かつて禁酒法というとんでもない法律を持った経験があるアメリカである。日本が、何事においてもアメリカに追随することは、太平洋戦争後の悲しむべき現実である。
比べて欧州は、人間の悪癖への寛容度が高い。人間とは、そのような存在でしかないことを知っている。文化に奥行きがある。喫煙に関しても、比較的おおらかである。
が、この店には、私以外に1人だけ客がいた。初老のご婦人である。女性に敬意を払うのは、男子たるもの、ひとときとして忘れてはならないことだ。増して異国の地では、我が国の名誉にかけても守らなければならない。
“Excuse me, but do you mind my smoking? ”
見知らぬ老婦人に対してもこの程度の挨拶をするのは、常識以前のことなのである。
彼女はしばらく考えていた。やがて、私を見てにっこり笑った。
“Cigarette only, please.”
渡る世間に鬼はなし。きっちりと手順を踏めば、場が和やかになり、たばこが美味しく味わえる。スパゲティの味は記憶にないが、気持ちの良い昼食であった。
店を出てホテルに戻る道すがら、屋台のようなものにたばこをたくさん飾って売っている店に気が付いた。そういえば、たばこが切れかかっている。買わねばならない。
見たことがないたばこばかりである。洋モクばかりである。さて、どれが良かろうか、と考えてみても、見当が付くわけがない。適当なヤツを掴んで、
“How much? ”
と聞いた。2ポンド50だという。瞬間、私は思った。
「なんだ、日本もイギリスも、たばこの価格ってあまり変わらないのか」
金を払い、「SILK CUT」と書いてあるたばこをポケットに入れ、ホテルに向かって歩き始めた。道半ばまで来て、
「えっ!」
と声を挙げた。俺は間違ってる!
2ポンド50は、断じて=250円ではない!
2.5×240=600円
なのである。頭がボーっとしていたのか、1ポンド=100円で計算してしまったのだ。完全なる勘違いである。
たばこ1箱600円。日本の2倍以上である。1日1箱消費すると、毎月の出費は1万8000円である。イギリスとは、暴力的なまでにたばこの価格が高い国なのである。
(余談)
このときの経験から、私は1つの定見を持つようになった。
消費不況から抜け出す道が1つある。デノミネーションの断行である。たとえば、いまの100円を、新しい1円とする類である。
私と全く同じ勘違いをして、高額商品を買ってしまう粗忽者が少なからずいて、消費が急速に伸びることは疑いない。
この日は、珍しく午後から暇だった。あいた時間を使って、懸案を処理することにした。アクアスキュータムのトレンチコートを買うのである。満を持して、リージェントストリートに出かけた。
日曜日にはひっそりしていた通りが、この日は活気にあふれていた。改めて観察してみる。
通りは、途中で緩やかにカーブする。通りの両側のビルの壁は、このカーブに沿って緩やかに曲面を描く。優雅で、美しい通りである。
アクアスキュータムを探した。この通りで店を探すのはなかなか難しい。店名を表示するプレートが壁面に張り付けられているからである。そのプレートに近付かないと、何の店なのか全く分からない。
不便である。が、街がすっきり、優雅に見える。
香港は違った。店名を表す看板は、店の壁から直角に突き出している。だから、遠くからでも目的の店が判別できる。幟が乱立しているようなものだ。
便利である。しかし、がさつである。
前者が欧州的な街の作りだとすれば、後者はアジア的な街の作りである。日本は、アジアに属する。
(余談)
建物のデザイン、配色など、洋の東西で違うものが多い。中国に源を発する、どちらかというとけばけばしい朱色などを多用する東洋に対し、西洋は石の地肌の質感をそのまま生かすなど、しっとりとした落ち着きを見せる。
この面では、私は西洋に共感を覚える。
目的の、アクアスキュータムの店を見つけた。店内に入り、トレンチコートを探す。袖を通してみてサイズを合わせる。価格290ポンド。
念のため、通りを隔てて、ちょうど反対側にあるバーバリーの店ものぞいてみた。ほぼ同等と見えるトレンチコートが、270ポンド。
将校と下士官の格差は、20ポンドである。
そこまで確認して、アクアスキュータムに戻った。290ポンドと、ライナーが60ポンド。合計で350ポンドである。なんでも、出国時に手続きをすると、消費税が40ポンドほど戻ってくるらしい。ということは、実質310ポンドである。
240×310=74400円
10月のロンドンは、トレンチコートを着て歩くには、まだ気温が高すぎた。が、欲しかったものが手に入ったのである。袖を通さない手はない。
ホテルに帰り着くと、ハンカチがぐっしょり濡れていた。
ロンドンに行くことが決まって、もう1つ楽しみにしていたことがある。
聖地への巡礼である。
ロンドンに聖地があるかって?
ある。こよなくThe Beatlesを崇敬する私にとって、
Abbey Road
は聖地である。スタジオがあり、後期の曲はすべてこのスタジオから生み出され、アルバム「Abbey Road」のジャケットには、4人がスタジオ前の通りを横断している写真が使われた。Paul McCartneyだけが裸足だったことから、Paul死亡説がまことしやかに流れた。
これが聖地でなくて、ほかのどこが聖地であろうか。
生きている間に、一度は聖地を訪れる。これは、信者の努めなのである。
ロンドンに到着してすぐ、地図を買った。「A to Z」というロンドンの市街地図である。嵩張るのは嫌だから、小さいのにした。
仕事が一段落して、聖地を巡礼する時間がとれる見通しが立ったころ、ホテルの部屋でこの「A to Z」を開いた。索引でAbbey Roadを探した。
ない!
何度探しても、このポケット版の「A to Z」には、Abbey Roadがない!
そうか、あまりにも簡略版の地図を買ってしまったのか。そういえば、書店には、同じ「A to Z」でも、小さいのから大きいのまでいろいろあった。よし、明日は暇を見て書店に行こう。一番大きな「A to Z」を見れば、聖地の在処は分かるはずである。
翌日、書店に駆けつけた。一番大きな「A to Z」を引っ張り出し、索引でAbbey Roadを探した。
ない!
一番大きな、ということは一番詳しい市街地図にも、Abbey Roadが載っていない!
このような状態を、途方に暮れる、という。あこがれの聖地への接近を足止めされた私は、代替手段を考えた。思いつかない。地図に載っていない場所に、どうやったら行けるのか? どう考えても、方法が見つからない。
聖地巡礼の方策が見つからないまま、ロンドンを離れる日が来た。午前7時半、ホテルにタクシーを呼び、ガトウィック空港に向かった。少し遠回りして、まだ見ていなかったロンドン塔、バッキンガム宮殿などを回って、やがて機中の人となった。目的地は、アメリカのサンディエゴである。
Abbey Roadが遠ざかった。聖地のすぐ近くに来て、聖地に足跡を記すことなく去る。
私は、神に見放されたのであろうか?
それから1ヶ月ほどして、日本に戻った。何度か、果たせなかった聖地巡礼を思い起こした。思い起こすこと、何度目だったかは記憶にないが、
「えっ!」
と叫んだのである。
タクシーに乗れば良かったではないか。
タクシーに乗って、
“The Beatles’ Apple Studio. Abbey Road.”
と叫べば、間違いなく聖地にたどり着けたはずではないか!
私を見放したのは、神ではなかった。
私が、私の愚かさが、知恵の足りなさが、私を見放したのであった。
トホホ………。
あれからずいぶん時間がたった。私はまだ、聖地巡礼を果たしていない。
以下は、新しく書くことである。
ロンドンには経済部の先輩記者がいた。経済部はロンドンにも定席を1つ持っていたのである。世界一周の旅から帰国してずいぶんたった頃、社外の人から
「大道さん、ロンドン特派員になるんだって?」
と聞かれたことがある。えっ、私がロンドン特派員? まったく聞いたことも考えたこともない。それに、俺、英語はできないぞ。しかも、家族はどうする? 全員で行くのか?
あれこれ考えていたのに、ロンドン特派員を命じられたのは私ではなかった。まったく罪作りな人事情報だった。
それはさておき、私がロンドンにいたとき、この先輩記者がいった。
「こんなことをいってはあれだけど、エイズ(AIDS)が流行ってくれて大助かりだよ」
おかしなことをいう。当時エイズは不治の病だと思われていた。人が沢山死んでいた。エイズが流行って助かっている? それ、何よ!
「あれが流行るまではね、日本からいろんな人が来るだろ。そうすると、必ず『面白いところを紹介してよ』というんだ。ほら、下半身の面白いところさ。まるで売春斡旋業みたいなことをやらされて困っていた。それがエイズが流行りだして、『ロンドンでも流行ってますよ』というと、『じゃあ、いいわ』になった。大助かりだよ」
先輩のところに来て、「面白いところ」を求めたのは朝日新聞の幹部の方々であろう。ああ、朝日新聞は品のない人たちが偉くなっている会社なのか、と思わざるを得なかった。
「大道君、明日ロンドンを去るんだろう? だったら、ミュージカルぐらい見ていけよ」
といったのもこの先輩である。
「ロンドンのミュージカルはいいぜ。いま、Me & My Girl ってのをやってる。面白いよ。是非見ていけよ。俺は今日用事があって案内はできないけど、1人でも大丈夫だろう」
そう言われて、その夜、私はミュージカルなるものを見物に出かけた。入場料は確か、学割が4ポンド(当時、960円)で、最も高い席でも20ポンド(4800円)だった。窓口で私は
「Best Place!」
と注文した。
ロンドンで演じられるミュージカルである。当然英語である。これが困った。わからないのだ。ある場面で周りがワッと笑い声を上げる。何だか滑稽なことが舞台上で演じられているらしい。ところが、言葉がわからない私は笑えない。爆笑の渦の中にいて1人笑わない男。情けなかった。
「よし、次にロンドンに来るまでには、俺も笑えるようになってやる!」
と固く決心した。
それなのに、まだロンドンのミュージカルで笑える域には達していない。いや、英語力は当時より遙かに落ちている。何たることだ! ま、いいか。生きているうちにンドンに行くことはなさそうだもんな。
翌日、ホテルからロンドン・キャブで空港に向かった。コックニー(労働者階級が使う英語)でしゃべる運転手さんだった。私の英語は不自由だが、それでも会話は始まる。
「実は、ロンドン最後の夜になる昨夜、私はミュージカルMe & My Girl を見てきたんだ。英語での会話はほとんどわからなかったが、それでも結構楽しかった」
そんな主旨のことを、多分、間違いだらけの英語で申し上げた。不思議なことに、それが通じたようである。
「そうか、それはいいものを見た。私は妻と一緒に、あのミュージカルを3回見たんだ」
これはこれは。相手は高額所得者ではない。ロンドンキャブの運転手さんである。それまでの会話で月収は1200〜1300ポンド(約30万円)と聞いていた。そのタクシー運転手さんが夫婦で、評判のミュージカルを3回も見た! 朝日新聞の記者といえば、所得は多い方だろう。それでも、私は歌舞伎すら見たことがない。ましてや、妻を連れて演劇鑑賞に見物に出かけたことなんてない。
「そうか。やはり大英帝国の文化は深く根付いている」
経済大国になったとはいいながら、日本にそこまでの文化の広がり、深さがあるか? 何だか寂しく思いながら、ひたすらヒースロー空港を目指したのであった。