2023
10.28

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の16 サンディエゴ空港でのハプニング

らかす日誌

サンディエゴからメキシコシティに行くのは、ロサンゼルス経由である。この乗り継ぎ便で一騒動あった。「グルメらかす」からコピペすると、こんな騒ぎであった。

乗り継ぎ便の出発予定は午前10時半である。9時半には空港に着き、出発ゲートの前で待った。
周囲を見回すと、サラリーマンらしい日本人が2人いた。世界中に日本人がいる時代である。2人の話を聞くともなく聞いていると、これからロサンゼルス経由で日本に帰国するらしい。
そうか。私はメキシコへ。あなた方は故国日本へ。ロサンゼルスで道が分かれるのですなあ。

10時半に近くなった。と、掲示板に、出発時間の変更が表示された。新しい出発時間は11時だという。どんな事情があるのか判然としないが、ま、代替手段はないわけだから、ここは待つしかない。

10時50分頃になって、再び表示が変わった。出発時間が未定になった。
おやおや、未定って、どういうことかね。メキシコシティへの便は午後1時の出発だぞ。間に合うのか? 間に合わなかったらどうなる? メキシコシティでお願いしている通訳には、到着時間を知らせてある。彼は、その時間に空港まで私を出迎えに来ることになっている。予定の便に乗れなくなったらどうするかなあ? そもそも、ロサンゼルス・メキシコシティ間には、1日何便飛んでるんだ? 次の便が翌日以降なんてことになると、これから先のスケジュールがすべてパアになるぞ。うーん……。

不吉なことしか頭に浮かばない。
といっても、代替手段はない。ここは待つしかない。出たとこ勝負、ケ・セ・ラ・セラである。

と腹を決めて、私はソファから動かなかった。動かぬうちに、この予期せぬ出来事を楽しむ気分すら沸いてきた。
すべてスケジュール通りに進む旅なんて、面白くもおかしくもない。ここでのスケジュールの破れが、やがては私をアメリカ合衆国大統領の座に押し上げるかもしれないではないか。
天下を狙うには、動かざること山の如し、を決め込むにしくはない。

(ん?) 
待てよ、武田信玄は、結局天下人になれなかったよなあ……。

「おい、ロス発の飛行機に間に合うのか?」

あの日本人2人連れが、ひそひそ声で話し始めた。

「そうですねえ、ロス発は12時50分ですから、まだ大丈夫だと思いますが、ちょっと聞いてきましょうか?」

「うん、そうしてくれよ」

かくして、2人連れのうち若い方が席を離れ、カウンターの方に歩いていった。してみると、彼は私と違い、かなり自由に英語を操れるもののようである。このようなときに情報収集が自在にできるなど、羨ましくないことはない。

「聞いてきましたが、やっぱり出発時間は未定なのだそうです。ここから車でロスに向かうと2時間ほどかかるそうですから、日本行きの飛行機には間に合いません。待つしかないようです」

「そうか、仕方がないなあ」

英語を操れる連中も、私と同じ結論に達したようである。してみると、英語ができるかどうかなど、実生活ではたいした違いはない

時計が11時20分を回った。表示は、まだ「未定」にままである。
流石に私も、心が騒いできた。が、騒いでもできることはない。待つしかない。
と了解して、動かなかった。

あの2人連れも、まず心が騒いだのに違いない。

「おい、仕事に必要な書類は、すでにロス発の飛行機に積み込まれているはずだぞ。俺たちがあの便に間に合わないと……、困った、いやあ、困った。どうしよう……。よし、手分けして本社や関係先に連絡を入れよう。行くぞ!」

心が騒ぐまでは私と同じだったが、彼らは体を動かした。私との相違点である。

先ほどは若い方が1人で問い合わせに行った。手荷物は、残った年長さんが見ていた。今回は2人とも動く。彼らは手荷物を取ると、小走りでどこかに消えた。

(余談) 
彼らは、私に手荷物の番を頼むという選択をしなかった。動揺が極に達して、そのようなことを思いつくゆとりがなかったのか。それとも、私の人相風体から、信用するに値しないと判断したのか。願わくば前者であって欲しい。

それから5分後、表示が変わった。11時半の出発である。
あの2人は、どこかに行ったまま帰ってこない

間もなく搭乗が始まった。
あの2人は、どこかに行ったまま帰ってこない

座席に座り、シートベルトを締めた。20人乗りほどの小さな飛行機である。
あの2人は、どこかに行ったまま現れない

スチュワーデスがドアを閉めようとした。
あの2人は、どこかに行ったままである。

私に同胞愛が芽生えた。

「ドアを閉めるのはちょっと待って欲しい。この飛行機に乗るはずの日本人が2人、まだ乗っていない。待ってやってもらえまいか」

(余談) 
勿論、英語で伝えたのである。だが、どのような英語であったのか……。いま再現できないということは、かなり問題含みの英語であったことは確かなようだが、なあに、先を読んでいただけばお分かりいただけるように、何とか通じていたようなのである。こけの一念、岩をも通す、か。

ロスで乗り継ぐ客が多いので、待てないというつれない返事が返ってきた。

「そこを何とか。せめて5分」

腕時計を見ていたスチュワーデスが、5分間待つことを承知してくれた。

5分後。
あの2人は、どこかに行ったままだった。
ドアがロックされ、飛行機はロサンゼルスの空港を目指して飛び立った。

彼らはとうとう現れなかった。
乗るはずだった日本行きの便に間に合わなかったことは間違いない。あのあと、彼らはどうしたんだろう?

(本音) 
しかしまあ、ここまでの間の悪さ、ドジな判断、ずっこけちゃった結果、を目の前にすると、厚い同情心が沸き起こるというより、「バーカ」といって笑いたい心境になるのは、果たして私だけでありましょうか?

私は何とか、メキシコシティに向かう飛行機に乗ることができた。しかし、犬も歩けば棒に当たる、という。旅に出るとこんなハプニングにも出会ってしまう。今さらではあるが、あの2人、無事に日本に帰れたのか? すでにロス初の飛行機に積み込まれていた重要書類と再開できたのだろうか?