11.07
私と朝日新聞 2度目の東京経済部の26 長男はスター・ウォーズで英会話を学んだそうだ
そろそろ、私の世界一周の旅も終わりである。
ニューヨークで重いスーツケースを引きずりながら歩いた空港がラ・ガーディアだったかジョン・F・ケネディだったかは忘れた。当日、もう一つ忘れていたものがある。家族への土産である。
「こりゃあいかん。何か買っていかなければ、あんただけいい思いをして、と総スカンを食うぞ!」
(そういえば)
朝日新聞東京経済部に、
「あいつが、総スカンクを食ってさ」
と発言する人がいた。同僚が、
「それは総スカンを食うのまちがいだろ」
と指摘すると、
「何を言ってる! スカンクの屁はとてつもなく臭いんだ。総スカンクを食う、の方が正しい!」
と自説の正しさを主張した。
なるほど、語感としては「総スカンクを食う」はピッタリくるが……。
ちなみにこの方は、日比谷高校—東大卒、であった。朝日新聞にはいろいろな人がいた。
私は空港内の免税店に足を運んだ。
娘2人に何を買ったのか、トンと記憶がない。妻女殿には確かエルメスのスカーフを買ったはずだ。明瞭に覚えているのは、長男用の土産である。
免税店を歩いていた私の目に、触れるものがあった。VHS方式のビデオテープである。タイトルは「Star Wars」3部作。いまでいえば、「STAR WARS: EPISODE IV: A NEW HOPE」「STAR WARS: EPISODE Ⅴ-THE EMPIRE STRIKES BACK」「STAR WARS: EPISODE Ⅵ-RETURN OF THE JEDI」である。
スター・ウォーズの第1作、「STAR WARS: A NEW HOPE」を長男と見に行ったのは岐阜支局時代だった。柳ヶ瀬の映画館に出かけた。面白い映画だったが、見終わって映画館を出た長男は興奮していたような記憶があるが、ここまではまるとは思ってもいなかった。もちろん、第2作、第3作も公開されるたびに映画館に行った。その後、レンタルビデオで何度も借りた。
「確かあいつは、Star Warsの大ファンだった。これを買っていけば、レンタルする必要はなくなるな」
そんなことを考えながらレジで精算を済ませた。それが後の出来事につながる。
隣に住む義父に買ったのは、Dunhillのウイスキーである。
「へえ、Dunhillはウイスキーまで出しているのか」
と思いながらの購入だった。ほかの土産と一緒にカバンに放り込んだ。これも後にエビソードを生み出す。
帰国した私を待っていたのは、原稿を書く苦しみである。
私は、金融知識ゼロからこの企画に加わった。取材で多少の知識は得たとしても、そんなものは目くそ鼻くその類に過ぎない。その私が地球をぐるりと回って、魑魅魍魎が住むに違いない国際金融の上っ面を引っ掻いて返って来た。原稿が書けないのは取材不足、知識不足が最大の原因である。自分が何を書こうとしているのか、取材で集めてきた材料が、国際金融という化け物世界の中でどの部分を占めるのか。それが情けなくなるほどわからない。
「このピースはここだ!」
という全体の見取り図が頭にないまま原稿用紙に向かえば、筆が進まないのも当然なのだ。
加えて、1行14字、250行という原稿量も重圧だった。しかも、これは5W1Hの原則を守って書く普通の記事ではない。1つのテーマについて、お話として読んでもらう記事である。いつ、どこで、誰が、何を、どうした、どういうわけで、を明瞭にし、続く段落で肉付けをしていく普通の記事は書き慣れていたが、お話となると、起承転結を考えなければならない。何から書き出すのか、それをどう展開するのか、弁証法に例えるならば、ここまでは「正」である。その次に来るのは「反」だ。これまで書いてきたことに疑問をぶつける材料がいる。そして両者を止揚(アウフヘーベン)して結論に至る。
いや、そこまで図式的に考える必要はなかろうが、とにかく、長い原稿は書き慣れておらず、取り扱いに窮した。
というわけで、書けない。まず出だしで迷った。キャピタルフライトもタックスヘイブンも、何から書き始めればいいのか。1行書いては考え込み、15行書いては破り捨てる。机に向かっては書けないと思いきると、腹ばいに寝そべって書いた。が、座って書けないものが、腹ばって書けるはずもない。頭の中を原稿がグルグル回る。回るだけでちっとも秩序が生まれない。気が付くと、窓の外が薄明るくなっている。
「もう朝かよ」
そんな日が続いた。家で書けなければ、と東京の記者クラブに出かける。しかし、家で書けないものが記者クラブで書けるはずはない。
「おい、締め切りまでに書けるのか?」
それでも不思議なもので、締め切りまでには原稿は出来上がる。どうやってで出来上がったのかは記憶にない。その原稿をデスクに提出する。文字通り、ズタズタに直される。物書きとしてのプライドが、同じようにズタズタになる。こうして、私の書いた原稿は新聞に掲載された。
さて、ここからはニューヨークの空港で買った土産の後日談である。
長男が英語を操れると知ったのは、彼が大学生の時か、それとも卒業して職に就いてからのことだったか。私にはできない英会話を流暢に操っている。おかしい。長男を語学留学に出した覚えはない。英会話教室に通わせたはずもない。彼が英語を学んだとすれば、中学、高校、大学での英語の授業しかないはずだ。それだけでは英語を操る力がつかない実例である私には、不思議な現象だった。何で俺の息子が英語を話せる?
「おい、お前はなんで英語ができるんだ?」
ある日、私は聞いてみた。答えに驚いた。
「お父さんが土産に持ってきたスター・ウォーズだよ」
スター・ウォーズ? そんなもので英会話がマスターできるのか?
「ほら、あれはアメリカで買って来てくれたんだから、日本語字幕がなかった。でも、スター・ウォーズが大好きだったから、そうだな、1本100回ぐらい見た。最初は日本語字幕がないから、何をしゃべっているのかわからなかった。でも、この映画が好きだから、何を言っているのかどうしても知りたくて、それで英語を必死に勉強した。そうしたら段々わかるようになってね」
そうか。字幕なしのアメリカ映画は英会話力を身に着ける武器になるのか。しかし、お前。勉強はせずにスター・ウォーズばかり見てたのか? だから大学入試は……。もう、言ってみても遅かったが。
その後長男は海外出張を繰り返し、アメリカ勤務もこなした。何の気なしに土産にしたビデオテープが、予想もしなかった効果を生んだ。しかし、字幕なしのスター・ウォーズで英会話を身に着けた人物が、我が長男以外にもいるのだろうか?
Dunhillのウイスキーは、自宅に帰り着くとすぐに、隣家の義父に届けた。その際、
「土産に持ってきてあれだけど、少しだけ飲ませてくれます?」
と、ショットグラスに3分の1ほど飲んだ。美味かった。それまでに飲んだどのウイスキーより美味かった。
「いやあ、お義父さん、これ、美味しいですよ。飲んで下さい」
そう言い置いて自宅に戻った。
我が家に客が来たのは、それから1週間か10日後のことだった。酒を酌み交わしていたら、買い置きのウイスキーを飲み干した。だが、客も私も、もっと飲みたい気分である。さて、どうする?
ふと思いついた。そうだ、土産に持ってきたDunhillがあった。あれ、まだ残っているに違いない。いまや緊急事態である。あれを拝借してこよう。
「お義父さん、Dunhillが残っていたら、申し訳ないけど頂きたいんですが」
そう言いながら隣家に上がり込んだ。
「Dunhill? ああ、あれね。済まないが全部飲んじゃった」
義父は普段、日本酒しか飲まない。だから、あまり口にしないウイスキーはまだ残っているはずだと私は踏んでいた。それが、この短時日の間に、ボトル1本あけたと?
そうか、義父の口にも、美味いと感じられたのだろう。Dunhillはそんなウイスキーだった。
あれ以来、Dunhillを口にしたことはない。ネットで調べると、私が買ったDunhillと似たボトルのDunhillは1万3000円ほどする。それほどの大枚をはたいてウイスキーを購入する勇気は私にはない。
多分、あのショットグラス3分の1のDunhillが、私の飲み納めのDunhillだったのに違いない。