2023
11.06

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の25 CNNはニュースをエンターテインメントにした

らかす日誌

東京とニューヨークの時差は13時間である。ニューヨークで6日午後6時の時、東京は7日午前7時ということになる。朝日新聞東京本社はまだ目覚めていない。やっと目覚め始めるのは東京時間午前9時。ニューヨークでは前日の午後8時である。

こんな面倒くさいことを書いたのは、ニューヨークで朝日新聞の仕事をするには東京時間に合わせるしかないからだ。東京で午前9時、夕刊作りが始まる。そのときニューヨークは午後8時。つまり、ニューヨークで働けば、どうしても夜型の生活にならざるを得ないのである。

ウォール街で株価が暴落した10月19日月曜日(NY時間)、私とO君は遅くまで支局にいた。そうしなければ東京の要請に応えて原稿を書くことができないのである。その日から、夜遅くまでニューヨークタイムズ社の一部屋で過ごす日々となった。

支局のテレビはニュース専門チャンネルのCNNに合わせっ放しである。経済部からアメリカに派遣されている記者は、O君とワシントンのTaさんだけ。たった2人で全米の経済ニュースをカバーする。日本でのように、総勢100人近い記者が自分で取材し、疑問点を質し、1箇所の取材で足りなければさらに取材先を探すという手間は掛けられない。CNN、ロイターやAFPといった通信社が絶えず流すニュースに頼らざるをなくなる。
ワシントンでは

「大道君、これを日本語の記事にして」

と通信社が流してきた英文のニュースを、Taさんに手渡されたことがある。おいおい、俺の英語力がどの程度なのかをご存じないのですか、と心中でつぶやきながら、でも、朝日新聞の入試には英語もあったから、ある程度できるといういうのが前提になっているのかと考えつつ、総局にあった英和辞書を引きながら英文を日本文の記事に直したこともあった。海外のニュースはそのように作られるものもあるのだ。

多分、株価大暴落のニュースが沸騰したブラックマンデー当日ではなかったと思う。私は仕事が一段落して、ソファでCNNを眺めていた。無論、ニューヨークでの放映だから日本語字幕などはない。私にはアナウンサーが何を言っているのかはほとんどわからない。映像を見ながら耳に届いたいくつかの単語から

「こんなことをいっているのだろうな」

と想像するだけである。

そんな私の目に、飛行機事故のニュースが映った。どこかで飛行機が墜落したらしい。第1報はスタジオでキャスターが原稿を読み上げた。飛行機事故だと私が知ったのは、多分、英語の字幕に知った単語がいくつかあったからだろう。

CNNはニュースを順繰りに伝える。飛行機事故のニュースが終わると、ほかのニュースが画面に現れる。そして15分ほどしたろうか、飛行機事故の第2報が伝えられた。今度は墜落場所がある程度特定され、

「ただいま、取材班が現地に向かっています」

とのことだった。
それからしばらくしての第3報では、スタジオから墜落場所近くに住む住民に電話を掛けていた。墜落の様子を聞くためである。さらに、あと30分ほどで取材班が現場に到着するので映像をお見せすることができるはずだ、とキャスターがいったようだった。

私は、CNNというニュース専門局がなぜ経営できているのか、ずっと不思議に思ってきた。CNNに金を払わなくても、ほかの無料のテレビ局でニュースは見ることができる。映画や音楽なら金を払ってでも見たいという視聴者はいるだろうが、ニュースを見たくて金を払う視聴者がいったいどれだけいるというのだ? と疑問を持ち続けていた。

それが、この日の飛行機事故の報道ぶりを見て、何となく納得した。CNNのニュースが面白いのである。飛行機が墜落したとの第1報から、取材班が現地に向かう様子、近隣住民に電話を掛けて現地の様子を取材するさま。それがほとんど切れ目なく伝えられると、まるで自分が報道の当事者になったような気分になる。一刻も早く事故の全貌が知りたくて車に飛び乗り、それまでにわかったことを会社に伝えながら現場に急行する一線記者のワクワク感(事故の犠牲者には申し訳ない表現であるが)がある。事故をリアルタイムで伝えれば、自分が何らかの当事者になったようなライブ感が醸し出されるのである。

「そうか、ニュースも伝え方を工夫すればエンターテインメントになるんだ!」

3分の1も理解できない飛行機事故のニュースをCNNで見ながら、私は何かを理解したような気になった。テレビ朝日が、NHKの午後9時からのニュースを食ってしまった「ニュースステーション」の放映を始めたのは1985年10月だった。テレビ朝日の方針はCNNとは違ったが、ニュースも報じ方によってエンターテインメントに出来るということに気が付いた人間がテレビ朝日にもいたのだろう。

さて、ニューヨークに何日滞在したのかは覚えていない。その間、O君はセントラルステーション内のオイスターバーで生牡蠣をご馳走してくれた。牡蠣にはこんなに種類があったのかと思うほど多種類の牡蠣がそろえられ、それをキリッと冷やした白ワインで喉に流し込む。いやあ、美味かった。

お上りさんよろしく、エンパイアステートビル見物にも出かけた。クビが痛くなるほど上を見たが、独特の形をしたビルの先端は見えず、何だかつまらない気がした。

いま思えば、John Lennonが住んだダコタ・ハウスも、私の聖地巡礼に加えられてもよかったはずなのに、足を運んでいない。五番街も歩かなかったし、セントラルパークも訪れないままだった。ブラックマンデーにぶつかったのが最大の原因だが、何とも忘れ物の多い旅ではあった。

そうそう、ここで付け加えておこう。ニューヨークで御世話になったO君には、海外出張の「知恵」も授けて頂いた。

「大道、行く先々のホテルの便せんを必ず持って来い」

と告げられたのは、旅に出る前、電話で

「10月半ば頃、ニューヨークに行くから」

と伝えたときだったと記憶する。
ホテルの便せん? 何のために?

「海外出張すると、どうしても赤字になる。それを補填するために領収書を作るんだよ。海外のホテルの便せんで作った領収書が朝日新聞では通用するんだよ」

各ホテルから持ってきた便せんで、彼は各種の「領収書」を作ってくれた。
全てではないが、おかげで赤字の幾分かは補填ができた。しかし、足代、ホテル代は実費精算である。おまけに海外出張手当も出る。それなのに、どうして赤字になる? それはいまだに不明である。会社に請求できない金は食事代、土産代ぐらいだと思うのだが……。

にしても、だ。これはO君が世知に長けていたと解釈すべきか、それとも、ホテルの便せんに手書きされた領収書が通る朝日新聞は経営が甘かったと見るべきか。

経営が左前になりつつある今の朝日新聞では、ホテル便せんの領収書は、もうさすがに通用しないと思うが、これも旅の思い出の1つである。