2023
11.17

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の36 田淵さんと「割り勘」で飲むようになった

らかす日誌

浪人になった田淵さんに久々に電話を入れたのはいつだったろう?

「田淵さん、お元気ですか。たまには一杯飲みませんか?」

電話口からは田淵さんの元気が声が聞こえてきた。

「おお、大道君か、久しぶりだな。うん、飲もう」

私たちの仲はまだ続いていた。

「だがな、俺は野村證券とは縁を切った。だから、これからは割り勘で飲むが、それでいいか?」

田淵さんは社長時代、飲み会の金はすべて野村證券が負担するという条件を受け入れれば、私が飲みたくなれば必ず時間をつくるといい、実行した人である。その人が、野村証券とは縁を切ったから、これからは割り勘で飲もうという。愉快だった。人と人の付き合いの原点とはそんなものだろう。

「もちろんです。割り勘で飲みましょう!」

それから度々、田淵さんと飲んだ。初めて飲んだのは渋谷の一杯飲み屋だった。カウンターしかない店で、体をカウンターに向かってまっすぐ正対すると入れない。カウンターに向かって体を斜めにして飲む店である。そうしなければ押し寄せる客を収容できないほど流行っていた。
この店は私が支払った。しばらくすると、田淵さんから

「飲もう」

という連絡が入った。今度は田淵さんが払う番である。こうして、私たちは再び飲み仲間になった。素晴らしい先輩と酒を飲むのは心地よいものである。
そんなことを繰り返した。やがて、田淵さんが

「ここは俺が払っておく」

ということが増えた。集計すれば、飲んだ金の8割程度を田淵さんが払ってくれたのではなかったか。それが2人の「割り勘」の実態であった。ま、田淵さんの方がはるかにお金持ちである。それもよかろうと割り切った。

そんなことを続けているうちに、ふと思いついて田淵夫妻を我が家に招いた。さて、野村證券の社長を務めた人が、我が家のような苫屋に来てくれるだろうか?

「ん、君のうちで飲もうってか? いいなあ、よし、お邪魔しよう」

「その日は、スペイン料理のオーナーシェフをしている友人に料理を作ってもらいます。田淵さん、何が食べたいですか? あいつなら何でも作れると思うけど」

友人とは、「グルメらかす」を監修し、度々登場したカルロス、本名児玉徹君である。大学の後輩(彼は中途退学)で、一時左翼運動に従事し、後にヨーロッパを放浪してスペイン・アンダルシアでレストランに勤めて料理の腕を磨いた。幼い頃から敏感な舌を持っていたらしく、実に腕のいい料理人になり、帰国して最初は新宿、後に渋谷に自分の店を持った。店の名を「ラ・プラーヤ」という。新宿の店に通い始めて後輩であることを知り、やがてカルロスは毎月のように我が家に来て酒を飲み、寝ていくようになった。
だから

「田淵さんが我が家に来るから料理を任せたい」

程度のことはいつでも頼める仲だった。
田淵さんのリクエストは、やや変わっていた。

「そうだな、久しぶりにハリハリ鍋が食いたいな」

ハリハリ鍋とは鯨の肉と水菜をつかう鍋料理である。関西方面が本場らしい。田淵さんが大阪支店長をしていたころによく食べていたのかもしれない。

その日は、私も料理の腕を振るった記憶がある。後に触れるが、2度目の名古屋勤務は単身赴任であった。その独り暮らしで身に着けた腕である。せっかくだから自慢のカレーを食べてもらおうと思った。10数種のスパイスを使った本格的なインドカレーである。名古屋で作り、味の良さに我ながら満足した一品だ。
田淵夫妻が到着する夕刻までには完成した。いい味である。ハリハリ鍋で酒を飲み、カレーライスでお腹を整える。取り合わせはチグハグかもしれないが、まあ、そこは許されよう。

酒が一段落しかかったとき、私はカレーを温めにかかった。ガスコンロにカレーの鍋を掛け、再び酒席に戻った。
酔いとは怖いものである。飲んでいるうちにカレーのことが頭から消えた。酒を飲みながら歓談していて、ふと異様な香りが室内に漂っていることに気が付いた。

「この臭いは何だ?」

思い出した。私はカレーを温めていたのではなかったか? キッチンに飛んでいった。香りの主が判明した。やはりカレーである。直火に掛けて放っておいたため、焦げ始めたのである。

「これはいかん」

あわてて火を止めた。カレーの上の方を掬って味見をした。臭い。焦げた臭いがこびりついている。最上部がこれなら、下の方はもっと臭いだろう。とても食べられたものではない。これは捨ているしかない。
代わりにお腹を満たすために用意したのは何だったろう?

なお、このあたりは記憶が曖昧になっている。カレーを客に振る舞おうとしたのは、ひょっとしたら別の機会、別の客だったかもしれない。記憶が間違っていたらお許し願いたい。

横浜の我が家は2階がダイニングで、リビングは1階にある。2階で食事まで終えた私たちは1階に場所を変え、長女のピアノ演奏を聴いていただいたはずだ。

田淵さんの奥様は、

「私、自宅にお客様をお招きしたことは沢山あったけど、お招きに預かったのはこれが初めて。楽しい!」

と言っていただいた。
喜んでいただいてよかった。その日夜10時頃、田淵さんのご長男が車でお迎えに来られた。楽しい夜だった。