2023
11.20

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の39 野村證券のあれこれ

らかす日誌

私が証券業界担当になったとき、

「野村證券に食い込むのは無理!」

と、お節介にも私にアドバイスした先輩諸氏がいたことはすでに書いた。

「そんなものなのか」

と思いながら、とにかく田淵社長に食い込まねば、と動き回り、ミッションを達成したことも書いた。そして、田淵社長と懇親を深めれば深めるほど、野村證券は私にドアを大きく広げてくれた。
野村證券とは、入口の敷居は高いが、その敷居を乗り越えてしまえば、あとは楽に取材できる会社だった。私は野村初見社内を闊歩し始めた。

Ki専務とも飲み友だちになった。

「飲みに行こう」

と誘われて指定の場所に出向くと、築地の料亭だった。私は、料亭はあまり好まない。そんな思いが胸の内にあると、ついつい口に出てしまうのが私の欠点である。差し向かいで杯をやったり取ったりしているうちに、口が緩んだ。

「私、料亭の料理って、あまり美味いと思ったことがないんですよね」

あ、いかん。今日はご馳走になっているんだ! すぐに反省したが、口から飛び出した言葉はもう取り消せない。Ki専務はややムッとした表情を見せた。そりゃあそうだろうなあ。

「それは悪かった。俺はこんな店しか知らないものでな」

やっぱり怒らせてしまったか?!

「だったら、次は私がご案内しますよ。時間を作って下さい」

怒りをなだめるのと、ご馳走になったお返しをするのとを合体した。
案内したのは、知人に

「あそこは美味い」

と聞いて、一度行ってみようと思っていた赤坂の韓国料理店である。料亭に比べれば安っぽい内装で、個室もない。Ki専務は最初、

「何だ、こんな店か」

という顔をしたが、そのうち楽しんでくれたようである。もっとも、私の舌には、韓国料理なら田淵社著を案内した麻布の「鳳仙花」の方が上だと感じられたが。

海外部門で活躍していた部長さんとは、赤坂で割り勘で飲んだ。聞けば、1年の半分以上は日本にいないのだとか。朝日新聞入社時、

「新聞記者は激職だ。だから定年になるとすぐに死ぬ人が多い。君たちも覚悟しておけ」

といわれたが、この部長さんの方が私より激職をこなしているように見えた。

「そんなに海外出張があるんですか。それは大変ですね」

と受けると、予想もしなかった言葉が出て来た。

「いや、海外に出張する方が楽なんです」

えっ、私は41日間世界一蹴の取材旅行でへたばりましたが、出張の方が楽とは?

「出張すれば飛行機の中で眠ることが出来ます。日本にいると、海外の視点とは時差があるでしょ。夜中にしょっちゅう連絡をしなければならないのでおちおち寝ている時間がないんですよ」

そう言いながら部長さんは舌で上唇を嘗めた。こうすると、あくびと眠気を押し殺すことが出来ると何かの本で読んだ記憶があった。ああ、この人は眠気と闘いながら私に付き合ってくれているんだ。
その日は確か午後9時頃、

「今日はゆっくり眠って下さい」

といいながら飲み会をお開きにした。

読書仲間になった人の名前が、どうしても思い出せない。たしかMaで始まる名前だったような気がするので、ここではMaさんと書くことにする。
Maさんも部長だった。何かを知りたくて話を聞いたのが最初の接触だったと思う。そのとき、どうやら本の話をしたらしい。しばらくすると、Maさんがいる部屋に私が入っていくと

「おお、大ちゃん、ちょっと、ちょっと」

と声をかけてくれるようになった。何事か、と席に寄ると

「大ちゃん、この本、読んだ?

と机上の本を取り上げる。ほとんどが国際政治、国際経済、日本経済の分析といった固い本である。初めて聞いた本ばかりだった。

「いや、読んでないけど」

ともいおうものなら、本の解説が始まり、なぜこの本を読まねばなならないかの説明に移る。
そこまで言われれば、私も読まざるを得ない。読んで、次に顔を合わせたとき、

「読んだよ。あの本はさあ……」

と感想を述べる。
これだけなら、彼は永遠に私の師である。が、人間関係はできれば平等にしたい。平等にするには、私も「読むべき本」を彼に推薦しなければならない。推薦するためには、幅広く本を読めねばならない。
私はこうして、彼に「読書家」にされてしまった。いまでも読書家で通っているから、彼には感謝している。

そのMaxさんが配置転換になった。新しい部署に尋ねていくとこんな話を始めた。

「大ちゃん、付加価値ってどんなものか分かるか?」

突然のご下問である。付加価値。言葉は知っているが、どんなものかといわれても……。

「あのね、自動車を1台プレス機でつぶすと、だいたい1.5トンぐらいの鉄のかたまりになる。ガラスとかプラスチックなども混じるが、ここでは無視しよう。鉄1トンの価格を、まあ2万円としようか。すると、1.5トンの鉄のかたまりは3万円だよね。で、この鉄のかたまりが自動車になると300万円ぐらいになるわけだ。ね? その差、297万円が付加価値ということになるんだよ。分かるか?」

そんな話の流れだった。

「車といえばさ、俺、この間車を買い換えたのよ。中古のベンツ。一番小さいE190というヤツさ。それまではブルーバードに乗っていたんだが、いやあ、ベンツって凄いね。俺、どっちかというと出不精なんだけど、ベンツを買ってからは休みになると神さんに『おい、どっか行こうよ』と声をかけるわけ。こないだの日曜日は深大寺まで行ってそばを食ってきた。とにかく、運転したくてたまらないんだ、いま。しかし、ベンツがあんなにいい車だと、大丈夫かね、日本の車メーカー。一度ベンツに乗ったらもう日本車には戻れないぜ」

Maさんはトヨタや日産の株を客に勧めることはなかったのだろうか?

ストラテジスト(経済を分析して投資の戦略や方針を立案する人)のKaさんのところには足繁く通った。主に株式相場の見通しを聞くためである。
だが、取材がすぐに雑談に変じるのは私の得意技である。Kaさんはクラシック音楽のファンだった。私はロックやジャズが好きで好みは合わないが、音楽ファンには共通することがある。

「好きな音楽を出来るだけいい音で聞きたい」

ということである。ご存知のように、私はクリスキットの信望者だ。これ以上いい音は聞けないと思っている。だから、そんな話を何度もKaさんにした。
ある日、

「大道さん、今度私、家を建てて引っ越すのよ。千葉だけどね」

Kaさんは野村證券の取締役だった。収入も私より遙かに多いに違いなかった。いいですねえ、新居。

「それでね、折角家を建てるのなら、オーディオルームも創ろうと思ってね」

それも素晴らしい。

「そこで相談なんだけど、どんな装置にしたらいいかなあ。推薦してくれない?」

もちろん、推薦してあげます。アンプはもちろんクリスキット。CDプレーヤーはSONYの一番安いヤツ。スピーカーは、箱はクリスキットにして下さい。中に入れるユニットは何でもいいですよ。

「クリスキットって、あなたの話だと自分で君立てなきゃいけないんだったよね。私、ハンダごてなんて持ったことはないんだけど」

ああ、そうですか。

「だったら、私が組み立ててあげるから、クリスキットにしなさい!」

こうしてKaさんの再生装置はクリスキットを中心にすることになった。お金のやりとりはいやだったので、桝谷英哉さんに事情を話し、Kaさんが注文して送り先を我が家にしてもらった。 Mark8-D、P35Ⅲ、クリスキットの120リットルボックス、確か、クリスキットのマルチセルラーホーン、ユニットはKaさんがJBLを選んだ。

「大道さん、こりゃあいいわ。素晴らしい音だよ、これ」

そんな電話をもらって数日後だった。いつものように野村亜証券でKaさんの席に行くと、Kaさんが背広の内ポケットから封筒を取り出した。

r「いやあ、ホントに御世話になって。これ、組み立てていただいたお礼です。これで足りるかどうか分からないけど」

ということは、中身は現金か。いやはや、私にはそんなつもりはないんです。

「お金は受け取れません。そんなつもりで組み立てたんじゃないですよ。仲良くしてもらっているあなたにいい音で音楽を楽しんでもらいたいから組み立てたんです」

「いや、それじゃあ私の気が済まないから」

いわれてみればそうだろう。私がKaさんの立場になっても、何らかのお礼はしなければ、と考えるはずだ。
そこでしばらく考えた。

「分かりました。そうしたら、あなたが推薦するクラシックのCDを3枚、いただけませんか? これからクラシックも聴きたいと思っていますので」

今度はKaさんが考え込む番だった。やがていった。

「大道さん、5枚でいいかな? 3枚には絞り込めないんだわ」

いいですとも! じゃあ、クラシックのCDを5枚下さい!!

そのうちの1枚、ベートーベンのピアノ協奏曲5番「皇帝」は、私の大好きな1枚になった。ピアノはマウリツィオ・ポリーニ、オーケストラはカール・ベーム指揮のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団である。

こんなことばかり書いていると、

「お前は仕事をしたのか?」

とお小言を頂きそうである。次回は証券担当して取り組んだ仕事の話を書こう。