2023
11.23

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の42 インサイダーを特定できた!

らかす日誌

「新日鉄の本社って、丸の内でしょ。提携の担当者だったら本社にいるはず。だから、山一証券で株を買ったのなら丸の内支店だと思ったのね。具合のいいことに、丸の内支店には可愛がっている後輩の女の子がいてね」

それで彼女は、その後輩に電話を入れたのだそうだ。

「いま、新聞で騒いでいる新日鉄と三協精機提携の情報を使ったインサイダー取引だけど、もし山一で買ってるんなら丸の内支店だと思うの。今後のこともあるから、ちょっと調べてくれない?」

ふむ、この問い合わせはあくまで会社の業務の一部であると思わせて情報を引き出すテクニックだろう。電話を受けた女の子はこれも仕事の1つだと思うから、情報を漏らすという緊張感は全くない。情報はスムーズに出て来る。彼女、取材に関しては私以上の腕利きである。新聞記者になっていたら、きっと凄い記者になっていただろう。

「彼女、支店のコンピューターを回してくれたのよ。そうしたらね、出て来たの。やっぱり丸の内支店で買ってたのよ。ほら、この通り」

顧客の取引情報を漏らす。これは企業倫理としてはいかがなものだろう? 恐らく、2つの見方があると思う。

①企業のコンプライアンスに照らして、やってはいけないことである。
②企業倫理を超えた社会的倫理がある。違法、あるいは違法に近い株取引については、社会的倫理が企業倫理の上にある。

新聞記者は当然②の解釈を取る。そして、記者と同じ倫理観を持つ社員が企業内にもいる。内部告発をするのはそういう人々である。企業を正しい道に乗せ続けるにはこのような人がいなければならない。外部とのつながりを一切断って中に閉じこもる企業は必ず空気がよどみ、やがて見えない傷が積み重なり、膿を持って腐り始める。経済記者はそう考えるから企業の内部情報を取材するのである。私は記者が企業を取材するのは

「風通しのいい会社、腐敗しない会社にするため」

と思っている。
飲み友だちでしかなかった彼女は、②の倫理観を持つ人だった。私は、山一証券を通じたインサイダー取引の実態を知った。提携発表前に三協精機の株を買っていた人物の名前、何月何日に何株を、いくらで買っていたかも分かった。これなら、Kiが書いた記事の上をいける! 殺人事件がありました、という記事より、いつ、どこで、誰が誰を殺したのか、凶器は何だったのかを書き込んだ記事の方が優れていることは子どもにも分かることである。

山一証券を引き上げた私は、新日鉄を担当している同僚に電話を掛けた。

「実は、新日鉄でインサイダー取引をしていた人物を特定できた。名前をいうから、どんな部署の、どんな役職についているかを調べて欲しい。年齢も必要だな」

その日の夜、新日鉄担当記者は取材の成果を教えてくれた。三協精機との提携を進めるプロジェクトチームの中心にいた人物で、年齢は46歳。何と、提携の担当者が、自分が創り出した情報を元に三協精機株を買っていたわけだ。典型的なインサイダー取引である。

さて、これで記事が書ける。当然、1面トップの特ダネ記事である。

「いや、待てよ」

と思ったのは、何故だったのだろう? これ、このまま書いたら1面トップになる。だが、この時点ではまだ、インサイダー取引は違法ではない。つまり、この46歳の新日鉄幹部は犯罪者ではない。逮捕もされなければ、裁判の被告になることもない。それなのに、1面トップの記事にする? それでいいのか?

しばらく考えて、私は経済部長席に歩み寄った。

「実は、例のインサイダー取引事件で、インサイダー取引をやった新日鉄幹部を割り出しました。名前、所属部署、肩書き、年齢も分かりましたし、三協精機株を買った手口も分かっています」

「ああ、それはご苦労さん。早速記事にしてくれ」

「そこでご相談なのですが、ご存知のように、インサイダー取引はまだ犯罪ではありません。新聞としては、私がいま持っている情報で記事を書いて1面トップを飾るのが当たり前なのかもしれませんが、犯罪ではないことを考えると、ここは1面トップの記事にするより、本人に会ってインサイダー取引をしてしまった動機、心境、いまどう思っているか、などを聞いてインタビュー記事にした方がいいのではないかと思います。来春法律が施行されると、インサイダー取引は犯罪になります。インサイダー取引は主にサラリーマンの犯罪ということになるでしょう。だから、今後に向けての警告として、この人がなんでやってしまったのかを詳しく報じた方が、意味のある記事になると思います。そんな記事は1面トップにはならないでしょうし、2面か3面、あるいは経済面の記事ということになるかもしれませんが、そちらの方が意味があると思います。どうでしょうか?」

部長はしばらく考えていて

「わかった。そうしていいよ」

と了承してくれた。

「ありがとうございます。本人に接触して、どうしても取材に応じないというときはいまのデータで記事にします。しばらく時間を下さい」

私は、どう考えても1面トップの特ダネになる記事を、記事としては格下になるインタビュー記事にしようとしたのである。新聞は世の中を単純な善悪に染め分けたスキャンダルの寄せ集めでいいのか? 深く内部に分け入って読者に考える材料を与えるのが新聞の使命ではないのか?
そう考える私は、「あるべき新聞」の姿を実現しようと思ったのである。

その日から、インサイダー取引をした新日鉄幹部に接触する努力が始まった。