11.25
私と朝日新聞 2度目の東京経済部の44 インタビューは出来なかった
「そんな! あなたは取材を受けると約束したじゃありませんか!」
といってみたところで、どうにかなるものではないことは分かった。しかし、ではどうする? 脅すしかない。
「そうですか。では、これまで新日鐵にはあなたのことは何も話していません。しかし、取材に応じていただけないのであれば、いま手持ちの材料で記事にするしかありません。記事にするには、あなたが勤めている新日鐵のコメントも必要です。三協精機との提携を進めるプロジェクトの中心にいるあなたが、自分たちが作っている情報を使ってインサイダー取引をした。あなたの名前、役職、やったことを会社に伝え、会社としてどう対応するのかを聞かなければ記事にはなりませんから。それをご承知置き下さい」
最大の脅しのつもりであった。しかしAさんはそれでも考えを変えなかった。
「それで結構です。それでは」
電話は切れた。私が書こうとしたインタビュー記事はこうしてつぶれた。
しかし、つい先程まで取材に応じる気でいたことは確かだ。何があったのだろう? 上司に相談したか? その結果、こんなことになったのか?
が、そんなことをあれこれ詮索している暇はない。記事を書かねばならない。
「悪いが、これから新日鐵のコメントを取ってくれるか」
新日鐵担当の同僚に頼むと、私は原稿用紙に向かった。書き上げた記事は翌日朝刊の1面トップを飾った。
三協精機株 新日鉄幹部、7000株購入
インサイダー取引
提携への節目ごと
実行部隊の中心人物
という派手な見出しに、こんな記事が続いた。
「新日本製鉄と三協精機製作所の提携にからむインサイダー(内部者)取引で、新日鉄側で提携実現の実行部隊となったプロジェクトチームの中心にいた幹部(46)が、4月から7月にかけて、少なくとも7000株の三協精機株を購入していた。16日までの朝日新聞社の調べでわかったもので、購入した3回の時点は提携が実現するまでの過程の節目ばかり。単なる情報漏れではなく提携工作そのものに責任を持っている役職者がその情報を自ら利用する形で株を取引していたわけで、この問題の根の深さをうかがわせている。
インサイダー取引を厳しく禁じた改正証券取引法がまだ施行されていない現在、この幹部の行為はそのまま違法には当たらないとみられるが、日本の代表的企業である新日鉄幹部のこうした不明朗な株売買はインサイダー規制論議に大きな波紋を呼ぶことになりそうだ。
朝日新聞社が証券関係者から得た情報によると、同幹部が三協精機株を買ったのは、4月25日に1株1000円で5000株、6月21日に同991円で1000株、7月1日に同995円で1000株の計7000株。本人名義での取引で、自ら東京都内の証券会社の店頭を訪れて買い注文を出したという。
とりわけ注目されるのは取引の時点だ。今回の提携は、4月12日に三菱銀行が新日鉄に打診したことから始まった。これを受けて新日鉄は、同幹部の所属部門で検討を始め、提携に向けての積極方針が固まった同月28日、三菱銀行本店で両社役員が初めて顔合わせをした。同幹部の1回目の三協精機株購入は、新日鉄側のこうした方針内定時期と符合している。
2回目の購入日である6月21日は、両社役員が三菱銀行本店で非公式に提携に基本合意した日。さらに3回目の購入日である7月1日は、新日鉄が提携問題を取締役会にはかってゴーサインを出した6月29日、両社間で三協精機株の譲渡について仮契約を交わした30日の直後に当たっている。この幹部がプロジェクトチーム内での中心的な立場を利用して三協精機株を購入した疑いが強いと証券関係者らは指摘している。
同関係者らの話では同幹部は、計698万6000円で三協精機株を購入している。提携発表後最も三協精機株が高かった今月2日の終値、1690円で売却していれば、484万4000円の利益を得たことになる。しかし、16日現在、同氏が購入した三協精機株を売却したかどうかは不明。
また、インサイダー取引と見られる新日鉄社員らによる三協精機株購入は、新日鉄や関連会社の所在地の社員らに幅広く散らばっていることが判明しているが、この広範な情報漏れと同幹部の役割との関係についても同日現在明らかでない。
同氏は16日夜、朝日新聞記者に対し、この疑惑に対するコメントを拒否した。
斎藤裕・新日鉄社長の話 大蔵省なり、東京証券取引所から正式にわが社に報告されていない今の段階で、個別に指摘されてもコメントは出来ない。(インサイダー取引疑惑については)社内で調査など命じていないが、関係部署で上司は社員の動向に気を払っており、もし問題のある人間がいればすでに私の耳に入っているはずだ。正式な報告が責任ある機関から出るまで、会社として、社員を取り調べるようなことはすべきでないと考える。万一、報告で問題点が指摘されるようなことがあれば、その時は速やかに事実を確認し、状況を冷静に判断して会社としての対応を考える」
以上が、1988年8月17日朝日新聞朝刊1面トップの記事である。特ダネで1綿トップを書きながら、何とも後味が悪かった。
私がこの記事を書いた8月16日夜、いまではコラムニストとして著名な船橋洋一さんが経済部のデスク席に座っていた。
話はやや逸れるが、船橋さんは数々の名著を書いた人である。私が最も好きなのは「内部(neibu)――ある中国報告」である。経済面での10数回の連載を元に加筆し、1983年に朝日新聞から出版された。薄い記憶だが、毛沢東亡き後、改革が進み始めた中国社会をレポートした本である。中国語にも堪能は船橋さんの取材は周到で、それまでは絶対に表には出て来なかった中国社会の矛盾、混乱が赤裸々に綴られていた。読みながら私は、中国に対してある恐ろしさを感じた。
全てが上手く行っている社会など、これまで存在したことがない。だからいつの世にも矛盾や混乱はあるのだが、国の運営に自自信を持つ政権は、その矛盾、混乱をいたずらに隠すことはない。社会の暗い部分を書き出すすペンに、むしろ
「よく書いてくれた」
と感謝し、改革の足がかりにしようとする。第3代アメリカ大統領、トーマス・ジェファーソンが
「新聞のない政府か、政府のない新聞か、いずれかを選べと言われれば、後者を選ぶべきだろう」
と語ったのはそういう意味だと思う。
だが、それまでの中国政府は様々なことを「隠す」のが常だった。毛沢東の大躍進政策が数千万人の死者を出したことなどずっと後になるまで私たちは知らなかった。自由な取材は許されず、ましてや自由な言論は存在しなかった。メディアで伝えられるのは「明るい、改革し続ける中国」でしかなかった。
言論を弾圧、抑圧する政府は己を弱さを自覚しているのである。指摘されたくないものを沢山抱え込んでいるのだ。情報を隠す国は強国ではない。
ところが、「内部」はそれまで報じられることがなかった中国社会の暗い面を水面上に引きずり出して晒した。逆に言えば、
「そこも見ていいですよ。取材して書いてもかまいません」
と中国政府が判断した。それだけ政権運営に自信を持ったことの表れだろう。
政府が自信を持った中国。私が怖がったのは、そんな中国である。相手は10億人を超える人口を持つ巨大な隣国である。それまでは情報を隠す弱い国だった。その国が、情報の自由な流通を許す「強い国」になったとしたら……。中国社会の実像が、「内部」にはあったのである。
船橋さんの「通貨烈々」は、先に書いた野村證券の本友だちとの間で話題になった。通貨マフィアと呼ばれる各国の為替政策担当者間の、自国の利益を守る丁々発止の通貨外交をルポした本である。
「いやあ、船橋さんって、本当に凄いね。教えられることが多いよ」
と彼はいった。が、私はこう返した。
「確かに、前から3分の2、取材を元に書いたルポルタージュは凄い。でも後半3文の1のは評価できない。通貨政策論、といえばいいのかもしれないが、正直、何を書いてあるのか良く分からなかった。船橋さんには『論』は書けないんじゃないかな。自分でよく分かっていないから、専門用語を多用して何となく『論』に見える文章を書いている。私にはそうとしか思えない」
私は生意気な後輩なのだ。
その船橋さんには逸話がある。聞いた話だから真偽のほどは保証しない。だが、いかにも船橋さんらしい話なので紹介する。
船橋さんの初任地(どこかは知らない)での話だ。支局に顔を出し、真新しい名刺(名詞は会社が支給する)を受け取った船橋さんは、その名刺の束を持って町に出た。交差点に立つと、その名刺を道行く人に配り始めたというのだ。
『今度、こちらに来た朝日新聞の船橋です。何か面白い話、珍しい話、事件などがありましたら、私にご一報下さい」
と呼びかけながら。
受け取った人も驚いたろうが、この話を聞いた私も驚いた。俺にはそんなことはできない!
後に、世界中の重要人物と電話で情報のやりとりをする大記者になった人は、やはり常人ではなかった。
話が横道に逸れた。元に戻す。
その8月16日の夜、私が書いた記事を読み終えた船橋さんが私に言った。
「大ちゃん、凄いね。すごい記事を書いた。これで大ちゃん、これから1年は何も書かなくても大丈夫だよ」
たいそうなお褒めにあずかった。だが、私の次の一言はどうして出て来たのだろう?
「そうですか。じゃあ、明日から何も取材せず、何も書かずに遊んで暮らしますが、本当に大丈夫ですか?」
船橋さんの話を真に受けたのか、あまりにも大げさな褒め方を揶揄したのか。今となってはどちらだったか記憶にない。ただ、こんな瞬間にこんなことをいってしまうのが私なのである。
船橋さんはややあわてた顔をした。
「いや、ま、その、それぐらいビッグな記事だということだよ」
翌日からも、私が取材、執筆を続けたのはいうまでもない。