2023
12.01

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の50 ワープロの話

らかす日誌

経済企画庁は経済官庁である。その活動で、もっとも注目されたのは四半期別GDP速報(当時、QE=Quick Estimateといっていたように記憶するのだが、ネットでQE、Quick Estimateを検索しても出て来ない。記憶が混濁しているのか、それとも省庁再編に伴ってこの呼び方が消滅したのか)の発表だった。

なにしろ、まだ日本経済はバブルの最中にあると多くの人が信じ込んでいた時期である。GDP(Gross Domestic Product=国内総生産)の動向は株式市場に大きな影響を与えると見られ、一刻も早く速報を手に入れたい投資家、証券会社などがひしめいていた。文字通り、Time is Money. の時代だった。日本経済新聞や時事通信、ブルンバーグ(Bloomberg=米国の通信社)などが秒単位で速さを競っていた。

発表は確か午後3時半から。記者会見中は部屋のドアが閉め切られ、記者は外に出ることが出来ない。時間的な抜け駆けは許さない、ということだろう。だが、それでも速さを競わねばならないのが先に挙げた人々である。そんな社は会見場に1人が入り、別の1人がドアの前で、電話を自分の会社に繋ぎっぱなしで待機した。ドアの施錠が外されれば直ちに会社に速報し、その情報を買う客に流すためである。時間を先取りした投資家が富を築く時代だったのだ。

一般紙である朝日新聞は、そのような速報サービスはやっていない。だから、会見が終わると脱兎のごとくドアに向かって走り出す一部の記者を見ながら、

「ご苦労さんなことだね」

といっていれば済んだ。

では、私は何をしたのか? 朝刊用の原稿をそれから書いたのである。締め切りにはまだ間がある。駆け出す必要はないのだ。

やや脇道に逸れる、
当時、朝日新聞にはワープロが導入され始めていた。シャープと手を握り、記者用のワープロを開発したのである。すでに北海道にいたころから動きが始まり、証券担当になった頃には、一部の記者はワープロを使い始めていた。やむなく私も東京・秋葉原に出かけ、シャープのワープロ「書院」を買い求めたのはこのころである。今となっては信じられないが、モノクロのディスプレーには8行しか表示されず、プリントアウトにはテープを使った。それでも11万円か12万円した。

それほどの投資をしながら、私はワープロに馴染めなかった。ローマ字入力をするのだが、キーボードのどこに、どのアルファベットがあるかが頭に入っていないから、1文字ずつキーボード上で探さねばならない。やっと見付かったと思って変換キーを押すと、予想もしなかった文章が出てくる。どうやら1文字、入力ミスをしたらしい。

「使えないな、こんな機械」

自らの技量が問題であるのに、出来ない原因を機械に押しつけるのは、まあ、よく使う手である。

その数年前、長野県のセイコーエプソンに取材に行ったことがある。腕時計型のテレビを売り出したことに興味を惹かれ、話をうかがいに行ったのである。
当時、セイコーエプソンはたしかワープロも作っていた。あんな機械が何故必要なのか? 文章は手で書けばいいではないか? 取材に赴いた趣旨とは違う質問だったが、私に付き添ってくれた方がこうおっしゃった。

「頭で文章を作る速度と、その文章を手で書く速度は3倍ほど違うといわれます。頭の方が3倍速い。だから、手で書きながら頭はずずっと先の文章を作り出しているのですが、手が追い付かない。だから、追い付いた頃には頭で考えていた文章を忘れてしまっているということが頻繁にあります。でも、ワープロを使えば頭の速さとキーボードで入力する速さがほぼ等しくなるのです。だから、頭で考えていたことを忘れる、ということがなくなり、スムーズに文章が書けます」

確かに、手で文章を書いていると、

「あれ、この先、どう書こうと思っていたんだっけ? ついさっきまで頭にあったのに」

ということがよくあった。そうか、あれがなくなるのか、とは思ったが、ワープロを使いこなすにはかなりの練習量が必要なのだろう。だったら、手書きでいいや、というのが当時の私であった。

私が経済企画庁担当になった頃は、原稿は手書きでもいい(FAXで会社に送る)が、できればワープロで書いて欲しいという過渡期だった。だから、少しはワープロも扱えるようにはなっていた。

以上のことを知っていただいた上で、私のQE原稿の書き方をご紹介する。
本記、つまりQEそのものを伝える原稿はおおむね1面に行く。その原稿は、事前にワープロで書いておく。QEで出て来た数字を入れるところは空欄にしておくのである。数字がどう変わろうと、本記の書き方はたいして変わらない。事前に原稿を作っておけば時間が節約できる。

3時半からの発表だから、4時にはデスクについて原稿を書き始めることが出来る。締め切り時間はずっと先だ。それなのに、何故そんなに急いだのか。経済面の原稿を書くためである。
1面の本記は骨だけの原稿だ。発表されたばかりの新しい数字を伝えれば済む。経済面に書く原稿は、本記が骨なら肉にといえる。本記に、実際に町で何が起きているのかという肉付けをするのである。相変わらずGDPが増えているのなら、まちなかで人々はどんな行動をとっているのか。横ばいになっていたら、企業がどんな行動を取ったからなのか。伸び率が下がっていたら、人々の暮らしはどう変わりつつあるのか。そんな現場ルポを書くのである。
だから、どの程度の数字が出るのか、QE発表前はしつこいほど役所で取材をして、何となくの感触を聞き出しておく。その感触に従って、経済面で書く原稿のための取材を済ませておく。そして、数字が出れば、その数字に合わせた原稿を書くのである。この原稿だけは、数字が出てこない限り書きようがない。

だから、本記は早めに会社に送稿しておかないと、経済面の原稿を書く時間がなくなるのである。
始めてQEを書いたときだ。想定通り、本記はすぐに出来て会社に送った。さあ、経済面用の原稿を書かねばならない。そう思ってワープロに向かった。その瞬間である。頭が真っ白になった。書くべき原稿が、頭の中で構成できない。いや、何を書いたらいいのかすら思いつかない。おい、締め切り時間は迫っているのだぞ。キーボードを叩き始めろよ!
とは思うのだが、頭が全く働かないのだ。原稿が思い浮かばない限り、両手の指だって動きようがないのである。

えーい、どうする? このまま経済面を空白にするのか?
私は思い直した。これは、頭が真っ白になったのは機械のせいである。ワープロが悪いのだ。私が悪いのではない! と思い定めたのである。そして原稿用紙を引っ張り出すと、原稿を手で書き始めた。すると、スラスラと書けるではないか!
私が唱えた「機会原因論」は正しかったのだ!

これは手書きからワープロでの執筆への移行期の話である。恐らく、頭に浮かんだ文章を手で書くことに慣れきっていて、同じ手を使っても指でキーボードを叩くことに不慣れ、というか、頭から出て来る文章を指の動作に移し替える脳内の回路が出来ていなかったのだろう。

その後私は自宅にパソコン=Macを買い、当初はもっぱらゲームを楽しんでいたが、あるとき一大決心をし、ブラインドタッチを練習し始めた。キーボードを見なくても、おおむね正しい文章が入力できるようになったのは20世紀末だったと思う。それ以来、私はパソコンなしには原稿が書けなくなった。セイコーエプソンの人がいっていたように、早い。悪筆の私には、誰でも読める原稿がプリントアウトされることもありがたかった。文章の前後を入れ換えて再構成するのもパソコンなら楽である。

いま思えば、QEの原稿を書こうとして頭が真っ白になったあの時が、私の変身期だったのだと思う。

それにしても、いまQEで検索しても四半期別GDP速報は出て来ない。そういえば新聞でもあまり見かけないようだ。あの経済統計の重要度は日本のバブル崩壊とともに失われたということか?
いま経済企画庁を担当していたら楽だったろうな。あ、そうか、経済企画庁自体がなくなって内閣府に入っちゃったんだな。時代とは移り変わるものである。