2023
12.04

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の53 記者クラブというもの

らかす日誌

「大道君」

と経済企画庁の記者クラブに電話をよこしたのは経済部長だった。部長直々の電話、何事ならんと身構える。

「実は、ちょっとお願いがあってね」

業務命令ではなく、お願い、ってか?

「私の友人が経済関係のシンクタンクみたいなことをやっていてね」

さすがに部長である。なかなか顔が広い。

「その彼が、何でも地価を引き下げる方策の提案をまとめたそうなんだ。ところが、あちこちの記者クラブに『発表したい』と申し込んだんだが、受けてくれるところがないらしい。それで僕に相談があってね。どうかね、経済企画庁のクラブで受けてやってくれないかね」

ほう、日本の地価を下げる秘策という話なら、建設省のクラブでも通産省でも引き受けそうなものだが。その発表を引き受けないとは、みんな自分の仕事を減らしたいのか? 不精者め。よし、それなら経済企画庁クラブで引き受けてやろうではないか。

「わかりました。何とかします。それで、向こうの連絡先とお名前を教えてください。電話で発表の中身の概略を聴き、ここで出来そうなら私が何とかします」

何とかする。それはおもだったクラブ員に打診することに始まる。それが済めば、経済企画庁の広報課の了解を取らねばならない。なにしろ、記者クラブは経済企画庁の中にある。管理権は役所にあり、記者が勝手に記者クラブを使うわけにはいかない、

「ということで、民間のシンクタンクらしいんだけど、ここのクラブで発表してもらうことにしたい。お願いします」

経済企画庁を担当してどれほどたっていたかは忘れたが、このころにはある種の「顔」になっていた。私が頼めばおおむねのことは通じた。この時も

「ああ、どうぞやってください」

とあっさり許可が出た。
部長とその友人に連絡を入れ、発表の日程を調整した。ここまですべて私がやった。

ここで記者クラブというものについて書いておきたい。
世には記者クラブに対する批判が根強い。取材先の官庁や企業、経済団体に無料で部屋を提供され、メディアは電話料金も払わない。そのような待遇を受けるから取材先に飼い馴らされ、やがて取材先の犬になる。あるいは、クラブに所属しない社を閉め出して情報を独占する利権集団になる。要は、取材先とメディアが癒着する温床である、というのが記者クラブ批判の概要だろう。

私も、部屋代、電話の使用料、それに記者クラブで何かと世話を焼いてくれる事務員さんの給与は所属するメディアが支払うべきだと思う。しかし、メディアと大括りしても、その中には貧富の差が存在する。大手と呼ばれるメディアには支払い能力があっても、そうではないメディアも存在する。そのため、足並みを揃えようという論がまかり通り、取材に必要なコストはメディアが負担すべきだという正論が引っ込んでしまう。あるいは、支払い能力のあるメディアだって、コストは出来るだけかからない方がよい。

「足並みを揃えないと、取材が出来ない社が生じてしまう」

ことを言い訳に、だんまりを決め込んでいるのかもしれない。これは構造的な問題である。

だが、取材先の中に部屋があることには実利もある。権力を監視するのがメディアの役目だといわれるが、その目的のためにも相手の懐の中に拠点を持つのは何かと便利なのだ。いや、取材先の動きを逐一把握する(そんなことまでで来ている記者はいないと思うが)だけでなく、緊急事態に対応するには記者クラブにいなければ即応が出来ない。警察署の中に記者クラブがあれば、大事件・大事故が起きたときに警察が動き出すのと同時に取材を始めることが出来る。それぞれの会社に待機し、警察からの情報を待って動き出すのとは雲泥の差がつく。霞ヶ関の官庁街を取材するにしても、相手の庁舎内の記者クラブにいれば、ほんの数分で取材対象に会うことができる。会社を拠点にすれば、取材を思い立ってハイヤー、タクシーを呼び、あるいは公共交通機関の最寄り駅まで行って目的の官庁まで身を運ばねばならない。効率が悪い。

「だが、記者クラブを設けているところは所属記者が自由な取材が出来ないほど大量の広報資料を記者クラブに配布し、その資料を原稿にするだけで1日が終わるようにしている」

ともいわれることもあるが、私が経験した限りでは、そのようなことはない。もし私が知らないところでそんなことがあったとしても、それは記者側の心構えの問題だろう。つまらない、読者に届ける必要はないと思う広報資料はどんどん捨てる。時間をつくって取材先を回る。議論をふっかける。まともな記者ならそうする。
そう言いながら、広報資料の配付を心待ちにしているような記者を何人も見てきた。記者だってサラリーマンだ。

「私、仕事をしています!」

と上司にアピールしたい。そのためには山のような広報資料に囲まれ、毎日5本も10本も原稿を書く。こんな記者を横立記者という。広報資料は横書きされている。それを縦書きの新聞原稿に直して仕事をした気になっているからである。このような人々は職業選択を間違ったとしか思えない。

そんな問題もあるが、私が気になり続けているのは、記者クラブの閉鎖性である。まず、記者クラブに新規参入者を迎えたがらない。クラブ員にならなくてもいいから、記者会見には出させて欲しいといわれても拒否する。新興のネットメディアが各種の記者会見に出るようになったのはいつ頃のことだったろう?
私は、記者クラブも記者会見も、オープンにならなければならないと思う。記者クラブが取材の足がかりとして便利なのなら、誰でも使えるのが好ましい。費用負担? いまだってメディアは少額の「クラブ費」を納めるだけでたいした負担はしていないのだ。記者クラブの機能と利便性を独占する根拠は全くない。記者会見は、一般市民を含めてオープンを基本とすべきである。誰だって、

「首相にこれを直接聞きただしたい!」

ということはあろう。場所、人数の制限があるのなら、抽選制にしたらよい。いまの社会構造では、多くの人がメディアを通じて情報を得る。だから、メディアの記者だけは必ず出席できるが、それに加えて

「質問したい」

市民から抽選で一定数を記者会見場に招き入れるのである。理想論かもしれないが、そうあってほしいと、前々から思っている。

初任地の三重県津市の市役所にあった記者クラブで、こんな出来事があった。そのころ、読売新聞がそれまで空白区であった中部地方に殴り込み、「中部読売新聞」を創刊していた。既存勢力とは守旧勢力の別命である。新聞協会は中部読売新聞の新規加入を拒否し続けていた。そして、新聞協会加盟社でなければ記者クラブに加盟できないというのが当時のルールだった。
そんな不健康な会社間の関係の中でも、記者同士は取材先で出会い、仲良くなる。私にも仲良くなった中部読売新聞の記者がいた。あるとき、彼に頼まれたことがある。

「大道さん、市役所の記者クラブで配布されたあの資料が欲しいんだけど」

オープンな記者クラブが理想だと思う私は、快諾した。

いいよ、じゃあいまから記者クラブに行こう」

記者クラブは確か、市役所の2階にあった。入口まで行くと彼がいった。

「じゃあ、俺、ここで待ってるから頼むわ」

いや、どの資料が欲しいのか自分の目で見た方がいいんじゃないの?

「何いってるの。入って来いよ」

いくら誘っても、彼は足を動かさなかった。

「俺、クラブ員じゃないからさ」

私は彼が可愛そうでたまらなかった。記者クラブ制度の一面である。

桐生に来てからも不思議な現象を目にした。市役所内に記者クラブが2つあり、1つの案件で2度の記者会見が開かれているのである。何か歴史的経緯があるらしいが、不合理なこと、この上ない。私は

「変えてやろう」

と思い、あれこれの折衝を繰り返した。その結果、2つのクラブを合併するまでは至らなかったが、少なくとも記者会見は1本化した。クラブ員以外からの

「記者会見に出たい」

という申し出も、数は多くなかったが、出来るだけ受け入れた。

道草がずいぶん長くなった。
記者クラブについて、そんな考えを持つ私である。記者クラブの自由な空気は、取材する側にだけあるのではなく、何かを発表したいという側にもなければならないと考えるのは当然である。だから、

「ほかの記者クラブが門戸を閉ざしたのなら、ここでやってもらおう」

というのは自然な思いとだった。経済部長に頼まれたから一肌脱いだ、というのではなかったのである。
だが、その自然な思いが、私に災厄を招くことになるた。世の中とは、なるほど一寸先は闇である。