2023
12.11

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の5 今度は名古屋経済部長と喧嘩をした

らかす日誌

東海銀行秋葉原支店の不正融資事件の取材はずいぶん長く続いた。3ヵ月? 6ヵ月? 記憶ははっきりしないが、やがて長期戦で取材チームが疲弊してきた。
それはそうである。この取材に取りかかった日から、名古屋本社経済部員のほとんど全員が休日返で働き続けたのだ。疲れなければどうかしている。

中でも疲労の色が濃かったのが、Ta君である。もともと骨皮筋右衛門といいたくなるほど華奢な体の持ち主だった。確か兵庫県の出身で東大卒。

「君、大学どこだっけ?」

と聞いた私に、

「とりあえず東大です」

と答えたので、

「東大は知っているが、とりあえず東大、っていう大学はどこにあるの?」

と突っ込んでやったことがある。恐らく、東大卒に誇りを持ち、だが、それをひけらかしたくない、という自制心があって「とりあえず」という言葉を無意識のうちに付け加えたのだろう。いいじゃないか、東大卒に誇りを持っているのなら東大卒といえばいい。東大卒にもいい奴と悪い奴、使えるヤツと使えないヤツがいることは、掃いて捨てるほど東大卒がいる朝日新聞で俺も学んだのだ、そんな思いからの突っ込みだった。

見るからに体力はなさそうだったが、真面目で熱心な記者だった。大風呂敷を広げることはなく、常に冷静に論理で取材をする。彼が怒りを表した姿は見たことがない。私は彼を信頼していた。そのTa君の疲弊ぶりが目立った。口にはしないが、顔に

「疲れた」

と書いてある。

「部長、そろそろ交替で休みを取りたいのですが」

名古屋経済部長だったKuさんに話を持ちかけた。取材も一段落し、しばらく大きな動きはない、と読んでの提案だった。私はTa君に比べればまだ体力があるのだろう。休みを取らねば倒れるというほどでもなかったが、Ta君は限界だと見た。しかし、Ta君だけを休ませてくれとはいえない。取材チームのみんなが疲れていることは事実なのだ。2、3日ずつでいい。交替で体を休め、またやって来るに違いない山場に向けて体調を整えておいた方がいい。
兵隊頭とは、戦闘員を常に戦闘が出来る状態に保たねばならない。今求められるのは忙中の閑である、と私は考えた。

ところが、思いもかけない反撃を食らう。

「休みたい? 何いってんだよ! こんなに面白い事件をやっているのに休みたい? 新聞記者を長くやっていてもこんな事件にぶつかることは滅多にない。君たちはハッピーなんだよ。それなのに、休みたいって?! バカも休み休み言えよ」

おいおい、部長さん。あんたは前線に出て取材しているわけではない。あんたは疲れちゃいないだろう。だが、前線記者は疲労困憊しているのだ。いま休ませないと、誰か、中でもTa君が倒れちゃうぞ。だから、中休みのこの局面で体力を回復させたいと思っていっているのに、それはないだろ!

経済企画庁担当の時に東京経済部長とやっちゃった喧嘩とはわけが違う。取材に飛び回る若い記者たちの健康管理の問題なのだ。常に優勢に闘うための休暇なのだ。それを頭ごなしに潰そうとするか!

かなり激しい言葉のやり取りをしたと思う。だが、お互いに裏に何かを隠し持っての喧嘩ではない。取材競争に勝ち抜くための、戦略をめぐっての喧嘩である。結局、私の申し出は通らなかった。だが、遺恨は残らない喧嘩であった。

そいうえば、Kuさんは私の論敵でもあったように思う。ある日、行きつけの小料理屋「桂」で、記者のあるべき姿について論争した。

記者は評論家になってはいけない、というのがKuさんの主張だった。それに対して私は

「評論家にもなれない記者は必要ない」

と主張して立ち向かった。恐らく、「評論家」という言葉で示される人間像についての2人の理解が異なっていたのだろう。
Kuさんの「評論家」は、靴底をすり減らして情報を拾い集める努力はせず、書斎でパイプを咥えながら新聞やネットから情報を拾い、ある論理を組み上げて分かったような顔をする人のことだと思われる。
私の「評論家」はそうではない。記者をしていると目先の情報に振り回されて単なるレポーター(報告者)になりがちである。だが、それでは全体像が描けない。自分が拾ってきた情報が、全体の中でどんな場所に収まっているのかを判断できるだけの勉強を積み上げておかねば、意味のある原稿は書けないだろう。自分が追いかけているネタに対して常に鳥瞰図を持ち、ひとつひとつの情報でその図を埋めていく能力を「評論家」と表現したのである。

ま、私とKuさんの関係は、仲が良すぎて喧嘩する仲だった、といえば当たらずといえども遠からず、ではなかったか。

いずれにしても、私たちは全力で東海銀行不正融資事件の取材に邁進した。