2023
12.12

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の6 阿呆なデスクがいた話

らかす日誌

名古屋経済部には2人のデスクがいる。デスクとは記者が書いてきた原稿を、新聞に掲載するに足る商品に仕上げる仕事である。だから、立て前としては記者以上に優れた原稿を書く能力を備え、記者の下手な原稿に青ペンを入れて修正することになっている。だが、立て前がそのまま通じる世界は、それほど多くはない。

当時、Kaというデスクがいた。こんな人物である。

ある日、自動車担当記者がトヨタ自動車の新車を紹介する短い原稿を出した。その中に、「アルミホイール装着」という言葉があった。いまでは納車時からアルミホイールが着いている車が少なくないが、当時はまだ珍しかった。アルミホイールが標準装備されていることがこの車の特徴、と記者は判断したのだろう。
するとKaがいった。

「君、アルミホイールって外来語を使っちゃいかんじゃないか。外来語は出来るかぎり日本語に直すのが朝日新聞の原則だ。直したまえ」

いわれた記者は戸惑った。アルミホイールを日本語にする? そんな日本語、あったか?

「そんな言葉はありませんよ」

「なければ、工夫して作れよ」

「そんなことは無理です。そもそも、みんなアルミホイールといえば分かるけど、変な日本語にしたら分からなくなります」

「そんなことはない」

「だったら、勝手にして下さい!」

そんなやり取りの末、記者は席を離れた。そじてKaは勝手にした。翌日の朝刊に

「「アルミ製車輪

という言葉が掲載されたのである。恐らく、Kaはやるべきことをやったと思っていたのだろう。だが、読者はアルミ製車輪で、アルミホイールを思い浮かべることは出来たか? 視野をやや広げれば、Kaは異常な人物というほかない。

東海銀行不正融資事件の取材は、前線では私が指揮を執った。だが、Kaは無闇に取材の進み具合を知りたがった。組織原則からすれば、私から話を聞くのが筋だが、そんな常識はKaには通じない。私もKaとは話したくない。だからだろう、経済部に顔を出した若手の記者を捕まえて、

「どうなってる?」

と質問を繰り返すのである。それだけなら、まだよかった。きっと、デスクとは記者を指揮、監督、教育する偉い役職だ、とでも思っていたのだろう。

「ダメじゃないか、そんな取材では。どうして〇〇にあたらない」

などと取材に口を突っ込み始めたのである。それも、どう見ても素っ頓狂な指示なのだ。私を含めて全員、閉口した。そして、Kaを馬鹿にし、怒り、笑いのタネにした。

取材チームが毎夜打ち合わせをして夜回りに散ったことは先に書いた。打ち合わせは夕食を取りながらである。始まるのは7時半か8時だった。飲食店のテーブルを囲み、とりあえずのビールを注文することから打ち合わせは始まる。続いて料理の注文を終えると、誰かが口を開く。

「今日ね、Kaがこんなことをいったんですよ」

「そんなバカなこといったんだ、あいつ」

「だけどね、私にはこんなことをいいました。もう、腹がたって」

1人が口を開くと、その話が終わるのを待ちかねたように別の1人が口を開く。話題の主はすべてKaである。そして1つの口が開くと、いつまでたっても話題が途切れない。それが毎日なのだから、それだけの話題を提供するKaとは誠に不可思議な人物だった。

だが、私たちは東海銀行不正融資事件の取材打ち合わせのために顔を合わせているのだ。1時間も2時間も、Kaの悪口を言うためにここにいるのではない。
ある日私は、

「いかん。これでは非生産的だ」

と気づいた。取材の打ち合わせがなかなか始まらないのである。

「いいか、みんな。みんながKaに対していいたいことが沢山あることは分かっている。でも、あいつの話ばかりしていたのでは仕事が進まない。だから、今日からはKaの話をするのは30分だけに制限したい。30分たったら仕事の話をする。それでいいよな」

みんな頷いた。それなのに、30分の制限時間はしばしば破られた。1時間に達したこともある。具合が悪いのは、私もいつの間にか制限時間を破ってしまう1人だったことだ……。

組織には、様々な人物が寄り集まっている。朝日新聞も決して例外ではない。

そうそう、Kaに関する話をここで書いておこう。あの取材に関わったほぼ全員が東京勤務になってからの話である。
名古屋会、が開かれた。あの時、名古屋で苦楽を共にした仲間で酒を飲み、昔話に花を咲かせようという飲み会である。そんな会合だから、冒頭、全員が近況報告をした。
私の番になった時、どういう話の流れだったかは記憶にないが、話にユーモアを交えようという意図だったと思う。

「私もとうとう、ベンツを買ってしまいました」

というフレーズを口にした。するとKaが声を出したのである。

「大道君、朝日新聞の記者がベンツに乗っていいのか。そりゃあ、君、よくないよ」

どうしたことか、私は血が頭に上った。買ったのは、ベンツとはいえ最も安かったC200。値引きに誘われ、5年ローンで買った車であることは以前書いたことがある。どうしてそれがいけない? 私は思わず怒鳴りつけていた。

「同じ朝日新聞に勤めているんだから、私の給料風呂の中身がどれほどなのか、あんただって見当はつくだろう。俺が稼いだ金を何に使おうと、あんたにとやかく言われる筋合いはない! あんたの方が俺より給料は高いはずだから、ベンツが欲しかったらあんたも買えばいいじゃないか!」

そんな言葉を口にしながら、名古屋時代に

「Kaの悪口は30分まで」

という、あまり守られなかったルールを作ったことを思いだのであった。