2023
12.16

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の10 足首が半年間も痛かった話

らかす日誌

ここまで書いてきて、名古屋に2度目に赴任してから後しばらくの記憶が曖昧なのに気が付いた。名古屋には3年半いて東京経済部に戻るのだが、名古屋時代、そして東京に戻ってからしばらくの間、時間にして5、6年のことが曖昧模糊としているのである。
齢を重ねると、幼い頃、若い頃のことはよく覚えいているが、今の年齢に近づくにつれて記憶が薄れるといわれる。そのためだろうか? だが、曖昧もこの時を過ぎて東京で財界を担当し、50歳でデジタル・キャスト・インターナショナルというデータ放送局に出向したあとのことは比較的明瞭に頭に残っている。私の記憶は一般原則に従っていない。不思議である。

そのため、ここからしばらくは時間の前後関係など、あやふやである。いくつかの事件の取材を私の頭が勝手にまとめて1つにしてしまっている恐れもある。やむを得ず。これからしばらくは記憶の海の表面に浮いていることをランダムに書くしかない。お許し願いたい。

ここからが本日の主題である。
1度目の名古屋勤務の時、私は金融担当もやった。だから、当時も証券会社は私の担当だったのだが、足繁く証券会社を訪れたことはない。証券取引の本場は東京であり、名古屋では証券会社に取材する必要が薄かったこともある。それに、前にも書いたが、私は証券会社が嫌いであった。額に汗せず、金で金を生むという仕事が、どうにも性に合わなかったのだ。

だが、2回目の名古屋では野村證券名古屋支店によく通った。何しろこちらは、田淵義久さんと昵懇になった過去がある。どうやら支店長まではそんな話が伝わっているらしく、尋ねていくと歓迎された。

証券会社とは、株の売買をするだけの企業ではない。上場企業、上場を準備中の企業に出入りし、情報を集めるのも彼らの大事な仕事であることを東京での取材で知った。それならば、名古屋の企業をより知るためには、最大手の野村證券ともお付き合いせねばならない。それが野村證券に足を運んだ理由である。

初めて会った支店長は、最初から私に協力的だった。

「大道さん、名古屋にいたら、やっぱりトヨタでしょう。うちの若いので、トヨタ担当をご紹介しますよ。副社長の奥田碩さんとは麻雀仲間だし、豊田章一郎さんの長男、章男さんとも仲がいいんです。何かの役に立つかもしれない」

その若手のトヨタ担当から

「是非、トヨタのこの人に会った方がいい」

といわれたのが、当時取締役だった渡辺捷昭(かつあき)=後に社長=さんである。

「トヨタ自動車を担当していると、時々、この会社、いったい何を考え、どこに行こうとしているんだろう? って分からなくなることがあるんですよね。そんな時は渡辺さんに時間を取ってもらって1時間ほど話すんです。そうすると、なるほど、そういうことかと腑に落ちるんです。トヨタを知る上ではキーマンみたいな人ですよ」

野村證券の若手はそんな話をしてくれた。なるほど、トヨタを取材するのは新聞記者だけではないらしい。視点は違うかもしれないが、証券会社もトヨタ自動車を取材しているのか。

彼の言葉に従って渡辺さんの面識を得、しばらくお付き合いさせていただいたことは別稿で書く。ここでは野村證券に絞る。

野村證券名古屋支店との仕事上のお付き合いはその程度で、あとは飲み友だちになり、よく誘われた。
ある飲み会での話である。すでに食事を終え、場所は2次会のクラブ。ソファに座ったのは支店長、トヨタ担当の若手2人、そして私の4人である。

「大道さん、私たちね、こんな飲み方をするんです」

と支店長が言った。見ているとウイスキーグラスにビールを注ぐ。そこにショットグラスを浮かべ、浮かんだショットグラスに今度はウイスキーを入れた。

「これをね、こうやって飲むんです」

ウイスキグラスを口に運んで飲もうとすれば、浮かんだショットグラスは口元に寄ってくる。ビールを飲もうとすればショットグラスに入っているウイスキーも一緒に飲むことになる。つまり、口の中でウイスキーのビール割りになるわけだ。
炭酸はアルコールの吸収を早める。ウイスキーだけを飲んだ時より、ずっと短い時間で酔う。

「どうです、大道さんもやってみませんか?」

そう言われて、東京で田淵さんと飲んだあるシーンを思い出した。とある料亭に付属しているカウンターでのことだ。

「よし、大道君、君に俺たちの飲み方を教えてやろう」

といった田淵さんは、仲居さんに

「おい、あれを準備してくれ」

と命じた。出て来たのは、砕いた氷を山盛りにした丼と、ブランデーのナポレオンである。
ちょっと待て。ブランデーのオン・ザ・ロックでも作ろうというのか? それなら別に珍しい飲み方ではない。それに、グラスはないし、そもそも氷を丼で持って来るか? ここはそれなりの料亭なんだから、それなりの器があるだろ?
そう思いながらみていると、田淵さんはプランデーの封を切り、氷の入った丼に注ぎ始めた。ボトルの半分ぐらいが入ったと思われるころ、

「よし、これぐらいでいいだろう」

といった田淵さんは氷とブランデーが入った丼をグルグルと回し、そのまま口に運んだ。2口、3口飲むと、

「ほら、今度は君の番だ」

とその丼を私に回した。
中身はブランデーのオン・ザ・ロックである。それをわざわざ、こんな粗野な飲み方で楽しむ。品がないとはいえる。だがきっと、

豪快な飲み方
男気を見せる飲み方

ということになっているのだろう。

名古屋で進められたのも、同じような飲み方といえる。野村證券は様々な酒の飲み方を開発する会社でもあるらしい。

挑まれた勝負から逃げてはならない。私は挑戦を受けて、グラスのビールとウイスキーを飲み干した。すると若手が言った。

「いやあ、大道さん、飲みっぷりがいい! どうです、私と勝負しませんか?」

またまた挑戦である。逃げるわけにはいかない。引き受けた。どちらが先に潰れるか。

「そんなバカなことをして何になるの?」

と呆れてしまう方もいらっしゃるだろうが、男の付き合いにはこんなこともある。

記憶によると、若手は5杯で潰れ、ソファに沈んだ。

「もう飲めません」

それを聞き、私は6杯目に挑んだ。飲み干した。

「よーし、俺の勝ちだよね!」

飲み比べに諮った。だが、そのあとがあまり褒められない。ウイスキーのビール割りで私もしこたま酔っていた。だからだろう。

「俺、勝った商品に、ここのチーママを貰っていくわ!」

と叫ぶと、チーママを横抱きに抱え上げて店を出ようとした。数歩歩いた時だった。右の足首が

グキッ!

といやな音をたてた。しこたま酔った千鳥足で重いものを運ぼうとしたから、足首をひねって挫いてしまった、と知っても後の祭りである。

「痛ててっ!」

悲鳴を上げたが、傷む足首がそれで元に戻るわけではない。私はチーママの誘拐を諦め(もっとも、最初からそんな気はなかったが)、店を出て帰宅の途についた。

しかし、酔ってご乱行のツケは大きかった。しばらくはビッコをひかねば歩けなかった。全治するまでに、そう、半年ぐらいはかかったのであった。

そんなこともあったから、酒はほどほどに、と思う。が、そう思うのは大酒を飲んだ翌日に限られるのが私という男なのである。