2023
12.15

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の9 松永亀三郎さんのこと

らかす日誌

私が2度目の名古屋在勤時代、中部電力会長だった松永亀三郎さんのことを書いておきたい。東海銀行の不正融資事件が起きた時、中部経済連合会会長も務めておられ、財界人としてこの事件をどう見ているかを聞くためにお会いしたのがお付き合いのきっかけだったと記憶する。

松永さんは長崎県壱岐島出身。日本電力業界の父ともいわれる松永安左エ門さんの甥にあたる。血筋からして、電力業界の真っただ中に生まれてきたような人である。安左エ門さんの事績もうかがったような気もするが、申し訳ないことにほとんど記憶にない。覚えているのは、松永さんの経営者としての見識の高さである。

多分、不正融資事件が起きた海銀行会長の出処進退のあり方についてうかがっていた時だったと思う。東海銀行会長として、また名古屋商工会議所会頭として態度を明確にすべきだという話の途中、松永さんが突然おっしゃった。

「大道さん、いい機会だから、1つお願いがある。私が中部電力会長として、あるいは中部経済連合会長として、もうその任にあらずとあんたが思ったら、その時は俺にそういっていくれよ。そうしたら、俺は辞めるから」

唐突な話に戸惑っていると、言葉を継いでこう言われた。

「こんな立場にいると、誰もいやな話を耳に入れてくれない。そんな話ばかり聞かされるから、自分はまだまだこの仕事ができる、と思ってしまうんだな。しかし、私ももう80歳も間近だ。まともに仕事ができる時間はそう長くはない。自分でも気をつけているが、ほら、人間って自分に甘いから、私の判断が狂うこともある。あんたが私を見て、ああ、もうやめた方がいいなと思ったら、いつでも言ってくれ。そうしたら私、すぐに辞める

とんでもないことをいう方であった。たかが新聞記者に、中部電力会長として、あるいは中部経済連合会長として相応しい仕事ができているかなど、判断できるわけはない。もし私に判断能力があったとしても、私が松永さんにお会いするのは、月に何度か取材させていただく時だけなのだ。それで仕事の全貌をつかめるはずがないではないか。
しかし、松永さんの目は真剣だった。思わず

「分かりました。気が付いたら遠慮なく申し上げます」

と答えていた。もちろん、そんなことを直言する機会などなかったが。
この話を聞きながら、私は田淵義久さんを思い出していた。あまり才覚はないと思われる後輩を

「あいつはゴマをすらない。だから俺の安全弁なのだ」

と副社長にまで取り立てた野村證券の元社長である。立派な社長、会長とは、自分の引き時についての自分の判断に信を置かず、客観的な目を求める人であるらしい。

恐らく松永さんは、東海銀行問題でトップの出処進退のあり方を考えていた私の話を聞きながら、

「こいつなら客観的な意見をいってくれるのではないか」

と見てくれたのではないか。であれば、記者冥利に尽きる。

またある時、松永さんはいった。

「大道さん、このごろクラシック音楽が楽しくてね。何かいいCDはないかな?」

おっと。ジャズやロックの名盤なら、いやわたしが好きなCDならいくらでも挙げることが出来るが、苦手なクラシックねえ……。
ふと思い出した。私のクラシック音楽コレクションはたいしたことはないが、好きなピアニストがいた。マウリツィオ・ポリーニである。彼がベートーベンのピアノソナタ、「悲愴」「月光」「熱情」を弾いたCDをしばらく前に買っていた。ほかの演奏者に比べて(といっても、たいして聞いたことはないが)間の取り方が絶妙で、中でも「月光」は耳に心地卯よかった。

「ショパンコンクールで優勝したこともあるピアニスト、ポリーニが『悲愴』『月光』『熱情』を弾いたCDが最近出ました。あれ、いいと思います。ポリーニといえば、ベートーベンの『皇帝』も好きです。あれ、オーケストラはどこだっけな?」

そんなことを申し上げた。松永さんはおのCDを買って聞いただろうか?

松永さんと親しくなったからだろう、中部電力の広報担当者とも仲良くなり、電力会社としては避けることができない原子力発電についても意見を交換するようになっていた。

私は原発は危険であると思う。だから原発はなくすべきだと考えていたが、しかし、右肩上がりに増え続ける電力需要を考えると、一気になくすわけにもいかないだろう。
だから私の主張は

「そうであれば、徹底的な情報開示しかない」

だった。とにかく、原発に関する情報は全て出す。正常運転時でも、事故が起きても全ての情報を隠さない。それによって衆人環視の体制を作り、現場作業にミスが起きないよう圧力をかけるしかないのでははいか。

それに対して彼らの言い分は

「世の中には、頭から原発は危険だと決めつける人がいる。その人たちは、あらゆる情報を『だから原発は危険だ』と読み変え、一般大衆を反原発に煽る。情報開示は難しい」

であった。

「それを説得できなければ、原発の安全稼働は保証できないのではないか?」

と反論していたが、議論はいつも平行線で終わった。
いま思う。私が主張したように、すべての情報が開示されていたら、福島原発の事故は防ぐことが出来ただろうか?

そんな間柄だったからだろう。ある日、広報課長さんに誘われた。

「大道さん、原資リュ奥発電所の見学に行きませんか?」

そういえば、私は原発を見学したことはない。日本で原発と無縁の暮らしはありえない以上、一度は見ておいた方がいいのではないかと思い、誘いに乗った。

静岡県御前崎市の浜岡原子力発電所まで出かけ、炉心というのだろうか、燃料棒が大量の水に沈められているところまで、恐々見物した。やはり、気持ちのいいものではない。そんな現場で日々働いている人たちが気の毒になった。

私は原子力発電所に関しては全く学んだことがない素人である。1度見ただけで安全なのか危険なのかの判断などできようはずはない。ただ

「見た」

というだけの見学会である。それでも、付き添ってくれた広報課長の話を、何故かはっきりと覚えている。

「みんな原発は危険だというけど、現場の作業員は、疲れると原発建屋の中に入って少量の放射線を浴びてくるんですよ。疲れが取れるとみんないってます」

そんなバカな! と思った。そんなことをいって、我々記者を原発にしたいか?
私を原発見学に誘った広報課長の思いつきは、その時は裏目に出たことになる。

だが、といま思う。確かに、人々は放射線の効能を体験で知っている。いや、レントゲンなど放射線を使った医療が役に立っているというのではない。人はずいぶん昔から、ラジウム温泉を楽しんできた。微量ではあるが、放射線をわざわざ浴びに出かけてきたのである。そして、少量の放射線は体の機能を高めるといわれている。

そんなこんなが2011年の3.11で役に立った。福島原発の事故が起きた時、当時の任地であった桐生でもパニックに近い社会不安が起きた。その時私は

「放射線を正しく怖がろう」

という記事を書こうと、実験などで放射線を扱うことがある群馬大学理工学部(当時は確か、工学部だった)の教授に

「正しい怖がり方」

を聞いて記事にまとめたのである。あの原発見学がどこかで役に立ったのかもしれない。

話がずいぶん遠くまで来た。今回は松永亀三郎という素敵な経済人を記録に残すのが目的だった。
松永さんは1997年秋に永眠された。ご冥福を祈る。