2023
12.23

私と朝日新聞 2度目の名古屋経済部の17 父親不在の家庭

らかす日誌

単身赴任中、私は月1度の割で横浜に帰省した。移動はマイカーである。当時の愛車は紺色のホンダ・アコードだった。初めて買った「新車」で、5グレードのうちのちょうど真ん中、上から数えても下から数えても3番目のグレードである。確か200万円前後したはずで、私としては精一杯の高級車を買ったつもりだった。何かのついでにホンダの広報マンに、

「今度アコードを買ってね。3番目のグレードにしたよ」

と高級車のオーナーになったつもりで話したら、

「ああ、あの大衆車ですね」

といわれて愕然とした。そうか、初めて買った新車は大衆車と呼ばれる部類のものであったか。

帰省は土曜日の早朝名古屋を発ち、横浜の自宅まで約370㎞の旅。3時間半から4時間ほどかかったっと思う。戻りは月曜日の早朝だ。9時には名古屋に着きたいから、午前5時頃横浜の自宅を出た。

ある時、トヨタ自動車の広報マンに

「大道さん、セルシオに乗って下さいよ」

と頼まれた。乗ってくれ、とは試乗してくれ、ということである。セルシオなんていう超高級車を買えるはずもなく、また買う気になるはずもない。全く関心がなく、乗りたくもなかったが押し切られた。

「じゃあ、今度帰省する時に借りていきます」

と、1度だけ名古屋—横浜をセルシオで往復した。
セルシオは運転席に座った途端に金持になったような気分にさせる車だった。トヨタの広報が乗せたがる試乗車だから多分最高級グレードで、シートは革張りである。
ろころが、この革張りがよくなかった。滑るのである。右にちょいとハンドルを切るとお尻が左にずれる。左に切ると右に滑る。そのたびにお尻の位置を戻さねばならず、腰が疲れる。全く乗りにくい。
ただ、エンジンだけは素晴らしかった。横浜から名古屋に帰る際、東名高速の御殿場あたりを120㎞/時程度で走っていたら、後ろからパッシングライトを照らす車があった。バックミラーを見るとホンダのシビックである。えっ、セルシオがシビックからパッシングライトを浴びる? そう思った瞬間、アクセルを踏み込んでいた。シビックは瞬く間に見えなくなった。ふと速度計を見ると180㎞出ている。いやあ、加速性能は素晴らしいな。その時である。ハンドルが急に軽くなった。クリンクリンという感じで、路面を踏みしめている感触が薄い。

「あれまあ、この程度で車体が浮くのか」

トヨタの最高級車セルシオは、そんな車だった。
なお、180㎞の高速運転は、もう30年以上前のことである。あの速度違反は時効にかかっていることを強調しておきたい。

私が名古屋に単身赴任していた3年半、長男は高校生である。家族が2つに分かれていれば、経済面を除いても問題が起きるものらしい。長男が酒を飲んでいるとこをを見付かり、1週間の停学処分をくらったのはこの間のことである。

高校生が酒を飲む。私にだって経験はある。高校時代、柔道部の顧問をしていた教師が部員を自宅に招き、すき焼き宴会をしたことがある。その場でこの先生、

「これは酒じゃなかぞ」
(これは酒ではないぞ)

と何度もいいながら、私たちに日本酒を振る舞った。その日はほろ酔い気分で帰宅した。
だから、酒を飲んだことはどうでもいい。見付かったことが問題である。しかし、高校生の間は酒に親しむのを控えた方が良いことは明白だ。何しろ、目先に大学受験が控えている。

「そうか、1週間の停学か。だったら、名古屋に来させろ」

私は名古屋に来た長男を繁華街・栄に連れ出した。夕食は中華である。ビールを注文し、息子にもグラスを与えて注いでやった。食事を終えるとショットバーに場所を移した。

「何でも好きなものを頼め」

息子が何を頼んだのかは忘れたが、2杯を飲み終えると

「お父さん、もういいよ」

といった。まだ酔った様子はない。

「今日はいいんだぞ。好きなだけ飲め」

と勧めたが

「いや、もういい」

という。そこで私はいった。

「もういいのなら、高校時代の酒はこれで終わりだぞ。大学に入ったら飲み過ぎない程度には飲んでいいから」

息子は神妙に頷いていたが、さて、本当に私との約束を守ったかどうかは不明である。何しろ、私がいない横浜の自宅では、息子の部屋に灰皿があったのだ。妻女殿に問いただすと

「だって、タバコを吸っているんだから灰皿がないと危ないでしょう」

とおっしゃった。おいおい、それは分かるが、その前に喫煙をやめさせるのが親の務めではないか? いくら父親不在の家庭とはいえ、これは……。そんな普通の感覚が妻女殿には欠落していたようである。

父親不在が引き起こした事件はもうひとつあった。
ある日帰省してみると、自宅の前にバイクが止まっている。おや、息子の友人でも遊びに来ているのか? が、家に入ってもそんな様子はない。

「あのバイクは誰のだ?」

妻女殿に聞いた。

えっ、あれはうちのよ」

知らぬ間に息子がバイクのオーナーになっていた。バイクで通学しているらしい。高校にバイクで乗り付けることは出来ないだろうから、きっと近くに駐輪場を確保しているに違いない。

「お前、そんな……。バイクは危険だろう。高校生にバイクを持たせるなんて!」

と怒っては見たが後の祭りである。
ずいぶん後で聞いたが、この頃息子は、パチンコで小遣い稼ぎをしていたらしい。ほぼ確実に勝っていたから小遣いが稼げたわけで、バイクの金もそのあたりから出たのかもしれない。
高校生の息子が酒を飲み、タバコを吸い、バイクに乗ってパチンコをする。父親不在の家庭というのは様々な問題を抱えるものである。
もっとも、東京で仕事をしていた時も子供と顔を合わせることは休日を除けばほとんどなかった。私が単身赴任しなくても、我が家は実質的には父親不在であった。だから、私が名古屋に単身赴任していなくても、同じ問題が起きたかもしれないが。

我が息子をずいぶん悪し様に書いたが、彼の生き方をそれほど悪いと思っているわけではない。むしろ、

「よくぞ伸び伸びと育ってくれた」

と感心している。
高校時代とは背伸びしたい年頃である。彼は精一杯背伸びした。それが私の基準をはみ出しただけである。バイクの事故は心配だったが、むしろ

「私より器が大きいのか?」

と思わされた私だった。

この間、長女は無事国立音楽大学附属高校に進み、次女は地元の中学で陸上競技に汗を流していた。
父親不在でも、我が家はそれなりに健全に営まれていたのである。