2024
01.05

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の60 桝谷英哉さんにコラムの連載をお願いした

らかす日誌

クリスキットの桝谷英哉さんにコラムの執筆をお願いしたのも、ウイークエンド経済だった。もちろん私が話を持ちかけ、了解を頂いて始めた。桝谷さんはクリスキットを設計した人である。自分で作ることができるものは自分で作ってしまう。「音らかす」で紹介したように、パワーサプライ、オーディオシグナルジェネレーター、ひずみ率計などを始め、クラシックギターまで自作していた。この人にコラムを書いてもらったら面白いだろう、と考えた。タイトルは

「ハイテク品定め」

とした。
何を取り上げるかは桝谷さんに任せた。最初に桝谷さんが選んだのはワープロである。まだパソコンで原稿を書く時代にはなっていなかったが、ワープロは私たちの日用の機械になっていた。だから、様々なメーカーがワープロを発売していた。沢山ありすぎてどれを選んだらいいのか分からない、という人も多かろう。そこで桝谷さんに「品定め」をして貰おうとの趣旨である。
記念すべき第1回の原稿を紹介したい。

「見かけだけの商品が増え、良いものが少なくなった。『暮しの手帖』の故花森安治ではないが、『メーカーに良いものを作って欲しい』という願いを込めて、身の回りのハイテク商品の品定めを試みたい。
日本のメーカーは、売れるとなると、われもわれもと首を突っ込む。たとえば、ワープロ。必ずしも事務機器に慣れていない家電メーカーが相次いで作るものだから、珍妙な現象が見られる。
ワープロは和製英語の典型で、正式にはワードプロセッサーと呼ぶ。プロセッサーとは『処理する道具』という意味。複雑な日本語の文法をコンピューターに記憶させておき、キーボードから入力された文字情報を、かな、漢字、熟語に適切に変換する機械である。この原稿もワープロで書いているが、一行あたりの文字数の指定はもちろん、文章の追加、変更が能率的で便利だ。
他の商品と同様、ワープロも見かけの機能が多い方が売れる。このため、コンピューターだからメモリーに限度があるのに、それを不必要な多機能に使ってしまい、本来の文章作りに、メモリーが十分使われず、使いにくい機種が多い。
無駄な機能の最たるものは図形機能だろう。図形を一度に描ける面積は限られており、鉛筆書きの設計図を半月以上もかけて写すのなら別として、よほどの熟練者でないと使いこなせない。間違ったらその部分を消して訂正できるという説明は、ほとんどウソと思って良い。別売りのイメージリーダーを使って漫画などをコピーし、それを部分的に書き直せると思っている人もいるようだが、それはまず不可能である。
役に立ってこその機能だ。使いものにならないのは、見せかけのおもちゃである」

桝谷節が心地よい原稿である。
この1回目には、桝谷さんの紹介も着いている。

「ますたに・ひでや 1925年生まれ。兵庫県・洲本商業高校卒、専門学校の神戸市のパルモア学院で英語を学び、51年に化学品会社に入社。65年に独立、化学品専門商社クリス・コーポレーションを設立、同社社長。オーディオに興味を持ち、東京電機大学の通信講座を受け、ハイテク商品評論家に。著書に『ダメな電子工学商品』『オーディマニアが頼りにする本』など」

はて、桝谷さんはハイテク商品評論家だったか? そもそもそんな仕事があるのか、と思わないでもないが、このあたりはデスクが筆を入れたようである。

手元にある切り抜きを見ると、ワープロの稿が11回続く。ワープロを紹介する雑誌に

「機種のどこが良いのか悪いのか判断がつかない」

と噛みつき、改行マークの使い勝手が悪いと指摘し、文章の右寄せ機能には欠陥がある、ユーザー辞書の容量が足りない、バックアップ機能が不充分……。

私も当時は、全ての原稿をワープロで書くようになっていたが、私の使い方は「原稿が書ければいい」という程度で、ワープロについている様々な機能を使おうなどとは思わないから、桝谷さんの指摘は新鮮だった。

この時桝谷さんは外部ライター、私は担当編集者という役回りだった。担当編集者はライターが送ってきた原稿に朱を入れる。間違いを見つけるだけではない。できるだけ読者が理解しやすい表現に書き直すのも担当編集者の仕事である。桝谷さんの原稿にも、そのつど朱を入れた。
そんなある日、桝谷さんから電話が来た。

「大道さん、私、この仕事、やめさせておらいますわ」

突然の電話である。やめる? 折角軌道に乗ってきたのに、どうしてですか?

「あんた、わての原稿を書き直しなはるやろ。あれ、わての原稿じゃありまへんわ。あんたが書かはったらよろしいわ」

桝谷さんには瞬間湯沸かし器の一面があった。毎回のように入る私の朱に怒りが爆発したらしい。

「いや、しかし、この朱はですねえ、桝谷さんはこう書かれていましたがこれではわかりにくいと思ってこう書き直したんです。はい、読者に分かりやすい原稿にするのが私の仕事なんですよ。この原稿、桝谷さんでなければ書けません。私にはとてもじゃないが書けない。続けてください」

電話機に向かって頭を下げ、説明し、なだめ、何とかつなぎ止めた記憶がある。
これも、桝谷英哉さんとの懐かしい想い出である。

桝谷さん、私はいまでもクリスキットで音楽を楽しんでいますよ!