2024
01.06

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の61 カタログ、というコーナー

らかす日誌

カタログ」というコーナーも、ウイークエンド経済の定番だった。故花森安治氏を真似たわけではないが、商品を自分たちでテストしてその結果を記事にしようというのである。
聞くところによると、「暮しの手帖」では実に科学的に商品の善し悪しを判別するシステム、設備が整っていた。ところが、我がウオイークエンド経済部にはそんなものはない。個人的には

「朝日新聞が金を出して商品テストができる設備を整えるべきだ」

と思い、上司にも訴えたが聴く耳を持つ上司は皆無だった。それでもこのコーナーを継続したのは、市場に溢れかえる商品群の中から、自分に最適な一品を選び出すのは至難の技で、であれば私たちが何かお役に立てないだろうか、と考えてのことだった。いま思えば、科学も技術も技も分からぬ記者風情が数人集まり、あれがいい、これはダメだ、と議論したことがどれほど世の役に立ったかは不明である。いや、ほとんど役には立たなかったろう。

ある週は、新しく発売されたビールの飲み比べを試みた。みんなで金を出し合って新発売のビールを買い集め、試飲=ブラインドテストに挑んだのである。確か、キリンの一番搾り、アサヒのスーパードライなど4種類だった。これを、銘柄を隠して数人が飲む。飲んで美味いと思ったビールに投票する。

私はアサヒのスーパードライが嫌いである。前に書いた野村證券の支店長研修で使われたテキストに、アサヒビールの成功物語があった。その中身は忘れたが、私の体験から生み出した理解では、金の力で消費者にアサヒビールを擦り込んだのがアサヒビール成功の元である。東京の飲み屋では一時、アサヒ以外のビールが消えた。その代わり、そんな店には真新しいビール用冷蔵庫が設置されていた。店の備品をサービスするからほかのビールは置くな、という商法だろう。おかげで、私の好きなヱビスビールはもとより、キリンもサッポロも、飲み屋ではお目にかからなくなった。
商法としてはみごとである。しかし、金の力で消費者の味覚を変えるのはいかがなものだろう。もちろん、アサヒビールはそこだけに金を使ったのではない。業界最下位の売れ行きだった状況を変えるため、出荷して1週間(だったと思う)たっても売れ残っているビールは、全て新しいビールに取り換えた。出荷から1週間以上たつと味が落ちるためである。もともと評判が芳しくなかったアサヒビールが、売れ残って味が落ち、さらに消費者離れを招いていた負のスパイラルを断ちきるためである。
それは高く評価するとしても、どの飲み屋に行ってもビールはアサヒしかないというのにはほとほと困った。飲み屋で美味いビールが飲めない。左党にとっては何より辛いことなのだ。だから、味も含めて私は、いまだにアサヒビールが嫌いである。

さて、私たちのビール品評会である。私はアサヒビールはすぐに分かった。もちろん、これには投票しない。私が清き1票を入れたのはキリンの一番搾りだったと思う。ヱビスビールには劣るが、並べられた中では最も好ましかった。
ところが、である。確か4、5人で投票したのだが、そのうちの確か3票はアサヒビールに投じられていた。ま、それが現実である。紙面にはその通りの記事を載せたことは言うまでもない。

ある時、私はプロジェクターを取り上げた。私が

「いずれ欲しいな」

と思っていたからである。それなのに、いまだにプロジェクターを持っていないのは、ハイビジョンになって大型のプラズマテレビを買ったからだ。
当時プロジェクターを出していたシャープとビクターの広報に頼み、最新機種を1台づつ借り出した。スクリーンは確か、ビクターから借りた。これでビデオを再生して画質を比べようというのである。
プロジェクターで動画を楽しむためには、できれば暗いところの方が好ましい。さて、どこで試写しよう?

「ねえ、俺のうちで飲みながらやらないか?」

こうして横浜市鶴見区の我が自宅に6、7人が集まり、酒を楽しみにながら映画を見た。007だったような気がするが、確かではない。
さて、勝負の方はコントラストに優れるシャープに対して、画像の滑らかさのビクターというところだった記憶がある。もっとも、いまのようなハイビジョン製造ではないから、100インチ以上に引き伸ばされた映画は、それなりにアラが目立つものだった。

眉間に皺を寄せてワープロやノートと向かい合うだけが仕事ではない。楽しんで仕事をする。ウイークエンド経済はそんな職場だった。