2024
01.08

私と朝日新聞 2度目の東京経済部の63 宮地社長を記事にした

らかす日誌

家電品の価格のからくり、流通の問題は是非記事にしたいテーマだった。どんな仕組みがあるから販売店によって小売価格が違うのかを暴露したメディアは、私が知る限りそれまでなかった。それを書きたい。でも、をかけるのか? それは御免である。ほかに上手い手はないか?

思いついたのは、ウイークエンド経済で連載していた「ビジネス戦記」である。様々な経営者に登場してもらい、自分のビジネス成功譚を語っていただくコーナーだ。キーワードは「語っていただく」にある。つまり、掲載する私たちに、厳密な裏取りは必要ない。話を聞いて記事にまとめ、あとは本人に読んでもらって

「これでいい」

という確認いただけばすむ。人が語る昔話の厳密な裏取りは不可能だ。あの時こんなことがあった、と言われても、そこに立ち合った人が全て亡くなっていることもある。語る人の記憶に頼るしかないことが多々あるのがこの手の記事である。私はそこに抜け道見出した。

「宮路さんをビジネス戦記に登場させよう。彼の安売り商法を彼の口で語って貰えば、安売り家電の流通形態が分かるではないか!」

その主旨を宮地社長にお願いした。

「あ、いいよ」

二つ返事で引き受けてくれた。自分なら、語っても殺されることはないという自信があるのだろう。その日から取材を始めた。

こうして宮地社長の取材を始めると、様々なことがわかって来た。それまで宮地社長は、様々なメディアに接触していたらしい。私たちの業界ではそれなりに知られた著名人だった。だが、まともに取り合ってくれたメディアはなかった。

バッタ屋とまともに付き合うなんて」

ということだろう。バッタ屋とは、正規のルートを通さずに商取引をする人々のことである。いわば、世の中の表の世界には姿を現さず、もっぱら闇の世界で蠢く人々ともいえる。メディアは日の当たる表の世界は報道するが、

「闇の世界には手を触れない」

という暗黙のルールがあるようだった。私はそのルールを破ったことになる。

宮地社長に語って貰った「ビジネス戦記」は「僕の安売り商法」のタイトルで、確か6回続いた。宮地社長が「まとも」なメディアに登場した(朝日新聞が「まとも」なメディアか、というご意見もあるだろうが……)のは、私が知る限りこれが初めてだった。

私は自分のテーマを記事にできて、それなりに満足した。そして、宮路社長山との付き合いは、それで一区切り着くはずだった。私はほかのテーマの取材に戻り、宮地社長は城南電機の経営に邁進する日常に戻るはずだった。

ところが、思ってもみなかった反応が出始めた。メディアが、中でもテレビ局が宮地社長に急接近したのである。宮地社長は様々なバラエティ番組に引っ張りだこになったのだ。
恐らく、バラエティ番組の制作陣が「僕の安売り商法」を読んだのだろう。思い白いキャラクターの家電販売店主がいると知った。その発言内容も面白い。何よりも、朝日新聞が採り上げた人物である。これまでは番組に登場させることをためらっていたが、

朝日新聞が載せたんだから、使ってもいいんじゃない?」

という判断が番組制作陣に芽生えたのではなかったか。とにかく、宮地社長が出る番組が急増したのである。
そして、3000万円の札束が詰まったヴィトンのアタッシュケースが登場する。アタッシュケースを下げて登場した宮地社長はお笑い芸人に促され、アタッシュケースを開く。

「ほれ、この通り、3000万円が詰まっとるんや」

その瞬間、ウォーというようなため息が会場を満たす。得意そうな宮地社長の顔が大写しなる……。

見ていて、いたたまれなくなった。おいおい、いまは空っぽのアタッシュケースを持って歩いてるんだろ、宮路さん? 警察からやめろと言われているんだろ? 危険だよ、宮路さん。こんな詰まらない番組の視聴率を上げるために3000万円の札束をわざわざ用意し、いつ襲われるか知れたものではないリスクを取る必要があるのか?

何度も忠告した。テレビに出るのをやめなさい。出ても、実は現金は持ち歩いていないのだと告白しなさい。一度襲われて、警察に注意を受けたと言えばいいではないか。
そのたびに宮地社長はニコニコ笑って私の話を聞いた。ああ、分かってくれたのか、良かったと思っていると、次に出た番組でも

「ほれ、この通り、3000万円が詰まっとるんや」

そんなシーンが、テレビが宮地社長に飽きるまで続いた。豚もおだてりゃ木に登る、といいわれる。宮地社長はおだてられることが大好きだったのだ。ウォーという賞賛とも、驚きとも、うらやましさの固まりともいえるため息を聞くことが大好きだったのだ。

そして、芸人にいろいろなブランドものをねだられた。

「ヴィトンのバッグを買ってやった」

「あいつはエルメスや」

そんな自慢話を何度も聞かされた。華やかなテレビのライトを浴びる芸人たちの谷町になることは、宮地社長の自尊心を大いに刺激したらしかった。

訳の分からない連中が金をせびりに来た。

「都知事選に出る。選挙資金を」

そんな輩もいたと聞いた。そのたびに

「やめなさい」

と私は言ったが、そんな忠告を聞く人ではない。ちやほやされるのが骨の髄まで好きなのだ。
私の記事が宮地社長の人生を一変させたようだった。私は宮地社長を朝日新聞紙面に登場させたことを後悔し始めた。